天安門、恋人たちのレビュー・感想・評価
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Flourish of Society pre Cell Phone
A sultry tale of love, lust, and cheating in the Chinese diaspora, pre- and post-Tiananmen, from the autonomous Korean republic in Manchuria, to Beijing, to Berlin. One can sense the excitement of Chinese youth finding life in this heavy transition while the West was moving into the dot com boom. Appropriately long and moody, it's sure to swallow up your afternoon put you in the mood for sex.
若さゆえ Due to their youth
天安門事件の前後、
自身は、高校から浪人、大学だったので、
主人公たちとほぼ同世代ということになる。
自分と比べると、
他人との関わり方が
とても濃いと感じた。
天安門事件との関わりで、
中国国内に止まらず、
海外までと考えると、
スケールの大きさも違う。
羨ましさと、
そこまでの濃い人間関係がゆえ、
出来たこと出来なかったこと、
その違いについて、
考えてしまった。
彼らは故郷を離れ、
両親とも離れていたので、
自分の意思で動けて、
同時に責任も負った。
そこは少し憧れる。
と、観ながら、
その時間軸が自分の人生とも重なるので、
客観的になるのが難しい映画だった。
During the time of the Tiananmen Incident,
I was in the transition from high school to a year off before university, and then to university.
So, I was almost the same age as the protagonists.
Compared to myself,
I felt that their interactions with others were much deeper.
Thinking about the connection with the Tiananmen Incident,
not only within China but also overseas,
the scale of their actions was different.
There was a sense of envy,
and due to such deep relationships,
I reflected on what they were able to do and what they couldn’t do,
and how that differed from my own experiences.
They left their hometowns,
and were separated from their parents,
so they could act on their own will,
while also bearing the responsibility.
In that aspect, I somewhat admired them.
As I watched,
the timeline overlapped with my own life,
making it difficult to remain objective about the movie.
天安門事件10% ラブストーリー90%
天安門事件を描く映画じゃなく、ラブストーリーがメインで、天安門事件の影響がバックグラウンドに薄く存在するだけです。
天安門事件はキッカケぐらいで、描写は極少 。
天安門事件を期待してたら、おもいっきりズッコケた(笑)
ただ映画自体は、けっこう面白いので楽しめました。
メンヘラな女性が主役で、陰りのある哀愁がかったラブストーリーです。
セリフも詩的なモノが多く、話の内容も詩的な感じで、ヴィム・ヴェンダースっぽく感じたし、ウォン・カーウァイの映画にも似てるかも?
あと官能シーンが多く、けっこうエロイ(笑)
時代設定が80年代メインで、当時の中国の雰囲気が楽しめます。
ベルリンの壁崩壊やソ連の解体にも触れられてます。
主役の女性は、けっこう小島瑠璃子さんに似てて、たまに前田敦子さんにも似てる。
75点ぐらい。
絵が美しくて最高でした。
