ディア・ドクターのレビュー・感想・評価
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「親愛なるお医者さん」の失敗
年をとり弱ってきたときには、頼りになる人が身近にいるのが良いのである。この物語では、限界に近い集落で、主人公が地域住民の「親愛なるお医者さん」を演じ、身近な頼りになる人という役割を担っていた。しかし、最終的にはそれをまっとうすることができなくなってしまう。
この意味するところは何か。身近な頼りになる人の役割が医者に重心が置かれすぎてしまうと、重圧が大きく、支えきれないということなのだろう。そんな失敗談を物語にしたという印象を受けた。
"偽"であっても、"贋"だけなのかな…?
"贋物やねん"と"足りないことに慣れてる"って台詞二つ、最後の見せた"新しい嘘"で、この映画は完璧だった。鶴瓶さんと瑛太さん、余さんと香川さんの"重ねる芝居"もジワジワ来て、隣の親と見終わったあと色々語ってしまった。
すっごく静かな映画なのに、宿す力はとにかく強くて、曖昧さと良い後味がここ(心)に残って混乱してる。
"日本映画"を見たい方は、是非一回見てほしい。"理想の日本映画"ですから。
『ディア・ドクター』
松重豊と瑛太の味わい深い演技がイイ。
国宝の宝塚、八千草薫は圧巻。
人の価値観は自己満なのか金なのか、それとも愛なのか。
10÷10=1じゃない、割り切れない余りが人生であっても良い、そんな気にさせられた映画。
あと西川美和映画は乗り物横切るシーンで切ない気持ちになる。
愛ある嘘つき
小さな村神和田村にある唯一の診療所の医師伊野治が失踪する。伊野は色々な治療を一手に引き受け人柄も大らかで村人から慕われていた。ある日鳥飼かづこという未亡人を診療することになり、伊野が隠していた嘘が浮かびあがることになる。
鶴瓶のお茶目な人柄と今回の役柄がとてもマッチしていて、嘘の医師を演じていたにもかかわらずそれを許さずにはいられない心情になる回りの人のことも理解できた。
最後にまた病院に現れる彼らしさがまたよかった。
良い映画
この映画、極めて静かな知性によって描かれているようだ。喧噪のない世界でありながら、それぞれの声が甚く響く。登場人物の背景などに言葉を労する必要はないのであろう。静かな語りのなかに、それぞれの声が聞こえてくる。
笑福亭鶴瓶扮する伊野が投げ捨てた「白衣」は、それまでの「嘘」を意味していたばかりではなく、少しでも生き存えてもらいたいという「希望」でもあった。
看護師の大竹が、薬卸の斎門が、そして鳥飼が望んでいたものは、「希望としての嘘」であった。
そのため、最後のシーンの八千草薫演じる鳥飼の表情は、あらためて「先なき希望」を確認した表情が、そこには見て取れるのだ。
とにかく西川美和監督のこの作品は必見。
ポータブルDVDにゆる地下鉄内レビュー
失踪した 医者・鶴瓶を巡って、
【 現在という時制 】 においては、第3者による評価を元にして
【 間接的人物像 】 を。
【 少し前の時制 】 では、医療に従事する姿を直接目撃することで
【 主観的人物像 】 を。
それぞれ、2つの時制 によって提示される、この 2つの人物像 を
足掛かりにして、今作に発生していく
【 失踪の謎 】 と 【 診断の謎 】 。
この 2つの 「謎」 を 推理する楽しさに満ちた鑑賞となりました。
また、
「問題提起」 は、する。
↓
でも、「暗い」 まま終わらせない。
↓
しかし、「問題解決」 は、しない。
というユルイ立ち居地が、何故かしら心地良く感じた。
そんな不思議な映画でした。
