クライマーズ・ハイのレビュー・感想・評価
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誰よりも記者の顔になっていた堺雅人
2008年、丸の内TOEIで行われたマスコミ完成披露試写会で鑑賞。
観た直後は、細かい描写について色々思うところがあったのが、その後、何度となく観直していくうちに、個人的に原田眞人監督作のなかでは突出した出来栄えの作品と感じるようになった。
横山秀夫の素晴らしい原作ありきなのはもちろんだが、堤真一とともに作品をグイグイ牽引していったのが堺雅人だった。この作品の堺は、完全にロックオンされた状態で、日航機墜落の現場を取材して眼光が別人になってしまった姿は、今でも目を閉じればすぐに浮かんでくる。
中途半端な終わり方
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日航機事故の際の群馬県の新聞の記者達の話。
熱血新聞記者の堤が一面を日航機のものにしようと命をかけて奔走。
そのために勝手に広告をなくしたり、無茶もする。
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地元なんやから全国紙に負けるかって感じがよく出ている。
でも結局テーマがよう分からんかったわ。
史実に基づいてるからってのもあるんやろうとは思うけど、
熱血取材で事故原因を突き止めたのに二の足を踏んでしまい、
その結果全国紙に先を越されて報道されてしまう。
さあじゃあここからどうやって巻き返すのかと思ったら、
堤が長年会いに行かなかった海外の息子に会いに言って突然終了。
そこは二の足を踏まずに頑張って行ったってことなんやろうけど、
そんなエピソードはどうでも良くて、肝心の新聞の話は?
8月半ばに鑑賞することの重み。事故を忘れない。
堤さんが適役。脇をかためるでんでん、マギー、遠藤憲一、売れ始めた滝藤賢一、そして堺雅人がフレッシュだ。
出番は少ないが高島政伸、小澤征悦も。
山崎努扮する社長はちょっと理解不能。
私事だが当時の新聞記事(全国紙)に亡くなられた方の顔写真がのっており、映画で最後にでてくる遺書のことも強烈に覚えていて泣ける。
NHKドラマ版がよい
横山秀夫原作「クライマーズハイ」の
映画版ですが、2005年放送NHKドラマ版
もあります。
個人の感想ですが、ドラマ版の方が
よいです。
主人公悠木は佐藤浩市です。
映画版は主要登場人物の悠木の元部下
望月亮太と従妹望月彩子が登場しません。
したがって物語のクライマックスにある
「命の重さについて」がなくなって
物語の趣旨も感動もありません。
原作を読み、NHKドラマ版を視聴して
大変感動しましたので、映画版も期待
して公開当時劇場で鑑賞しましたが
全く期待外れで残念でした。
映画版は単に社会派ドラマで、内容の
薄い鑑賞後何も印象に残らない作品
でした。
俳優さんは皆さん実力派なのに。
NHKドラマ版は人間ドラマとして
優れた作品と思います。
現在動画配信やレンタルでの視聴は
出来ませんがDVDは購入可能です。
買って視聴する価値ある作品です。
一言「面白かったけどなあ・・・」
原作を読んだのは遥か昔なので、新たな気持ちで鑑賞。
1985年当時、ネットも携帯電話もない。
県警記者が「どうやら飛行機が墜落した、らしい」と掴んだネタを。
そこから山を登り、借りた無線機で記事を口頭で伝える。
その記事を仕上げていく様が、昭和テイスト満載。
泥臭い駆け引きなんかもあったりして。
あっという間に2時間半、終わっちゃいました。
共演陣も実力派揃い・めちゃ豪華でした。
ただ。
主人公の現在の話の中で、回想シーンとして作られているので。
個人的には、新聞社だけの方が、映画的にはすっきりしていたような気も。
⭐️今日のマーカーワード⭐️
「とことんやる。それが地元誌の存在意義」
新聞人の誇りをかけた戦い
堤真一扮する北関東新聞社悠木和雅は、息子をジャンボに乗せるべく飛行場に行った。その後日航123便がレーダーから消えたと言う一報が来た。悠木は日航墜落事故担当全権デスクを命ぜられた。
いきなり起きた最大の飛行場事故に地元新聞社は沸き立つ。しかし現場の状況がわからずいきり立つデスク。社内でも意見の相違がありながら突っ込む悠木。現場雑感に命をかける堺雅人扮する佐山達哉。悲惨な事故を如何に伝えるか。新聞人の誇りをかけた戦いは凄いね。社内営業もデスクとしては重要な要素だね。
あれやこれやと、