レストアされてないのでフィルムの良さがすごく残っていて濃密な時代感、学生達の生活、SEXシーンどれも素晴らしいです。
天安門事件はあくまで背景で、話はただ男女の濃厚な恋話でした。主人公の女性が奔放というか粘着というか引きずるタイプで、くっついたり離れたりまわりの男女を巻き込み迷惑な限りです。綺麗な子でこういう面倒な性格の人は、じつなに危険な誘引型地雷系というのでしょうか、しらんけど。
大人になって話は解放されたベルリンに移動します。なんでベルリンなんでしょ?彼等にとって解放が成功した眩しい憧れの街だったのかも知れない。
しかし残った人もドイツに行った人もだれも幸せになれない嫌なはなしです。
約30年前の作品だけど、この内容でいまだになかったことになってるのが恐ろしい
2024.6.6 字幕 アップリンク京都
2006年の中国&フランス合作の映画(140分、R18+)
天安門事件時代に大学生だった若者たちの恋と性を描いた青春映画
監督はロウ・イエ
脚本はロウ・イエ&メイ・フォン&イン・リー
原題は『頤和園』、英題は『Summer Place』で、主人公たちが過ごした場所のひとつ
物語の舞台は、中国の図們&北京&重慶&深圳&北戴河とドイツのベルリン
時代的には、1987年からの十数年間を描いている
中国と北朝鮮の国境地帯に近い町・図們に住んでいる学生のユー・ホン(ハオ・レイ)と恋人のシャオ・ジュン(ツゥイ・リン)は、ユー・ホンの大学進学を機に、北京を訪れることになった
ユー・ホンはそこで女子寮に入ることになり、トントン(ツアン・メイホイツ)と仲良くなり、課題活動を通じてリー・ティ(フー・リン)とも仲を深めていく
そして、リー・ティから彼女の恋人ロー・グー(チャン・シャンミン)と、彼の友人チョウ・ウェイ(グオ・シャンドン)を紹介してもらうことになった
ユー・ホンはすぐにチョウ・ウェイと恋仲になり、シャオ・ジャンと別れた
そして、愛欲にまみれた毎日を過ごしていくことになるのである
映画は、中国映画初の女性の裸体が登場するという内容で、天安門事件を含む多くの政府による弾圧の歴史が「当時の映像つき」で登場するので、いまだに中国では公開されていない
内容的には、時代に翻弄された男女を描いていて、それは反体制というほどまでは傾倒していない
学生時代にありがちなアナーキズムへの憧れとか、抑圧されることによる反発が描かれているのだが、それ以上に性的描写が驚くぐらいに多い
場面もかなり場所を移動しまくるので把握しづらく、登場人物も結構多いので、時代とともにユー・ホンが変わっていくのが別人に見えてきたりもする
ざっくりと、恋とセックス依存症みたいな主人公になっているが、ずっと心のどこかにはチョウ・ウェイがいる感じになっていて、彼もまたリー・ティと関係を結んでも、彼の中にはユー・ホンがいる
チョウ・ウェイが帰国することを知ったリー・ティは、何の前ぶれもなく自殺をしてしまうのだが、それぐらい不安定な精神状態のまま過ごしていた時代だった、ということなのかもしれない
キャスト情報などをネットで拾うのはほぼ不可能に近く、中国のwikiっぽい辞書ページでは「存在しない感じ」になっていた
どうしてもフルキャストを知りたい人は、エンドロールの真ん中あたりに「シーンごとのキャスト」が載っているので、ガン見して記憶するしかありません
役名はないので俳優名しかわからず、ドイツ時代の友人ニーナがAgnieszka Piwowarskaというぐらしか認識できなかった
いずれにせよ、天安門事件を扱う映画は稀なのだが、あの時代を生きた若者たちの背景と化しているので、そこまで拒絶反応をしなくても良いのにと思ってしまう
若者たちによる性革命的な部分もあって、それがメインに描かれているのだが、それが天安門があったからというのもちょっと違う気もしないでもない
それでも、中国だとここまでやると公開できないということを考えれば、年齢制限さえ付ければOKという日本は自由なんだなあと思ってしまった
中国人には理解できる作品なのだろう
邦題に興味を持ったので鑑賞したけど、天安門事件は単なる切っ掛けであって、全編が男女間の愛情と愛憎物語だった。
個人的な感想だが、美しいラブシーンって言うのはゼロだったな。愛情の表現なんだろうけど、スクリーンを見続けることができなかった。
自傷行為の様な
暗い画面が多いし、カメラの揺れやら逆光やらでなかなか登場人物の顔と名前が覚えられなかった。
え?え?なんで?何してんの?は?的な嘆息を無音で発しながら観た。眠くはならず集中してたが。
主人公女性は、メンヘラちゃんです。ポエミーな日記のモノローグといい、試し行為といい、自傷行為のようなセックスといい、どうした?あんたをそんな風に培った原因はなんや?とずっと思ってた。
大学辞めてからの巻き髪似合わんし、自転車でバイクみたいなのにぶつかって事故った時に迎えにきてくれた優しげな同僚男性と結婚すりゃええのにと思ったが、なんか贈り物してどっか行くと。あんたは何したいんや?
