「我々も知らなければならない」闇の子供たち シンコさんの映画レビュー(感想・評価)
我々も知らなければならない
タイを舞台にして暗躍する、人身売買,児童売春,そして臓器密売の闇社会を、阪本順治監督が暴きます。
貧困のため我が子を人身売買せざるをえない親。
売春宿の片隅の牢屋に監禁されている子供たち。
仲買人も子供に性的な行為を強要し、拒むと容赦ない暴力を加えます。
醜い外国人客がお気に入りの子供を指名して、宿の部屋へ連れて行きます。
ペドフィリア(小児性愛)と言われる性的倒錯であり、犯罪です。
そしてその客の中には日本人たちもいるのです。
先進国ではこのような幼児期を体験した子供は、解離性同一性障害や境界性パーソナリティ障害に陥ったりします。
しかしここでは、そこまで至ることさえ許されません。
エイズに感染した子はゴミ袋に入れられて、生きたままゴミ捨て場に放り込まれます。
元気な子は臓器密売のため、初めてきれいな服を着せられて病院へ行き、生きたまま麻酔をかけられて……。
タイNGOの恵子(宮崎あおい)は幼い純粋さで、子供の命を買う日本人に食ってかかります。
しかしそうやって個人を非難しても、問題は何も解決しない。
一人のタイの子供を救っても、また“予備”の子が用意されているのです。
そのシステムを明らかにしていかない限り、犠牲者は次々と生まれてくる。
新聞記者の南部(江口洋介)は、事実を見て、それを伝えるのだと主張します。
南部と恵子は同じ正義感を持ちながらも、行動への移し方が異なるため、両者は何度もぶつかり合います。
一筋縄ではいかない現実の中で、目的を実現していくための葛藤も、原作の人物と設定を変えた見せ場です。
我々観客も、映画を観て「知る」ことが第一歩として必要なのだと思います。
確かに知ったからといっても、一人で何ができるわけでもありません。
しかし知る人が増えてくれば、それは「世の中」としての力になっていきます。
その中から実際に行動する人たちも多く出てきて、現実に働きかけていくでしょう。
「すそ野」を広げることが、頂きの高さをせり上げていくのです。
それが作品やジャーナリズムの役割であると、僕は思っています。
阪本監督は児童虐待や性的搾取のシーンも決してオブラートに包むことなく、大人の醜悪さを映し出します。
それらは目を背けたくなるばかりです。
そのシーンを撮影する際、阪本監督はタイの子役たちの心のケアに神経をすり減らすあまり、声が出なくなってしまったといいます。
監督はこのテーマを、自分が安全な場所にいて告発するのではなく、自分自身に戻ってくることなのだと強調しています。
それを表現するため、原作とは異なった設定にされている南部は、ラストシーンで驚愕の過去が明かされます。
「自分を見ろ!」
阪本監督からそう言われたかのようなメッセージは、我々に痛烈に突きつけられて、胸を締めつけるのでした。