「原作を超える」クライマーズ・ハイ yanpakenさんの映画レビュー(感想・評価)
原作を超える
今日、第2次大戦の映画「レイルウェイ」を見て、原作と映画との関係を考えた。「レイルウェイ」は原作よりも映画が面白いかどうかということを考えたわけではない(そもそも原作を読んでない)。個人としての戦争責任を問題にしている映画なので、その点に関する映画製作者の意識を問題視した。その時、実際の事件をどのように映画製作に取り込むかという意識の問題として、想起したのが「クライマーズ・ハイ」である。
日航機墜落事件を原作とした映画としては「沈まぬ太陽」とこの「クライマーズ・ハイ」が思い浮かぶ。「沈まぬ太陽」は日航という組織内の個人の問題が原作の主題で、映画もこれを踏襲している。「クライマーズ・ハイ」は新聞記者という斜めの角度からこの大事件を見ている点、原作・NHKドラマ・映画の三者に共通する。この視点は横山秀夫の原作に負う。しかし、映画は原作を超えた。しかも、映画は「新聞記者からみた」という原作の視点を愚直に維持して、そこを超えた。
最初に見たのはNHKドラマで、このドラマは登山場面が最も印象に残った。崖登りの途中で悠木が恐怖感に襲われる場面が強調して描かれていた。次に見たのが映画で、この映画は登山場面と新聞社での記事編集場面との切り替えが見事だった。NHKドラマで悠木が恐怖に身をすくめる崖登りの場面は、映画では悠木が新聞社内で「チェック、ダブルチェック」とつぶやきながら、特ダネ出稿を逡巡する場面と重ね合わせて描写されるのである。この「チェック、ダブルチェック」は原作にはない。映画での創作、おそらく監督、脚本双方を担当した原田真人の創作である。
しかも、この「チェック、ダブルチェック」は幼少期の悠木がパンパンの母親と進駐軍兵士がデートする場に連れられて行った映画館で放映されていた映画での新聞記者のセリフで、それが悠木の新聞記者として誇り、記事校閲の正確さに対する自戒のより所になっている。アメリカに負けて、アメリカに助けられて、ここまでやってきた日本の現実が悠木個人の人生の縮図と重なる場面である。このことは原作にない。映画では、日航機墜落の原因究明がアメリカの圧力に阻まれたことを暗示する描写が続くが、そのことを終戦直後の悠木の映画館での記憶や首相の靖国神社参拝(敗戦の記憶。原作にも出てくるが、原作では敗戦の記憶と有機的に関係させていない)まで関連させて描写した上、悠木の息子が白人と結婚する結末を用意して、ストーリー救済の出口を用意するなど、「クライマーズ・ハイ」は映画の社会的影響を考慮していたことを、「レイルウェイ」を見た後、思い起こした。