「静かに感動を呼ぶ名作でした。ジェンキンスの演技も最高です。」扉をたたく人 流山の小地蔵さんの映画レビュー(感想・評価)
静かに感動を呼ぶ名作でした。ジェンキンスの演技も最高です。
本日は、こんな素敵な作品にご招待していただいたマイミクさんに、心から感謝します。全米で僅か4館の公開が、口コミで270館に拡がり、半年間のロングラン興業の結果、興行収入でベスト10に入った作品です。
何がアメリカ人の心を掴んだのか?その背景には、9.11テロ以降、移民政策の唐突な変更が、本作で描かれるような人権問題を引き起こしていることがあります。違法滞在者に対する余りの仕打ちにも主人公のウォルター同様の憤りを感じたアメリカ人は多かったのではないでしょうか。
本題の『扉をたたく』は、巧みなネーミングだと思います。かつて「人種のるつぼ」と言われてきたアメリカでも、9.11テロ以降は、マイノリティに対して不寛容な空気が増してきて、その『扉』は堅く閉ざされたのです。
本編に登場するシリア難民のタレクなんか、ちゃんと難民申請して、アメリカの学校を出ているのにもかかわらず、「書類の不備」という理由だけで、家族を残したまま、母国へ強制送還されてしまうのです。なんとも理不尽です。
そんな色濃い社会派作品ながら、本作は、淡々と登場人物に起こる出来事を静かに追いかけるだけで、そんな理不尽に沈黙しているかのようでした。
何故寡黙な作品なのでしょうか?
それは主人公のウォルター自身が、妻の死後、全てにおいて拒絶して、心の扉を深く閉ざしていたからのです。
妻が上手だったピアノを覚えようとしても、ピアノ教師の指導を受け入れず、4人も解雇したものの、上達しないことに苛立ったり、講義は講義で、20年間同じレジュメを使い回して、忙しそうなそぶりだけ見せたりで、人間らしさすら失せていたのです。
そんな主人公だったので、立ち上がりはとても淡々となったのです。
そんなウォルターの心の扉をたたいたのがシリア難民のタレクでした。彼は、騙されてウォルターの管理するアパートに彼女のゼイナブと勝手に住んでいました。行き場のないタレクを哀れみ、次の住処が見つかるまで、ウォルターは二人の居住を許します。
仕事の関係で、ウォルターもアパートに滞在することになります。この共同生活は、深く閉ざしていたウォルターの心を和ませていったのです。
もう一つウォルターの心の扉をたたいたのが、タレクが演奏するジャンベ(アフリカン・ドラム)もともと音楽が好きだったウォルターにとって、4ビートの五線譜で演奏するクラッシック音楽よりも、3ビートの魂の鼓動でたたくジャンベのリズムが新鮮に響いたのです。タレクにジャンベを習うようになり、ウォルターはそのリズムに生きている実感を蘇らせていくのでした。
本作は、アフリカン・ビートへのオマージュを強く感じました。太古のアフリカの大地では、コミュニケーションの手段だった太鼓やドラムなどの打楽器は、敲くほどに人と人とを理屈抜きに結びつけるものであったのでしょう。
タレクは、ウォルターを公園で繰り広げている大勢のセッションへと連れて行きます。 最初は、戸惑うウォルターでも、ジャンベを無心に敲くうち、メンバーと呼吸がぴったり合うようになります。
ジャンベの奏でるリズムは、人種や民族を超えて、理屈抜きで人々を結びつける力があるものだと感動しました。ここに、きっと本作の見えないメッセージが隠されているのだと思います。
そして満面の笑みを浮かべるウォルターを見ていると、シャンベがウォルターの心の扉をたたいたのが、分かりました。まるで閉ざされた心から閂の外されたかのような表情だったのです。
せっかくの二人の友情も、タレクが逮捕されることで、直接ふれあうことはできなくなります。しかし、それ以降のウォルターは、休職してまで、タレクの出所に全力を尽くします。心の扉を開くとき、こうも人は愛と情熱に目覚めるものでしょうか。
そして圧巻は、タレクを心配して南部から単身上京してきたタレクの母親モーナへの献身ぶり。ウォルターの尽力空しく、母国へ強制退去させられたタレクを追って帰国するモーナとウォルターの別れは切なかったですね。いい仲になりつつあっただけに。そして一度出国するともう二度とモーナはアメリカに入国できないのでした。
私もウォルターのように、マイノリティーに心の扉を拡げたい。そう思って目頭を熱くしたアメリカ人は続出したのでしょう。
静かに感動を呼ぶ名作でした。ジェンキンスの演技も最高です。