主人公男性も、メンヘラちゃんの友達と浮気して(自分の友達の恋人でもある)メンヘラちゃんが学校やめて、浮気相手とベルリン行って、浮気相手は主人公男性が帰国することになったら急に飛び降り自殺しちゃうし、なんなん。訳分からん。
まぁ、国が違えど時代が違えど、多くの若者は愚かで、見境なくて、肉欲とか病んだ感情に体乗っ取られておかしなことするんやな、という理解を得ました。
天安門事件はほぼ背景なので、わたしの様な不勉強者にはなんのこっちゃでした。
タイトルなし
中国の若い人が見に来ていた。日本でやっと見られたのかな。良かった。
天安門〜ベルリンと場所移動していることから考えると、愛と革命的なものが二人の恋愛とリンクしているという事なんだろう。ただ苦しいのが、モノローグの難しい言葉で説明はしてもらえるのだが、画としてはたくさんの人物が会ってはセックスしてるだけなのよね。映画って逆じゃないかな。でも駄目なフランス映画もこんなんだからまあいいのか。
多分監督は最初天安門とラストだけ頭にあったんじゃないかなあ。
本筋じゃないけど、スモッグに烟る重慶のカットが素晴らしかったなあ。
同じ日に見た「ミッシング」よりよっぽど画も音も力がありました。
そうだ!二人が乗ってボートの周りをキャメラが回りながら夕景から夜に変わっていくカットも素晴らしかった!あれで1000円は払ってもいいぐらいのやつ。
まずタイトル見て、 天安門?え? 中国版タイトルは頤和園? お母さ...
まずタイトル見て、
天安門?え?
中国版タイトルは頤和園?
お母さんへのプレゼントだったっけ?
え?英語だと?サマーパレス?なに?ノルブリンカ?
って色々思ったけど、
とりあえず天安門が絡んでくると思って見ました
でも天安門色は薄くて、
それより青春群像系だった
でもやはり場所が中国で、
天安門の時大学生だった人たちの話となれば格別
その後の全てに深みが出てくる
ラストも良かった
それより、
あの有名な戦車の前で立ってる人のシーンも出てきたけど、
この監督さんとか制作関係者って、
狙われたりしないんですか?大丈夫なの?
観客が5〜6人しかいなかったけど、
中国の人って、
日本で行われる李志さんのライブは満席でも、
これには興味ないのかな?
それぞれの道へ
正直(´ε`;)ウーン…となりながらも正直に観た感想を頭の中で整理しながら書く。
主人公のユー・ホンは故郷に家族と恋人を残した状況で北京の大学へと進学するが、女子寮で知り合った別の部屋の同級生と親しくなり、彼女と彼女の恋人、そしてチョウ・ウェイと運命の出会いがやってくる。本作ではユー・ホンがチョウ・ウェイと親しくなるまでを描き、やがて二人で過ごす時間が増えるにつれカップルになる。
ところで故郷の恋人はΣ(´∀`;)
自然消滅したというのか?
故郷の恋人もいながらのチョウ・ウェイと熱いラブシーンを繰り広げるのだが、これは単純に愛に貪欲で寂しがり屋なユー・ホンの自由奔放な恋愛遍歴の結末とも言えるのだが天安門事件を機に2人の方向性が変わってしまったのは間違いない。
二人は別れてそれぞれの道へ、そしてお互い新しい恋を始めるのだが、モヤッとボールがあるなら投げたいぐらいのエンドロール(笑)
結論、復縁には至らない。
ユー・ホンがずっと心の片隅に置きながらも忘れないでいたチョウ・ウェイとガソリンスタンドで落ち合う形で再会を果たすと懐かしみ合いながらも既に既婚者となっていたユー・ホンがチョウ・ウェイとよりを戻すことはなく、かたやチョウ・ウェイは未練たらたらの状態で居続けることになったのは果たしてハッピーエンドだろうか?