無医村に赴任していた医者が姿を消し、彼に医療を支えられていた村人達や、行方を捜索する刑事、そして、共にこの村の医療に携わっていた看護士と研修医が彼を探すところから物語は始まります。
姿を消すことになる医者を 笑福亭鶴瓶 が
“人間味溢れる” 部分を基調にして、
姿を消すことになる
“謎” の部分を醸し出しながら
演じていきます。
ベテランの看護士は余貴美子。 アカデミー外国語映画賞を受賞した 「おくりびと」 で演じた役柄を思い出しました。
「おくりびと」 では、主人公の モックン と、葬儀社の社長 山崎務 の2世代間を繋いでいく役どころでしたが、今作においても、 鶴瓶 演じる姿を消す医者と、都会的な匂いを発散させながら登場する若き研修医との、
2世代間の隙間を埋めていく役どころ
になるのか注意していきたいと思ったのです。
で、研修医は赤いスポーツカーに乗って 瑛太 がやって来たのです。
この医療スタッフに、村人達。そして、行方を捜索する刑事達を織り交ぜながらストーリーは展開していきます。 映画が進んでいく中で鑑賞者は、
【 現在の時制 】 において、 失踪した 医者・鶴瓶 に対する、
第3者からの証言を元に、医者・鶴瓶 という人間の
【 間接的人物像 】 を形作り、
【 少し前の時制 】 では、 看護士、研修医と共に農村医療に
従事していく姿を直接目撃しながら、医者・鶴瓶 の
【 主観的人物像 】 を創出していくのです。
そして、
【 2つの時制 】 の行き来で生成した、この 【 2つの人物像 】 を手掛かりにして、今作に発生していく 【 2つの謎 】 を追いかけることになるのです。
まずは、第1の謎 ”なぜ 医者・鶴瓶 は失踪してしまったのか?”
という 【 失踪の謎 】 に取り掛かる訳ですが、
【 少し前の時制 】 において、興味深いシークエンスがあったので、言及してみたいと思います。
老人の臨終の席において、延命機器を装着しようと提案する 医者・鶴瓶 に対して、
その措置を家人が辞退。
その後、明らかに、その老人の介護を押し付けられていたと思われる、地味で薄幸そうなお嫁さんの
怯えたような複雑な表情
を今作は捉えたきたのです。
これは、
「長寿」 という美辞のウラに存在する
「老人介護」 という問題 が
姿を見せた瞬間だったのです。
しかし、この場面で
「問題提起」 は、する。
↓
でも、「暗い」 まま終わらせない。
↓
しかし、「問題解決」 は、しない
という、今作を貫いている ユルイ立ち居地 を
発見したのです。
「老人介護」 という問題が提起された次の瞬間、臨終したと思われた老人の口から、喉に詰まったモノが出てきたことによって彼は蘇生をするのです。
コメディーのような展開に亞然としていたら、偶然による、しかし、神がかり的なこの成果に興奮した村人たちが 医者・鶴瓶 を讃えながらお祭り騒ぎをするという、これまたドタバタ喜劇のような展開を見せていったのです。
「老人介護」 という 「問題提起」 はする。
↓
でも、コメディー的な “蘇生” と、その後の “お祭り騒ぎ”
によって、このシーンを 「暗い」 いままには終わらせない。
↓
しかし、「老人介護」 という 「問題解決」 は、しない 。
このような、ユルイ立ち位置で、 「陰」 に曇りがちそうな流れを、半ば強引に 「陽」 に転換してきたのです。
この様子を興味深く見ていたら、この ユルイ立ち位置 が実は、開始早々から提示されていたことに気付いたのです。
「医師 失踪」 という 「問題提起」 があった。
↓
でも、医者・鶴瓶 の飄々としたキャラクターが語られたことで、
緩やかな気分を創出。
