「もうひと花咲かせたいのか。濡れ落ち葉の一生懸命さが、哀しくて愛しい。」エレジー きりんさんの映画レビュー(感想・評価)
もうひと花咲かせたいのか。濡れ落ち葉の一生懸命さが、哀しくて愛しい。
これは観ていなかった事が悔やまれる。
【ペネロペ・クルス】
ここまで実力ある演技派だったとは知らなかったです。驚きました。
【ベン・キングズレー】
「ガンジーの影がチラついてーw」というレビューもありましたが、元々このひとは英国のシェークスピア俳優ですから。
とにかく主要俳優5人の名演には唸ってしまった。
何故本作、これほど知られていないのだろう?もったいないです。
当代一の主演二人が演じるから、(たとえあらすじは“渡辺淳一”であろうとも)ここまで格調高いラブストーリーになるのです。
流れるピアノのメインテーマは、マルチェッロのオーボエ作品をバッハが鍵盤曲にアレンジした「BWV974」から、珠玉のアダージョ。
⇒ これ「水を抱く女」でも使用された名曲ですよね。
そしてベートーヴェンやエリック・サティの寂しげなピアノに乗せて、美しき教え子にのめり込んだ男(教授)の追憶の恋が悲しいです。
ベン・キングズレーが《愛すれば愛するほどにその先に踏み出せなくなる初老の男の恋》を見事に好演。
ペネロペ・クルスに対しての彼の心中=「もしや自分はもて遊ばれているのでは」とベンが少しでも疑ってしまえば、男の側が怖じ気づくのも仕方ないのではないかなぁ・・
教え子の卒業パーティーから逃げたりして、初老の自分の容姿をペネロペ・クルス家に晒すことへの二の足もあるだろうけれど、カトリック信徒のキューバ一家に「結婚を前提としていない自分」を引き合わせることへの尻込みもあったはず。
助演者のキャスティングが絶品だ。
・詩人で親友のジョージ【デニス・ホッパー】と
・元妻役の【パトリシア・クラークソン】、
・そして疎遠だった息子【ピーター・サースガード】らの素晴らしい助演。
歳をとり臆病になった自己に対面して初めて、息子や元妻や友人らとの対話に支えられて、終盤物語はグイグイと進展し、教授は恋心に決着をつけようと一歩踏み出そうというのだ。
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【もうひと花咲かせるということ】
昔、ひょんなことから電照菊を栽培・出荷していたことがある。
「短日植物」である菊は、夏が終わりに近づき昼間の日照時間が減り始めると蕾を作る。
これは、「菊は日没が早まったことを敏感に察知して、そして間もなく近づく冬枯れの時を予感して、自らの一生を終える前に彼らは蕾を作り、花を咲かせ、そうして種子を残していこうとする作業に入る」ということ。
花は、終活なのだ。
(開花時期= 出荷時期を調整するために、花農家は1時間日照が減れば1時間ぶん畑の上で電球を灯し、2時間日照が減れば2時間畑の上で電球を点ける。
そうして秋の気配を菊の苗に隠して短日を相殺する。老いをまだ無いものとして封印し、若さだけを継続し、死を隠すのだ)。
日の翳りが訪れる。
植物も、そして動物も同じだ、
健気(けなげ)にも我々人間も含めて、生きとし生けるものすべてが、人生の思秋期には自分が生きた証を残そうする。
―死ぬ前に愛したい。
―死ぬ前に愛されたい。
そのような無意識の自然の衝動には、僕は人間に対しても愛しさを感じざるを得ない。
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夏。若者の季節にはすべてをおのが実力で獲得し
また自分の意志でそれを捨てることも出来ていたのだろう。
しかし彼=教授も人生の終盤に差し掛かれば、そこには失うもの、奪われていくものが秋雨とともに彼の心を弱気にさせる。
燃え上がる男の心に、
そして消える寸前の女の命に、
曇り空と、遠浅の海がしみた傑作だった。