劇場公開日 2009年6月27日

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「その嘘は、罪ですか。」ディア・ドクター masakoさんの映画レビュー(感想・評価)

4.5その嘘は、罪ですか。

2010年2月16日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

知的

難しい

山あいの小さな村。

その村で唯一の医者として慕われていた医師が突然謎の失踪を遂げた。警察がやってきて捜査が始まるが、村人達は自分達が慕ってきたその男の素性を何一つ知らなかった。

遡ること2ヶ月前。

研修医の相馬がこの村に赴任した。コンビニ一つなく、住民の半分は高齢者という過疎地。そこで相馬は村人達から慕われ、頼りにされている伊野という勤務医に出会い、次第に彼の献身的な働きに感化され、一緒に働くうちに都会では感じたことのない充実感を覚え始める。

『ゆれる』と同じ、観終わった後にすごく色々なこと考えさせられる映画でした。正直に言うととても曖昧な映画でもあります。多くは語らず、無駄な説明は一切せず、いろいろなことが曖昧のまま、あとはすべて観客に委ねられる。そんな映画です。

映画は研修医・相馬が赴任した2ヶ月前と、村の唯一の医師が失踪した現在とか交差して描かれ、そして少しずつ真相に迫っていきます。

何が正しくて何が正しくないのか。

何が善で何が悪なのか。

人間には、世の中には、単純に白黒つけられないことが沢山ある。

誰の心の中にも善と悪が共存している。

数年前まで無医村だった僻地。そこで「神様、仏様よりも先生の方が頼り」と慕われてきた伊野。

伊野は村中の人たちから慕われれば慕われるほど、頼りにされればされるほど、喜び以上の苦しみや葛藤あったのではないだろうか?

自分はそんな偉い人間ではない。

人は皆、誰かに必要とされたり、頼りにされたり、評価されたりしたらうれしいと感じるものだと思います。そしてその思いは伊野にも間違いなくあったはず。

だけどそれと同時に、自分の実力以上の評価をされてしまっていることに居心地の悪さや不安、そして大きなプレッシャーをも抱えていたのではないだろうか?感謝されればされるほど、逆に劣等感や葛藤を抱えることになっていたのではないだろうか?

伊野をこの村に呼び寄せたのは村長。

わかっていることはそれだけ。だから伊野がどういう経緯で僻地医療に携わることにしたのか、どういう思いでこの村にやってきたのか、ということは全くわかりません。最初は本当に軽い気持ちだったのかもしれないし、彼自身、そんなに長くここで医師を続けるつもりもなかったのだと思う。むしろ、そんなに長く続けられるわけがないとすら思っていたかもしれない。

けれども自分の予想とは裏腹に村人たちから絶大な信頼を得てしまい、「ずるずる居残ってしまった」伊野。夜に必死で勉強する姿は、自分を守る為でもあったのだろうけれども、それ以上に村人達が抱いている通りの本当のいい医者になりたいという気持ちがあったのかもしれない。彼の父のように。ペンライトには、劣等感や憧れなど様々な思いが込められているように思いました。

伊野はこのままではいけないという思いが常に心の中にあったはず。ただきっかけと勇気がなかった。そのきっかけが、かづ子が娘に突き通したかった「嘘」だったのだろう。かづ子の希望を聞き、その「嘘」に付き合うことにした伊野。しかしかづ子の希望を叶える為についたその「嘘」が齎す大きさに気づいてしまったからこそ、白衣を捨てる決心ができたのだと。

看護師の大竹や営業マン斎門は、伊野の秘密を知っていたはず。もしかしたらかづ子も気づいていたかもしれない。それでも気づかないフリをしていたのは何故か。それは彼がつく嘘を一緒に突き通したいという気持ちがあったからなのだと思う。

大きな嘘をつかれていた側の心理描写も上手い。

特に相馬の態度の変化。あれだけ絶賛していた伊野について刑事に語る彼は、別人かと思うほどの冷酷さを見せる。その相馬の裏切りにも見える姿は保身や狡賢さであると同時に、彼が心に負った哀しみでもあったのではないだろうか。

駅のシーンで終わりかと思いきや、まだ続きがありました。ある意味この終わり方は西川監督っぽくない感もありましたが、このラストにしたことで観客に解釈をしやすくしてくれたのかな。

この映画は『ゆれる 』で予想をはるかに越える高評価を得たことで、映画監督というポジションにいる自分への違和感や戸惑い、据わり心地の悪さを抱いた西川監督自信の物語なんだそうです。いかにも本物っぽい顔で働きながら、実は拠り所のない不安を抱えている人。みんながなるべくして今の自分になったとは限らない。西川監督が描こうとしたのはそんな曖昧な「贋物」。

その贋物は罪なのか?

本物よりも大切な贋物があってもいいんじゃないか。

贋物が本物にあることだってきっとある。

『ゆれる 』を観た後同様、今回もまた観客に解釈を委ねているので、鑑賞後はすごくいろいろ考えさせられる作品でした。

それから鶴瓶が主役ってどうなの?とちょっと思っていたのですが、これが伊野にぴったりはまっていてすごくよかったですよ。「笑福亭鶴瓶という人間は全部消えて、伊野治という人だけがスクリーンに映っている-そんな主役でありたいという思いがあった」と語るその通り、スクリーンには鶴瓶はおらず、伊野だけがいました。

masako