そのシーンを 「暗い」 ままには終わらせない。
↓
しかし、 気分は 「陽」 に転換しながらも、
「医師 失踪」という 「問題解決」 は、していない。
前述の 「老人介護問題」 の後の "お祭り騒ぎ” は、実に、こんな風合いのもと展開されていたのです。 その一方でストーリーは、鑑賞者に対して 医者・鶴瓶の
【 間接的人物像 】 を 【 現在の時制 】 において形作り、
【 主観的人物像 】 を 【 少し前の時制 】 で描かせていきます。
医者・鶴瓶 という人間を、このように多重的に表現してきたからには、
良好に築き上げてきた、彼の人間像が
一気に覆えされる 予感
を逆説的に持たざるを得なくなったのです。
と感じていたら、中盤以降、徐々にその 予見 が実現されることになるのです。
病院を転々としてきた事実。
父親の職業を偽っていた事実。
今は小さな事実が露呈されたに過ぎませんが、
【 間接的人物像 】 と 【 主観的人物像 】 という。
2つの側面 から語られてきた 医者・鶴瓶 の人物像が、
事実から
大きく乖離していく事 を
鈍く、確実に、実感 させてきたのです。
今作は、このような前フリを経て、いよいよ 医者・鶴瓶像 が崩壊する瞬間を迎えてたのです。
その表現が大変、素晴らしい。
今まで慣れ親しんできた、山村の風景から一転して、いきなり都会の高級マンションの外観が写し出されてきたのです。
カメラはゆっくりとズームインしていきます。
一部屋だけバルコニーに人がいて、そこにターゲットを定めているようです。
そして、その映像に電話の会話音がかぶさっていきます。
医者・鶴瓶 の行方を捜している刑事の声です。
どうやらこの部屋に 医者・鶴瓶 の母親が暮らしており、バルコニーで布団を取り込んでいるのが母親本人であることがわかります。
ズームインしていくうちに奥に、父親もいることもわかってきます。
電話の刑事は 失踪の件を伝え、情報を得ようとしますが、会話が母親とかみ合っていきません。
そのすれ違いは 鶴瓶 が医者であることの認識に集結してくるのです。
鶴瓶 が医者として働いていたことに驚きを隠せなく、思わず電話を切ってしまう母親。
その行為に、
全ての納得がいったのです。
制限文字数では語り切れず。完成版はこちら
↓
http(ダブルコロン)//ouiaojg8.blog56.fc2.com/blog-entry-96.html
何度も観ました
まずテンポがいいです
これは映画として非常に重要です
次に単純に映画として面白いです
ラスト泣きました
これは愛の映画です
鶴瓶は本当に役に恵まれましたね
あと題名から勘違いしやすいような、
別にいい医者が診療して回るだけの単純なお涙ちょうだいのバカ映画じゃありません
これは評価を高くつけるべき映画です
絶えず作品じたいは俯瞰で何がどうとかいうメッセージ性をわざと排除し、
セリフも説明くさい物や暑苦しいメッセージ性無しなんですけど何かが優しくあなたに伝わるはずです
映画として面白い
愛を感じる
ラスト泣ける
テンポがいい
鶴瓶は本当に役に恵まれましたね
瑛太は、7分丈のTシャツ&ズボンが似会うなぁ
ずっと観たかった作品。
この期待を超えて、グっとくる良い作品。
もう1度じっくり観たい作品。
鶴瓶さんは、本当にうまいなぁ。
生まれ変わるなら、鶴瓶になりたいな。(もしくは、さまぁ~ず三村。)
鶴瓶さんは、人の話を聞き出すのが、とてもうまい。
鶴瓶と話していたら、自分がとても面白い人になった気がしそう。
理想の上司、理想のお父さんだなぁ。
なんなら、鶴瓶さんに総理大臣になってほしい。
コミュ力・判断力に調整力もあり、適任では?