二人は再会後、二度と会うことはなかった。
この字幕だけが若かりし二人の恋の終焉を見ているような気がした。
男の残酷さ、女の痛々しさ。
ユー・ホンとチョウ・ウェイが再会してからの流れで、ラストが忘れがたいものになる。
ほとんど台詞らしいものはない。表情と行動、間合いで表現する。
解説にある「互いを忘れることができずにいた2人」が、再会を果たして、どうして、こんな風になるのか。ユー・ホンがそうするのか、それがつぶさに表現されており、とても納得させてくれる。そして、それをうけたチョウ・ウェイの反応。確かに現実的にもあるあるなのだが、ここまでストレートに描くか?
その後に続く、エンディングを見れば、監督の親しい方をモデルにしたのか?
男女4人がクローズアップされて、その後が簡単に語られる。
監督の青春記録を描き出したものなのだと納得する。
原題は『頤和園』英語タイトルは『Summer Palace』。
この映画の公式サイト(UPLINK)に載っている晏さんの寄稿によると、頤和園は「北大生(北京大学生)と清華大生にとっての公園はデートに使う恰好な場所」で、「原題は作者が青春に捧げるオマージュの時代風景として付けたものではないかと思う」とある。
私もこの評に納得。ユー・ホンとチョウ・ウェイのカップルを要として、ありがちの、彼らの恋の成り行きを追っていると思う。
あの”天安門事件”が起こった時に大学生であり、当然、その状況を経験しており、その事件は出てくる。世界の流れとして、決して崩れることはないと言われたベルリンの壁の崩壊、ソ連の崩壊、香港返還にも触れてはいるが、正直、このドラマを他の時代に移しても成り立つ。
”天安門事件”を強く打ち出した邦題やチラシから”天安門事件”を期待してしまったが、肩透かし。評価が下がる。
ただ、評価が低いのはそれだけではない。
青春なんて、恋なんてそんなもんだと言われてしまえばそうなのだが、
ただただ、セックスしているだけ。2段ベッドが並んでいる雑魚部屋寮でのごたごた。一応男子寮・女子寮と分かれているが、出入り自由となれば、そこで起こることなんて。
そこで出会うユー・ホンとチョウ・ウェイ。ユー・ホンはチョウ・ウェイを一目見ただけで、「運命の男」と判ったという。そういうことは確かにあるが。とはいえ、鑑賞している私たちには、どこに惚れて、好きになって関係を続けていくのか判らない。寮のごたごたの他は、セックス。二人がどんな信条をもって、どんな性格でとか、恋愛ドラマを見るときに私が期待するようなシーンはわずかというか、記憶にすら残らない。余程、体の相性が良いのだろうと思うしかない。あとは、二人とも他の大学生から「寝てみたい相手No.1。」とみられている。そんな相手を独占できているという自負だけか?
天安門の集会に、皆でこぞって行くのも、何かのイベントに行くようだった。
大学全体を包み込む高揚感。その雰囲気から外れるのも仲間外れみたいだしと、皆で何かを行っているその思いに浮かれている感じ。
中国語が解れば、字幕に表現されていない、例えば壁にびっしり張られたアジテーションの文言が解れば彼らの考えていたことが理解でき、集会に参集する意義とか思いが理解できるのだろうが…。
検閲の関係で表現しなかったのか?でも、そもそも”天安門事件”を入れるだけで検閲に引っかかることは解っていて、あえて入れたのだからと期待する方が酷なのか。実は大きなうねり・ムーブメントであって、大半の学生は何も考えずに、たんに衝動・エネルギーのはけ口だったのか?
