「ポータブルDVDにゆる地下鉄内レビュー」ディア・ドクター マーク・レスターさんの映画レビュー(感想・評価)
ポータブルDVDにゆる地下鉄内レビュー
失踪した 医者・鶴瓶を巡って、
【 現在という時制 】 においては、第3者による評価を元にして
【 間接的人物像 】 を。
【 少し前の時制 】 では、医療に従事する姿を直接目撃することで
【 主観的人物像 】 を。
それぞれ、2つの時制 によって提示される、この 2つの人物像 を
足掛かりにして、今作に発生していく
【 失踪の謎 】 と 【 診断の謎 】 。
この 2つの 「謎」 を 推理する楽しさに満ちた鑑賞となりました。
また、
「問題提起」 は、する。
↓
でも、「暗い」 まま終わらせない。
↓
しかし、「問題解決」 は、しない。
というユルイ立ち居地が、何故かしら心地良く感じた。
そんな不思議な映画でした。
無医村に赴任していた医者が姿を消し、彼に医療を支えられていた村人達や、行方を捜索する刑事、そして、共にこの村の医療に携わっていた看護士と研修医が彼を探すところから物語は始まります。
姿を消すことになる医者を 笑福亭鶴瓶 が
“人間味溢れる” 部分を基調にして、
姿を消すことになる
“謎” の部分を醸し出しながら
演じていきます。
ベテランの看護士は余貴美子。 アカデミー外国語映画賞を受賞した 「おくりびと」 で演じた役柄を思い出しました。
「おくりびと」 では、主人公の モックン と、葬儀社の社長 山崎務 の2世代間を繋いでいく役どころでしたが、今作においても、 鶴瓶 演じる姿を消す医者と、都会的な匂いを発散させながら登場する若き研修医との、
2世代間の隙間を埋めていく役どころ
になるのか注意していきたいと思ったのです。
で、研修医は赤いスポーツカーに乗って 瑛太 がやって来たのです。
この医療スタッフに、村人達。そして、行方を捜索する刑事達を織り交ぜながらストーリーは展開していきます。 映画が進んでいく中で鑑賞者は、
【 現在の時制 】 において、 失踪した 医者・鶴瓶 に対する、
第3者からの証言を元に、医者・鶴瓶 という人間の
【 間接的人物像 】 を形作り、
【 少し前の時制 】 では、 看護士、研修医と共に農村医療に
従事していく姿を直接目撃しながら、医者・鶴瓶 の
【 主観的人物像 】 を創出していくのです。
そして、
【 2つの時制 】 の行き来で生成した、この 【 2つの人物像 】 を手掛かりにして、今作に発生していく 【 2つの謎 】 を追いかけることになるのです。
まずは、第1の謎 ”なぜ 医者・鶴瓶 は失踪してしまったのか?”
という 【 失踪の謎 】 に取り掛かる訳ですが、
【 少し前の時制 】 において、興味深いシークエンスがあったので、言及してみたいと思います。
老人の臨終の席において、延命機器を装着しようと提案する 医者・鶴瓶 に対して、
その措置を家人が辞退。
その後、明らかに、その老人の介護を押し付けられていたと思われる、地味で薄幸そうなお嫁さんの
怯えたような複雑な表情
を今作は捉えたきたのです。
これは、
「長寿」 という美辞のウラに存在する
「老人介護」 という問題 が
姿を見せた瞬間だったのです。
しかし、この場面で
「問題提起」 は、する。
↓
でも、「暗い」 まま終わらせない。
↓
しかし、「問題解決」 は、しない
という、今作を貫いている ユルイ立ち居地 を
発見したのです。
「老人介護」 という問題が提起された次の瞬間、臨終したと思われた老人の口から、喉に詰まったモノが出てきたことによって彼は蘇生をするのです。
コメディーのような展開に亞然としていたら、偶然による、しかし、神がかり的なこの成果に興奮した村人たちが 医者・鶴瓶 を讃えながらお祭り騒ぎをするという、これまたドタバタ喜劇のような展開を見せていったのです。
「老人介護」 という 「問題提起」 はする。
↓
でも、コメディー的な “蘇生” と、その後の “お祭り騒ぎ”
によって、このシーンを 「暗い」 いままには終わらせない。
↓
しかし、「老人介護」 という 「問題解決」 は、しない 。
このような、ユルイ立ち位置で、 「陰」 に曇りがちそうな流れを、半ば強引に 「陽」 に転換してきたのです。
この様子を興味深く見ていたら、この ユルイ立ち位置 が実は、開始早々から提示されていたことに気付いたのです。
「医師 失踪」 という 「問題提起」 があった。
↓
でも、医者・鶴瓶 の飄々としたキャラクターが語られたことで、
緩やかな気分を創出。
そのシーンを 「暗い」 ままには終わらせない。
↓
しかし、 気分は 「陽」 に転換しながらも、
「医師 失踪」という 「問題解決」 は、していない。
前述の 「老人介護問題」 の後の "お祭り騒ぎ” は、実に、こんな風合いのもと展開されていたのです。 その一方でストーリーは、鑑賞者に対して 医者・鶴瓶の
【 間接的人物像 】 を 【 現在の時制 】 において形作り、
【 主観的人物像 】 を 【 少し前の時制 】 で描かせていきます。
医者・鶴瓶 という人間を、このように多重的に表現してきたからには、
良好に築き上げてきた、彼の人間像が
一気に覆えされる 予感
を逆説的に持たざるを得なくなったのです。
と感じていたら、中盤以降、徐々にその 予見 が実現されることになるのです。
病院を転々としてきた事実。
父親の職業を偽っていた事実。
今は小さな事実が露呈されたに過ぎませんが、
【 間接的人物像 】 と 【 主観的人物像 】 という。
2つの側面 から語られてきた 医者・鶴瓶 の人物像が、
事実から
大きく乖離していく事 を
鈍く、確実に、実感 させてきたのです。
今作は、このような前フリを経て、いよいよ 医者・鶴瓶像 が崩壊する瞬間を迎えてたのです。
その表現が大変、素晴らしい。
今まで慣れ親しんできた、山村の風景から一転して、いきなり都会の高級マンションの外観が写し出されてきたのです。
カメラはゆっくりとズームインしていきます。
一部屋だけバルコニーに人がいて、そこにターゲットを定めているようです。
そして、その映像に電話の会話音がかぶさっていきます。
医者・鶴瓶 の行方を捜している刑事の声です。
どうやらこの部屋に 医者・鶴瓶 の母親が暮らしており、バルコニーで布団を取り込んでいるのが母親本人であることがわかります。
ズームインしていくうちに奥に、父親もいることもわかってきます。
電話の刑事は 失踪の件を伝え、情報を得ようとしますが、会話が母親とかみ合っていきません。
そのすれ違いは 鶴瓶 が医者であることの認識に集結してくるのです。
鶴瓶 が医者として働いていたことに驚きを隠せなく、思わず電話を切ってしまう母親。
その行為に、
全ての納得がいったのです。
制限文字数では語り切れず。完成版はこちら
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