こんなお医者さんいたらよいなぁ。
もちろん医師免許がなく、医師を語るのは許せることではありません。
でも、免許があっても対人能力がなかったりするよりは、
対高齢者には特に、しっかり話を聞いてくれるお医者さんが
いるだけでも、無医村よりよっぽど良い気がする。
瑛太も良いなぁ。はずれがないかんじ。
7分丈のTシャツとズボンが似会うなぁ。
(私的セクシー瑛太は『アンフェア』の役だけど・・・)
余貴美子、香川照之、八千草薫、松重豊と、これでもかってくらいの芸達者な面々。
最近の香川照之の使われ方は、うまい演技をしてくれという要求に応えているからか
鼻につくことが多いけど、今回はスーっと入ってきた。
八千草薫は“こんなおばあちゃんになりたいNo.1”です。
井川遥もすっかり演技派に変身してきましたね(無造作髪アップが素敵)。
もし私が老年になってガンがわかったら、入院せず余生を過ごしたいなぁ。
でも、もし娘が医者だったら、もし家族に入院してほしいといわれたら、
無視はできないし、つらいだろうなぁ。
娘(井川遥)があの村の医者になれば、母(八千草薫)も余生を満喫し、
村人も安泰だと思うんだけど、そううまくはいかないのかなぁ。
お話もテンポよく進み、ひきこまれる。
前作の『ゆれる』も良い作品だけど、ドロっとしたかんじが苦手だった。
でも、こちらはバランスがとても好き。
TVで野球を一緒に観るシーン、アイスが溶けてくところなどなど、絶妙。
西川監督は若くてきれいでおしゃれで、こんな作品つくっちゃうなんて、すごいなぁ。
ラストシーンは賛否両論かもしれないけど、私は好きです。
想像してたのとかなり違った
タイトルの「ディアドクター」
そのディアーは村人から嘘医者への言葉なんやと
想像しながら見ていた。
結果は大はずれで嘘医者が本当の医者への憧れみたいな
意味のディアーだと思った。
(実際のところ僕もよくわからないが)
けど、最後はそこ(村人からの感謝)で落とさないと
お話としては成立しないような気がしました。
内容を簡単に書けば一行なんやもん・・・
「嘘医者がいて、ばれて逃げました」
ちがうやろ・・・・
ネタバレせずに見たかった
笑福亭鶴瓶の秘密を何かで知ってしまって軽く流布されているくらいだから大した問題ではないのかと思ったらかなり重大な秘密で中盤にそれが明らかになることでびっくりできなった。物語がミステリー仕立ての構成でとても重要なことだった。全てを忘れてもう一度見返したい。八千草薫の萌えおばあちゃんぶりがすごかった。間と空間の演出がとてもどうどうとしていた。
心配が、いちばん毒ですから
映画「ディア・ドクター」(西川美和監督)から。
「僻地医療を題材に描いたヒューマンドラマ」という紹介に
ちょっと疑問符をつけたいが、なかなか考えさせられる作品だった。
医師の資格を持たない主人公、伊野(鶴瓶さん)が、
多くの村人たちの診断をしていたが、その中のアドバイス。
「心配が、いちばん毒ですから」
この一言だけで、多くの人の心配を安心に変える力があるようだ。
さっきまで元気のない村民が、ちょっぴり元気になって帰っていく。
信頼されればされるほど、医師免許の持たない伊野は、
いつばれるか、と心配が募っているようだった。
もしかしたら、村民に掛けていた「心配が、いちばん毒ですから」は、
自分自身に向けて発していた台詞だったのかもしれない。
資格を持たないからこそ、本物の医師以上に勉強したりもする。
あの屈託のない笑顔の影に、大きな悩みが見え隠れするからこそ、
それを見破っている数少ない人たちが、彼を支えていた。
さて、どれくらいの人たちが、知っていたのだろうか、と観なおしたが、
村人はみんな知っていたようにも感じるし、
おかしいなぁ、と疑ってはいたが、みんな信じていたとも思えるし・・。
とにかく、ラストシーンでホッとさせられた。
笑福亭鶴瓶さん主役作品の中で、私はこれが一番好きかもしれない。
感動する作品ではない。
だけど、見終わった後に、「いい映画だったな」とそう思える作品です。
私がこの映画を観たのは、ヨコハマ映画祭です。
優秀作品賞に選ばれたので、どんな作品かとワクワクしていました。
ヨコハマ映画祭では、他に「のんちゃんのり弁当」と「強く風が吹いている」も観ましたが「ディア・ドクター」一番完成度の高い作品だと思いました。
一番感心したのは、主人公・伊野を演じた鶴瓶師匠。
田舎の牧歌的な風景に、鶴瓶師匠の雰囲気が非常によく融合しています。
だからと言って、ゆる~い作品ではなく、脇を実力派俳優で固めているので、作品がぐっと引き締まっていました。