そんな浮かれた大学生たちの思いは、考えもしなかった軍部の介入によって、夢から覚めさせられる。
そんな状況を心配したユー・ホンの前彼によって、ユー・ホンは故郷に連れ戻される。
大学に残った学生は軍事訓練?何がどう起こっているのか説明はない。訓練を課すことによって、”考え””行動”する自由を、行政は奪おうとしたのか?
そんな雰囲気を嫌って、チョウ・ウェイたちはベルリンに行ったのか?当局に目をつけられて逃亡したようには見えなかった。
それからの、二人のそれぞれが語られ、”再会”のシーンとなる。
チラシには「時代に翻弄され、時を超え愛に揺れ動く男女の官能ラブストーリー」とあるが、たんたんと登場人物を追うので、監督の親しかった人々の記録のように見える。
時代が、彼らの生き様を変えたようなエピソードは特にない。ベルリンで、ポーランドから来た女性との会話もあり、時代の雰囲気はさらってはいるのだが、あの時代を知らない人々には伝わるのだろうか?
セックスシーンだらけであることが”官能”なのだろうか?女優や男優が頑張っていることは認めるが、1本調子。二人きりになると、お互い相手を求めたくなるような関わり合いもなく、いきなりキスしてセックスが始まる。ちっとも官能的でも、ロマンティックでもない。その無機質なやり取りに空虚感を感じるだけ。それを狙っての演出なのだろうか?
役者はすごい。
上にも記したように、ラストのシーンでは、表情と行動だけで、それぞれの心情を見せてくれるハオ・レイさん。
リー・ティを演じられたフー・リンさん。大学時代は特筆すべきものはないが、ベルリンに行ってからの細やかな表情。クールに冷めているようで、不安定さをにじみださせる。唐突な行動には驚いたが、その直前の表情を思い返してみれば、やっぱりと納得させるものがある。
そして、チョウ・ウェイを演じたグオ・シャオドン氏。周りに気配りし、大切にしているようで、自分でも自身をそういう風に規定しているが、実は、相手の心の機微に鈍感と言うか、それより自分の欲望に忠実な男を見事に演じている。
役者の演技やシーンだけを見ると、ハッとさせるようなものがあるが、全体を通してみると、特に残らない。眠たくなる。そんな風に気を抜いたところで、あのラスト。ワザとの演出なのだろうか?
「人間は孤独を求め、死に憧れる でなければなぜ愛する人を傷つけるのか」と、いかにも哲学的なことを言っているが、この映画から伝わってくるのは、精神的未熟さ。相手のことを思いやることなく、ひたすら自分の欲望と思いを相手にぶつけるだけ。相手の幸せを考える言動がとれたら、もっとちがう局面が開けたのに。
それを時代のせいにするのは、それこそ、自分で自分を育てられない精神的未熟さである。
そんな風に、ドラマとしても今一つなのだが、天安門がらみの広報の仕方も、評価を下げる。
香港での弾圧。活動家の逮捕。そして、今ヒートしている台湾の情勢。そんな時期に「天安門」が邦題に入っている映画となれば、天安門事件について多少は触れていて、門外漢にも理解ができるような何かヒントが得られるのではないかと期待してしまう。
若松監督の『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』ほど、真正面に向き合った映画ではないことは、予告を見れば理解できるが、これほど単なる背景になっているとは。㊟
チョウ・ウェイたちの行き先がベルリンなのは、映画的にあえてなのだろうか。それともモデルにした人々が実際にベルリンに行ったからなのだろうか。
