「天才的な構成力により、あり得ない話に現実感を持たせています。鶴瓶師匠の演技が素晴らしかったです。」ディア・ドクター 流山の小地蔵さんの映画レビュー(感想・評価)
天才的な構成力により、あり得ない話に現実感を持たせています。鶴瓶師匠の演技が素晴らしかったです。
作品チラシのコピーにはこんな文字が躍っています。
この村に医者はひとりもいない。
人は 誰もが
何かになりすまして
生きている
その嘘は罪ですか。
そして冒頭の「医師」の突然の失踪・・・。
こんなにヒントがあったら、感のいい人なら、「ディア・ドクター」のあらすじを言い当てられることでしょう。
半分ネタバレ気味でスタートするストーリーは、主役の素性がはっきりしない村の診療所の医師である伊野の医師としての真贋を問うものではありませんでした。
むしろそんな医師として怪しい人物が、どうやって村の診療所の医師として収まるかばかりか、村人たちに神様と崇められるくらい信頼される存在になり得たかというプロセスを明かすことで、医師不足や医療の本質にまで切り込んでいるのです。
一見あり得ないような話を、パズルをはめ込むように細かく伏線を張っていって、いかにも起こりそうなストーリーに紡いでいく西川監督は、天才的な構成力を持っていると思いました。こんな緻密なストーリーのコンセプトを一瞬で描けるなんて大したものです。
人には決して語れない嘘を抱えた主人公。村民から讃えられるほどに複雑な顔を見せる微妙な心理描写は絶品です。師事した監督が是枝監督というのも、なるほど納得です。
もちろん、物語のリアルティの背景には、山間地の地域診療所を丹念に取材したこと。そのなかで医師や住民の話を取り込んだことが多いに反映されていると思います。
チラシ・宣伝等でのネタばれコピーとは裏腹に、物語の前半では、村民に愛される伊野の医師としての日常をたっぷりと描きます。その姿には医師として非の打ち所がありません。
そんな伊野の元に、研修医として赴任してきた啓介は、当初こそ理論理屈で反発しつつも、やがて人間面で伊野を尊敬するように変わっていきます。そして、大病院の跡取り息子でありながら、病院を継ぐことを拒否してまで、伊野の元で働きたいと申し出ます。
前途有望な研修医の申し出に、伊野は苦笑い。俺はニセ医師だから、ついてきたら後悔するぞと冗談交じりに語ります。しかし啓介は、血相を変えて、それならうちの父親の方が「ニセ医師」ですと食ってかかるのです。うちの父なんて、病院経営の医業の方ばかりで、医療に全然携わっていない。それで医師でございというのは、医者のニセ者でしかないと啓介はいうのです。
二人の会話を通じて、ペーパーでも資格を持っていたら医師と見なすのか。それとも、医師としては素性が怪しい伊野であっても、村の医療を立派に担っている現実を重視すべきか、本作はさりげなく問いかけます。
後半になって、伊野自身はあまり治療らしい行為を行わず、重傷の患者はすべて大病院へ紹介状を出すことで対応していたという事実が明かされます。
それでも伊野の往診で治癒する村民が続出していたのは、伊野の仁者としての言葉による治療効果が絶大であったことなのでしょう。医療の目的が医療報酬獲得と製薬の押し売りが主となり、患者の治癒が従となっている昨今、医は仁術という原点を問いかけてくれる作品でした。
これまで曖昧でも医者として通用してきた伊野が転機を迎えるきっかけとなったのが、鳥飼かず子の診察から。彼女は娘たちに余計な負担をかけさせたくないあまりに、末期がんである病状を誤魔化してほしいと伊野に頼みます。
このシーンで考えさせるのは、延命治療の問題点です。
肉体を切り刻まれて、パイプをぶち込まれて、人間というよりもロボット状態で延命されるのは、人間性の尊厳にも劣ることではないでしょうか。そして、その間のご家族の精神的・経済的負担は馬鹿になりません。このほど成立されたとある新党の政策パンフレットにも、自然死・ターミナルケアの推進が医療費の軽減にもつながるということを指摘してありました。
自然死を政治的に強制するのはどうかと思います。でも逆に、最近まで大病院では、自然死を選択できなかったのです。
ですから自分の最後をどう送るべきかぐらいは、患者サイドにたった選択肢を用意すべきではないでしょうか。末期を迎えたかず子の病状と、それに対応するべく、ターミナルケアの理論を夜なべして自習する伊野の対応のなかに、高齢化社会を迎えた医療のあり方が問われておりました。
心理描写が巧みな本作のため、語りたい名シーンは、書ききれないほど沢山あります。中でも鳥肌ものだったのが、かず子の娘で女医をしているりつ子が帰省したときの伊野の対応でした。
当初は作戦通り、他人の胃カメラ写真をりつ子に見せて、胃がんを胃潰瘍で誤魔化し通してしまいます。しかし、かず子が生きているうちに、りつ子が帰省しないことを知るや態度を豹変。冒頭の失踪シーンと相成るのです。
かず子とのガンであることを隠す約束と、隠すと親子がこれで生き別れてしまうという辛い現実との板挟みに伊野は陥り、動揺します。そして、何も説明せず診療所を立ち去りました。人づてにかず子には真実のカルテを送って、自らは姿を消すほかしかなかったのでしょう。
このとき見せる主演鶴瓶師匠の抑制のきいた演技が素晴らしかったです。
失踪した伊野の足取りを求めて捜査する警察が関係者への事情聴取をするなかで、伊野の正体が明らかになっていきます。
すべてが明らかになったとき、伊野のついてきた嘘を、あなたは許せるでしょうか?
小地蔵は、ラストに登場する伊野の落とし前の付け方を見て、大いに許せました。
ロケは、主に茨城県の常陸太田市の寒村にある棚田地帯で撮影されたようです。その映像美も素晴らしく、エメラルド色の稲穂が一斉に風にそそぐシーンなど、忘れがたい場面をスクリーンに焼き付けていました。
●mixiでの追加コメント
小地蔵はこの作品を見て、西川監督の演出力の凄さを感じました。
でもご本人は、『ゆれる』の高い評価に戸惑っているようなのです。そんな大それたポジションで評価されることへの違和感、居心地の悪さが、本作のモチベーションとなったと言うから謙虚ですよね。
自らをまだ『ほんもの』扱いにしていないとは驚きです。
『ディア・ドクター』のテーマは、「偽物とは何か」という点がシャープに浮き彫りにされていました。自称「なんちやって監督」とへりくだる西川監督が監督でないなら、大監督たちは、『ガマの油』となるしかないでしょうね。