「本題」にもっと焦点を当ててほしかったけど、いや、「本題」がなんだったのか、家族のことやら新聞社内のことやら、記者のことやら山登りやら、いろいろ背景や情報が多すぎた感もあったかなあ、と。
奮闘した記者の話まではよかったけど、社内のゴタゴタの方にもうんざりしつつ気が散るかんじで。
後半の後半はおもしろくもなったけど、無意味なような岩登りのシーンが短く挟まるのも不可解、なんの効果の意図なんだろう。
そういう映画だったなのかもしれないし自分が勝手に期待してただけだけど、もうちょっとシンプルに「本題」にまとめる内容ならもっとよかったのに、と個人的には思ったかなあ。
予想したほど重くはない
面白かったです。
新聞社内での正義や信念と、上司との軋轢、売り上げからの縛り、他社との競争。
過酷な環境で、それでも負けずに働く姿に観てて胸が熱くなります。
むしろそこに視点を限定して描いても良かったのではないかと思いました。
親子の絆や、主人公自身が乗り越えなければならない壁、というものがあったために、
日航機事故を扱った骨太な社会派ドラマを期待していった身としては
思っていたよりも小さい話になってしまったと感じました。
原作は読んでません。
原作は主人公の成長的なものに重きを置いてあったとしたら
映画の作りも納得です。
描かないことで浮かび上がる狂気
日航機墜落という空前絶後の大事故に立ち会った地方紙職員たちの報道をめぐる既得権益とプライドのぶつかり合いを鬼気迫るカッティングで描き出した「ジョブもの」の快作、と見せかけた異常者たちの狂宴だった。
物語は保守的な上層部vs革新的な若手という対立軸に沿って展開していくが、本作はこの単純な構図をもってしてマスコミ批判を展開しようなどという稚拙な試みには出ない。もちろん「どちらにも言い分はある」的な安っぽい相対主義に逃げることもない。そうではなく、本作は「外側」を徹底的に描かないことによってマスコミの独善性・閉鎖性を浮き彫りにした。
日航機墜落事故の全権デスクを請け負った悠木。彼は上層部や販売局の圧力を振り切りながら、事故当事"県"の地方紙としての意地を見せようと奮闘する。無論そこには朝日、毎日、読売といった大手紙に先んじられてなるものか、というルサンチマンが内在している。とはいえはじめこそ懐疑的だった周囲の同僚や部下たちも、情報を誰よりも先に届けるためなら土下座や退職も辞さない悠木のマスコミ魂に次第に呼応していく。
しかし先述の通り、本作は単なる爽快な「ジョブもの」とは様相を異にしている。劇中で悠木らはことあるごとに「報道の責務」や「情報を心待ちにする読者」といった外部からの期待をカンフル剤のように行使するのだが、それらの当事者は不気味なほどに映し出されない。悠木たちが手掛けた紙面が実際にどう受容されているのかという点に関して、本作は徹底的に沈黙を決め込む。初日の記者雑観が翌日の紙面に載らないことは、あるいは遺族のもとに朝一番で事故原因についての情報が届けられないことは、受け手にとって本当にフェータルなできごとなのか?もっといえば、ライバル紙の記者や関係者も出てこない。彼らの存在は「◯◯新聞がスクープを抜いたらしい」といった局内の口伝情報の中にしか存在しない。つまり悠木たちの価値観はどこまでも北関東新聞社の狭隘なオフィスに局限されており、外部がない。
受け手の存在を完全に度外視したまま際限なく加速していく悠木たちの「マスコミ魂」は、次第に実感覚を遊離した独善的・閉鎖的なものへと変貌していく。物語の傍流を成す登山のシークエンスはそれを強烈に詰る。登山というどこまでもパーソナルな営為に容赦なくモンタージュされる悠木たちの奮闘ぶり。それはあたかもマスコミの根本的な独善性・閉鎖性のアレゴリーであるかのようだ。
本作の参照元である『地獄の英雄』では、落盤事故というセンセーショナリズムに取り憑かれた新聞記者が大衆の愚かさや死の厳粛さを目の当たりにしたことを契機に倫理へと目覚めていくという筋立てだったが、一方で本作はそもそも外部が欠落しているのだから反省する手立てすらない。悠木らはいつまでも蜃気楼に霞んだ「読者」という山頂を指差し、空疎だがやたら熱気のこもった登攀を続けていくのだろう。
撮影技術に関していえば、ヒッチコックの『汚名』以上に細かく刻むカッティングが印象的だった。本編の半分くらいがオフィスの中で展開されるような動きの少ない映画こそ撮影や編集の腕の見せ所だが、やりすぎは禁物。本作はその辺の塩梅がちょうどよく、技法だけが悪目立ちしている感じがあまりしなかった。
ざんねん!