ベルリンの壁の崩壊に刺激を受けて、東西ドイツ併合1週間前に、ツアーでソ連:当時の国名(モスクワ・レニングラード:当時の地名)・ポーランド(ワルシャワ・クラクフ・アウシュビッツ)・東ドイツ(ベルリン・ドレスデン・ライプツィヒ・マイセン)・西ドイツ(ベルリン)・チェコスロバキア:当時の地名(プラハ)を旅してきた身には、描写が足りない。壁崩壊、ソ連支配からの脱却に希望を見て浮かれ、未来を夢見た世相。けれども、すぐにその時流に乗れた者と、完璧な保障を失って困った人達など、さまざまに分かれていった人々。自由に伴うその代償。そのもやもやは映画でも表現されているけれど…。
自分が生きてきた時代を客観視するのは難しいと思った。
㊟若松監督の『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』は、映画としてこの映画以上にひどいし、中に表現されている思想も低レベルだが、それでも、ご自身も多少関わっていた思想・現象に真正面から向き合った姿勢にはこうべを垂れる。役者の迫真の演技も脱帽。
2006年製作作品。2024年、オリジナルの35ミリプリントをノンレストアでDCP化してリバイバル公開の試写会にて。
日本の若い人や中国の人で一杯だった
映画館に入った時、何故混んでいるのか(一度は満員札止めだった)はすぐ判った。比較的若い日本人に加えて、中国からの人が目立った。そうか、中国では、この映画は、未公開なのだ。
主人公は、朝鮮族自治州(朝鮮語が聞こえる)に住む若い女性ユー・ホン。北京の大学に合格し、上京する。女子学生寮に入って、友人にハンサムな男子学生チョウ・ウェイを紹介され、付き合い始める。ユー・ホンは、とびきり美しく、こうした女性でよくあるように、自分の魅力がどこにあるのかを知っている。それは、寛容でいて、かつ無慈悲であること。しかも、その魅力は性愛により、最も相手に伝わる。当然の結果として、この映画では、激しい性愛の場面が続く。こうした展開に慣れていない日本の若い観客は、辛そうだった。
ただ、性愛の喜びは刹那的で、理想の相手にめぐり会ったユー・ホンは、いつか二人の間柄が終わってしまうのではないかとの不安から、別れを切り出す。当然の帰結として、さらに激しい愛を交わす。それを繰り返す内に、周囲の学生たちは、自由化・民主化を目指して騒ぎ始め、二人も巻き込まれるが、軍隊の出動を招き(兵士が空に向かって発砲するところが出てくる)(89年の天安門事件)その混乱の中で、ユー・ホンは大学をやめ、かつての恋人が待つ故郷に帰る。それも長続きせず(中国発展の象徴である)深圳、(あの)武漢、(揚子江にかかる橋が美しい)重慶と移り住む。その度に、既婚者や年下を含め、様々な男性と愛を交わすが、本当に満たされることはない。チョウ・ウェイを忘れることができないのだ。
一方のチョウ・ウェイは、友人たちの導きで、ベルリンにわたる。ドイツ語もよくでき、壁崩壊後の現地になじんで行くが、肝心の友人を喪う結果となり、その原因であるユー・ホンの面影が消えることはなく、帰国することになる。帰り着いた重慶で、彼女と再会する。
確かに、物語には繰り返し感があり、少し退屈する。それには、監督ロウ・イエの意思も働いているのだろう。彼は、単なる天安門の物語にはしたくなかったものと思われる。60年代のステューデント・パワーの時代を想い出してみるとわかる。あの時のスローガンは、大学改革に端を発した政治改革だが、その底流には性の解放、個人の解放があった。脚本・監督のロウ・イエは、単なる政治のドラマではなく、その背景にある性を介した個人の解放を描きたかったのだと思う。そのためには、二人のその後の経緯を辿る必要があった。何より、二人が肉体をぶつけ合うことにより、ユー・ホンが本来持つ苛烈さが際立ち、人間としての根源が顕わになった。そこに、この映画の最大の魅力があったのではないか。