物語は淡々と進んでいきますが、少しづつ登場人物の心情が見えてきます。
この見せ方が見事な作品だと思います。
その嘘は、罪ですか。
山あいの小さな村。
その村で唯一の医者として慕われていた医師が突然謎の失踪を遂げた。警察がやってきて捜査が始まるが、村人達は自分達が慕ってきたその男の素性を何一つ知らなかった。
遡ること2ヶ月前。
研修医の相馬がこの村に赴任した。コンビニ一つなく、住民の半分は高齢者という過疎地。そこで相馬は村人達から慕われ、頼りにされている伊野という勤務医に出会い、次第に彼の献身的な働きに感化され、一緒に働くうちに都会では感じたことのない充実感を覚え始める。
『ゆれる』と同じ、観終わった後にすごく色々なこと考えさせられる映画でした。正直に言うととても曖昧な映画でもあります。多くは語らず、無駄な説明は一切せず、いろいろなことが曖昧のまま、あとはすべて観客に委ねられる。そんな映画です。
映画は研修医・相馬が赴任した2ヶ月前と、村の唯一の医師が失踪した現在とか交差して描かれ、そして少しずつ真相に迫っていきます。
何が正しくて何が正しくないのか。
何が善で何が悪なのか。
人間には、世の中には、単純に白黒つけられないことが沢山ある。
誰の心の中にも善と悪が共存している。
数年前まで無医村だった僻地。そこで「神様、仏様よりも先生の方が頼り」と慕われてきた伊野。
伊野は村中の人たちから慕われれば慕われるほど、頼りにされればされるほど、喜び以上の苦しみや葛藤あったのではないだろうか?
自分はそんな偉い人間ではない。
人は皆、誰かに必要とされたり、頼りにされたり、評価されたりしたらうれしいと感じるものだと思います。そしてその思いは伊野にも間違いなくあったはず。
だけどそれと同時に、自分の実力以上の評価をされてしまっていることに居心地の悪さや不安、そして大きなプレッシャーをも抱えていたのではないだろうか?感謝されればされるほど、逆に劣等感や葛藤を抱えることになっていたのではないだろうか?
伊野をこの村に呼び寄せたのは村長。
わかっていることはそれだけ。だから伊野がどういう経緯で僻地医療に携わることにしたのか、どういう思いでこの村にやってきたのか、ということは全くわかりません。最初は本当に軽い気持ちだったのかもしれないし、彼自身、そんなに長くここで医師を続けるつもりもなかったのだと思う。むしろ、そんなに長く続けられるわけがないとすら思っていたかもしれない。
けれども自分の予想とは裏腹に村人たちから絶大な信頼を得てしまい、「ずるずる居残ってしまった」伊野。夜に必死で勉強する姿は、自分を守る為でもあったのだろうけれども、それ以上に村人達が抱いている通りの本当のいい医者になりたいという気持ちがあったのかもしれない。彼の父のように。ペンライトには、劣等感や憧れなど様々な思いが込められているように思いました。
伊野はこのままではいけないという思いが常に心の中にあったはず。ただきっかけと勇気がなかった。そのきっかけが、かづ子が娘に突き通したかった「嘘」だったのだろう。かづ子の希望を聞き、その「嘘」に付き合うことにした伊野。しかしかづ子の希望を叶える為についたその「嘘」が齎す大きさに気づいてしまったからこそ、白衣を捨てる決心ができたのだと。
看護師の大竹や営業マン斎門は、伊野の秘密を知っていたはず。もしかしたらかづ子も気づいていたかもしれない。それでも気づかないフリをしていたのは何故か。それは彼がつく嘘を一緒に突き通したいという気持ちがあったからなのだと思う。
大きな嘘をつかれていた側の心理描写も上手い。
特に相馬の態度の変化。あれだけ絶賛していた伊野について刑事に語る彼は、別人かと思うほどの冷酷さを見せる。その相馬の裏切りにも見える姿は保身や狡賢さであると同時に、彼が心に負った哀しみでもあったのではないだろうか。
駅のシーンで終わりかと思いきや、まだ続きがありました。ある意味この終わり方は西川監督っぽくない感もありましたが、このラストにしたことで観客に解釈をしやすくしてくれたのかな。
この映画は『ゆれる 』で予想をはるかに越える高評価を得たことで、映画監督というポジションにいる自分への違和感や戸惑い、据わり心地の悪さを抱いた西川監督自信の物語なんだそうです。いかにも本物っぽい顔で働きながら、実は拠り所のない不安を抱えている人。みんながなるべくして今の自分になったとは限らない。西川監督が描こうとしたのはそんな曖昧な「贋物」。
その贋物は罪なのか?
