「嘘つきはカリスマの始まり。」ディア・ドクター ハチコさんの映画レビュー(感想・評価)
嘘つきはカリスマの始まり。
「蛇イチゴ」や「ゆれる」で家族の建前と本音を見事に描き、
人間の深層心理を暴きだすことに成功した?西川監督。
難しいことは何も言っていないのに、そう、そこなんだよね!
というところに手が届く描き方をする手腕は相変らずスゴイ。
今回の作品は、私的に「ゆれる」ほどの衝撃性はなかったが、
ジワジワと迫りくる病魔と真相解明がミステリー感覚ながら、
山村が妙なほのぼの感を生み出しているところが面白かった。
無医村は、確かに多いと思う。おそらくは、誰でもいいから
医師が欲しい!と待ち望む高齢者たちで溢れているだろう。
「病は気から」とはよく言ったもんで、話を聞いてくれる医者が
大人気なのは都会でも同じ。高度で高額な医療を施さないと
治せない病気は多いが、安価で安心できる医師が傍にいたら
それこそ「親愛なるお医者さま」と崇められるのは当然だろう。
さらに人間は、自分が必要とされるとなおさら、高みに乗じる。
「どうせ自分など」と思っていた人間ほど、その歓喜が危機に
変わるギリギリまで、その波に乗ってしまうものかもしれない。
無免許。無資格。が許されないことは私達も分かっている。
でも、じゃあなんで連日ニュースではそういうカリスマ?達が
世間の人気を独占しては逮捕されるまでを流してるんだろう。
考えてみたら、世の中なんて嘘つきだらけじゃないのか。
「嘘」が二分類されるのは、つく側とつかれた側の信頼関係と
必要性(金銭も)が問われるからで、そこで善悪が判断される。
「やさしい嘘」「ゆるせない嘘」「自分を守りたい一心でつく嘘」
「相手を守るためにつく嘘」など、判定は一筋縄ではいかない。
なんかダラダラと語ってしまったが…^^;
この人の作品を観ると、いつもそういうことを考えてしまうのだ。
じゃあ、自分はどうなんだろうかと。
今作では様々なタイプの人間が、様々な形でその医師を信頼し、
のちに警察が介入してくる場面では、またそれぞれの事をいう。
まったく人間ってやつは…(爆)と苦笑いしたくなる場面も多く、
とはいえ、これからの事を考えると、いいのか?このままで??
という気にさえなってくる。所詮、人間の生き死にに関わる者が、
すべて善人だなんてことはないし、家族とて様々な思惑を抱えて
いるものである。ご老体が生死を彷徨う場面では、申し訳ないが
その光景に笑ってしまった。とてもリアルな家族模様の悲喜交々。
(但し、表面的には平静)あぁ本当に、人間ってやつは。。。
だけど、何より愛おしいのも家族なんだよ、と監督は突きつける。
末期の病に苦しもうが、娘には迷惑をかけたくないと我慢する母。
最先端の医療が、何もできない癒し、に敗北を期す瞬間…だけど、
医師にも親はいるわけだ。いくら嘘をつき通してくれと言われても、
もうここまで。と思ったのだろう。あの決断はあれで正解かと思う。
どうにもこうにも手も足も出なくなれば、最後は「プロ」任せしかない。
どちらかというとその瞬間を、彼はずっと待っていたんだろう。
病は気から…でも、気だけで病を完治させることは出来ないのだ。
親愛なる所以は、その人の「一挙手一投足」が物語っている。
最強の神のはずがないのに「カリスマ」と呼ばれる所以と同じだ。
(緊急処置のシーンはかなりドキドキする。余貴美子、巧すぎ!)