それにしても、出会ったときは輝いていた若い二人の、その後10年近くの経緯は、中国の歩み、そのものを象徴している。まだ、その決着はついていないのだと思う。是非、ロングランとなって欲しいが、それには、日本の若い観客と中国の方が頼りだ。
中国人しか共鳴できない映画
まず、この中国人しか共鳴できない映画が海外で公開されることがちょっと変だと思う。実際観客の大半は中国の方なのだ。
監督自身が1989年に北京の大学を卒業し、中国ではいわゆる「89世代」という、天安門事件を身をもって経験した世代の人なので、この映画にはやはり、監督自身の天安門事件や学生と国との関係に対する思考、「89世代」の天安門事件以後の運命と彼/彼女らが当初の理想を、違う人生の段階でどう思っているのかに対する描写が込められていると思う。
外国人の観客はともかく、中国人でさえも、もし天安門事件の歴史や「89世代」のあれ以来の人生の歩みについて詳しくなければ、なかなか共鳴できない作品ではないかって思ってる。
セリフでよく出た主人公の独り言は、監督の、現実に何度も裏切られた自身の理想と欲望に対する考えではないかと思ってる。
邦題違えども、荒削りなロウイエ作品良い
2006年の作品。
この邦題がついていて見逃していたので悔しい思いだったが、、シャドウプレイ公開にともなうK’s cinema のロウイエ監督祭(特特集)で満を辞しての鑑賞。原題は、まあ、当然かもしれんけど全然違う庭園?北京の夏の離宮ということであった。英語だとSummer palace.ロウイエ監督のタイトルの付け方は面白い。シャドウプレイも。必然と趣味、ウィットというのか、そういうものが入ってる。
そしてなかなかのスケールであった。最初の、故郷は朝鮮との国境の町。辺境のおおらかさで郵便配達員が仕事もしないで酒飲んで店番してる恋人女子高生ユーホンと仲良くしてる、そこへきたおばさんに、アンニョンハセヨというたから冒頭からガツンとかまされたけど、朝鮮国境近いど田舎から夢の北京の大学へ進学する才女だったのだ。
自由と刺激を求める女子ユーホン。大学での運命的出会いというのだろう、モテ男チョウウェイとの日々、氷と雪に凍てつく美しい旧世界の庭園、夕日をうけて輝くの大きな池。サマーパレスで、大学で、西側との交歓あり活気あふれる北京の街で、二人は自由な個人的生活を楽しむ。ここにいる学生たちは皆自由な個人を楽しみ、政治の季節民主の歌声が聴こえたと思ったらその時代もあっけらかんと過ぎて終わった。レッドチャイナ中国は数年単位で時代が変わり主人公も自分の持ち方も変わる。
邦題は、タイトルに天安門とあり実際に生々しく希望似満ちたデモに向かう学生たちの映像も差し込まれ、映画の登場人物たちがトラックに乗り込んで天安門に行く姿は、ヨーロッパで、レイブパーティに行くような感じ、そんな感じの熱量とノリで撮っていて、ロウイエ監督すげえな、と感動。
香港囲城などでみた最近の香港の若者たちの闘争に、今、2003年末にこの作品をみて、昨今の香港民主化関連作品と比べてみれば、民主を叫ぶ以外イデオロギー、思想、左右の闘争みたいなものは全くなくて、あっけらかんと祭りのように(現状香港の方がより管理ガチガチで非常に厳しい状況だが)1989年思い思いの格好で自由を謳歌するように天安門に馳せ参じていて、2006年この感覚どんな感じだったか、映画を公開できるものにするための工夫だったか、私には全くわからないけど、これもまた絶妙なロウイエ監督の嗅覚、バランス、審美眼かと恐れ入る。