本物よりも大切な贋物があってもいいんじゃないか。
贋物が本物にあることだってきっとある。
『ゆれる 』を観た後同様、今回もまた観客に解釈を委ねているので、鑑賞後はすごくいろいろ考えさせられる作品でした。
それから鶴瓶が主役ってどうなの?とちょっと思っていたのですが、これが伊野にぴったりはまっていてすごくよかったですよ。「笑福亭鶴瓶という人間は全部消えて、伊野治という人だけがスクリーンに映っている-そんな主役でありたいという思いがあった」と語るその通り、スクリーンには鶴瓶はおらず、伊野だけがいました。
鶴瓶を偽善者に配したキャスティングの勝利
観終わったあとにグッと手応えを感じた。こういう映画を観るために映画が好きになった、などとオーバーに思うくらい、邦画と洋画の区別なく、2009年ナンバーワンの秀作だ。またこの作品、鶴瓶という特異な経歴のテレビ・タレントを配していなければ、これほどの秀作にならなかったかもしれない、とも思う。
私は高校卒業まで関西で暮らしていたのだが、その頃にラジオパーソナリティとして関西の若者に絶大な人気を博していたのが、この映画の主役を演じた笑福亭鶴瓶だった。なぜ人気が高かったかというと、素人をいじるのが上手く、しかも口角泡を飛ばさんばかりに悪態をつく声が若者たちの共感を呼んだからだ。ところが、その人気者が東京に進出した途端、その悪態ぶりがだんだんと薄れていって、老人たちをいじるのがうまいタレントになっていった。昔を知っている者からすると、今の鶴瓶は偽善者そのものにしか見えてこないのだ。
その鶴瓶が、偽善の極致と言うべきかもしれないニセ医者役を演じたのは、当然の流れだったのだう。が、その偽善者が偽善を演じてみるからこそ、恐ろしいほどのリアリティーが出てきたことまでは、ひょっとすると演出した西川監督も予想外だったかもしれない。
この作品の大きな見どころは、ニセ医者が偽モノを演じなければならない苦悩だ。特に、自分がニセとは言えずに八千草薫演じる病気のおばあちゃんとかかわるシーンは、観客はスリリングでありながら心の温もりを感じる、見事な鶴瓶と八千草の演技と西川監督の演出ぶりだった。特に、鶴瓶は、テレビで偽善者をやっているかゆえの苦悩をもつ自分自身を演じているようだった。テレビで育んだ偽善者たる者でないとできないリアリティーさではなかったかと思う。
テレビというのは偽善でなりたっているのだから、鶴瓶が関西の人気者だった姿のままを通していたら、今ほどのタレントにはなっていなかっただろう。そのテレビに自分を合わせていった鶴瓶を、ここで散々こきおろしたかのように感じたかもしれないが、テレビに合わせていけるかどうかというのも、また芸能人の才能だ。鶴瓶は、その才能が高いタレントであるのだから、偽善者というのは、この場合のみ、私はほめ言葉だと思っている。
人間、医療の複雑さが描けている
人間、医療の複雑さと多様さがよく描けている脚本、映画でした
おすすめの1本です
私の今年のベストいくつかに確実に入ると思います
西川監督の手腕に再び感服しています
脚本、編集と演技(演出)のうまさから2時間余の時間があっという間に経過しました
一方でよくわからないという人がいるのも少し理解できます
監督は説明的なせりふをあえて少しだけ少なめにしてあいまいさをあえて残しているので、題材に身近な経験がない年齢が若い人にはわかりにくいこともあるのでしょう それはそれで複雑さ、あいまいさをあえて表現したのだと考えています
私は医療人ですので「嘘」の内容は2つとも予告編を見たときの予想通りでしたが、編集のうまさと医療現場のきめ細かい表現のうまさで違和感なく映画を堪能できました
監督の次回作にも期待したいと思います
全72件中、41~60件目を表示