目頭的にグッとくるのはこの辺りだけで、あとは自由に自分にこだわり文学的に刹那的に友情も裏切りも思いのままの本能で生きる若者たちの、意外とレッドチャイナに阻害も妨害も嫌気もな、それぞれのその後、末路。愛とか傷みとか、自分も2006年ではなく2023年になりそれなりの年令で見ているので、深淵なれど冷静に、眼差しの交差と不交差、性愛による救済と破滅を冷静に見届けるのみ。若者たちは、スクリーンの中でスケール大きく、3人組はベルリンに移り住みベルリンの壁崩壊後のベルリンの空気を吸い、ユーホンはひとり、深圳、武漢、重慶とまつろわない自分を持て余し彷徨い自分の魂をなだめすかし弔うようにして日夜を過ごしている、でも絶対死なない、なんかある、なんか見つけると闘志もある。だからラストシーンも、まさかのお酒買いに行ってた、、、ところもロウイエ監督すげえ!と最後までありがとう。シャドウプレイ公開記念の特集番組中の、k’s cinemaのお客さんがとにかく若い中国人でいっぱい。明かりがついて席を立つと、中国語の若者たちの会話があちこちから聞こえるし、今日なんか外に出て新宿の街も中国語話者に溢れていて、映画館の暗闇から新宿の路上で、思わずくらくらした。映画とは体験なり。
中国の大学生くらいの人たち、東京でロウイエやってるよ!てひろがってるのかしら香港の方々なのかとかいろいろクラクラしながら帰宅した。
本当のクラクラ目眩の別の原因は、、1989年韓国でも、北京でも、英領から返還離脱の香港も、民主と自由を求めて闘っていたんだよな、日本は東京は、それに呼応や連帯したのはほんのわずかで、肩身の狭い感じだったし、今となっては、この有様だなと。
北京天安門や、あの頃の香港や武漢や深圳やベルリンの風景が、かざらず偽りもない姿が記録され記憶されているのも大切にありがたく、この世界への情愛に溢れていた。
ストレートな性愛描写
中国本土の制作で、映画のテーマは「性愛」そのもの。
原題は「頤和園」。西太后が夏を過ごした北京の離宮。
途中で天安門事件に言及していなかったとしても、中国で上映が許可されなかったのは理解できる。
ある一部の人間にとっては性愛というものを抜きに人生や生活が成り立たない。たとえそれが社会生活に影響を及ぼすものであろうとも、そのようにしか生きられない。他の生き方では生きている意味がない。
「結婚は恋愛をしていない時だけ安定する。」
結婚と恋愛は別という言説は言い古されているが、主人公のこの言葉は、このような性愛中毒者たちにとっての真理であろう。
しばし現実を離れて愛欲に没頭する。そんな人生の夏の季節が何度か巡ってくる女性の半生を描く。
映画の中で1990年前後のニュース映像が引用される。
中国の天安門事件、東西ドイツの統合、ソ連邦の解体。映画では触れられてはいないが、我が国のバブル崩壊。アメリカを除く世界の大国がこの時期に相次いで大きな進路変更を経験している。
あれから四半世紀が経った現在、ずいぶんと世界は変わり果てたものだ。もはや大国の指導者たちが世界の人々の融和に向けて努力しているなどとは誰も思ってはいない。政治体制が変わったところで、その変化を切実に必要としている人々にとって何かが良くなることなどないこともみんなが知っている。
一体あの頃どのようなボタンの掛け違いを犯してしまったのだろうか。あの後間もなく社会に出た自分は、そのように変わりゆく世界の中で、何を見たり感じたりして今日まで生きてきたのだろう。
鈍感。であり、無関心であり過ぎた。と思う。
本国では公開されていない
何でこんなに悲しくなるんだろうかぁ
同じ世代の若者、勉強して普通に恋して楽しんでいる時もあるけど私達の生活とは全く違うから。
自由が欲しいと思った事なんて一度もない。
性描写が多くて少し驚きました。最近の中国の若者は開放的な人も増えたと聞くけど、ごく一部だろうなぁ。
原題は「頤和園」で恋人がデートしている場所が確かイワエンだったと思う。世界遺産に登録されている巨大な庭園
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