小説読んでから鑑賞したのが間違いだった…
役者さん達の演技は素晴らしかった。
特に滝藤賢一さん‼︎
生々しい墜落現場をみてしまい、精神を病んでしまうあの演技に圧倒されてしまった。
車の中で堤真一に現場の凄惨さを話している時、ずっと体を揺らしながら話す姿が、もうすでに精神的に参ってるということを物語っていて、それだけでどれだけ悲惨だったのか、私にも伝わってきた。
なのに、しょうもない上司たちに潰されてしまった…
本当に悲しい。
こんなにみんなの演技が素晴らしいのに、映像の切り替わりの雑さや脚本の下手くそさのせいで魅力半減。
もっと丁寧に脚本を練り、映像もこだわって作っていたらものすごく名作になっていただろうに…
原作が素晴らしいだけにとてもがっかりした。
星3.5の理由は、出演していた俳優さんの方々へ。
それがなければ星1です。
完璧な確証が得られなければ、行動しない勇気を持て
日本の安全神話もすっかり霞んで今は昔の感がある。安全神話崩壊の起点となった事故の一つとして1985年の日航機墜落事故が思い起こされる。本作は、この事故の原因究明に挑む地元新聞記者達の苦闘を描いた群像劇である。
他社より早く正確に事故の真実を伝えるために記者達は奔走する。そして、遂に事故原因を暴き出すのだが、完璧な確証が得られず、記事にすることを断念する。事故担当の全権デスクだった主人公・悠木(堤真一)は辞職する。事故発生直後から記者達は満身創痍となり、その心身は極限状態に達するが、彼らは高揚していく。クライマーズハイと言われる症状の様に。
本作では、新聞社、新聞記者達は真実を追求する正義の味方としてだけでは描かない。締め切りに追い立てられながら懸命な取材をする記者達の奮闘を描く一方で、記事よりも広告欄への重視、地元選出の政治家への配慮など、利益を追求する企業としての側面も赤裸々に抉っていく。
また、本作は前述の本筋ストーリーに、辞職後の主人公が亡き友人の子供と登山するストーリーが同時進行していくのだが、両ストーリーが巧く噛み合っているとは言い難い。本筋ストーリーのみでも十分であると感じた。
全篇を通して、臨場感、迫力のある作品であるが、ラストに違和感を覚えた。事故原因に辿り着きながら、記事にしないことを選択するというラストから発信されるメッセージが分からなかった。
そこで本作を丁寧に振り返ってみた結果、主人公が繰り返した「チェック、ダブルチェック」という言葉は新聞記事ばかりではなく事故に対しても投げ掛けられたものだとの解釈に至った。
周到、愚直なチェック(事前点検)をすれば事故は防止できる。本作は、大スクープを断念するラストを通して、事故防止におけるチェックの重要性を我々に強く問い掛けている。
「完璧な確証が得られなければ、行動しない勇気を持て」である。
人生五本の指に入る作品。
J:COMでやっていて、かなり久しぶりに見返した。3回目くらいだろうか。何度見ても涙が出るし、入り込むし、夢中になる。歴史に残る大事件の、記者からの視点。そこにはこちらは想像もできない攻防があり、葛藤があり、戦いがあった。
日航機墜落を題材としたフィクション。新聞記者の熱い想いが描かれてい...
日航機墜落を題材としたフィクション。新聞記者の熱い想いが描かれている。他社よりも先に、他社にないものを。社内の中での権力闘争はもはやヤクザ。
しかしなあ、いつも思うのだが、新聞のその姿勢って、なんか違っちゃいないか。事故そのもの、被害者が置いてきぼりにされてるような。右や左に傾いた報道も多いですよね。偏向よりも客観的事実を願う。庶民は誘導されてしまうのです。
概ね事実の部分も嫌だが、加えられたフィクション部分も悲惨なことばかり。そもそも新聞記者の狂気をクライマーズ・ハイに例える必要性も感じられない。小説は面白いのかな。
上映時間が長いのもしんどかった。それなりに評価は高いようだが、個人的には合わなかった。
J:COM
あの夏に起こった事故を新聞記者の視点に立って描かれている。 立場が...
あの夏に起こった事故を新聞記者の視点に立って描かれている。
立場が違うそれぞれの葛藤。
キャストそれぞれの真剣な演技に、社内シーンにおいては本物のように感じた。
その後、売れっ子になっていく役者たち
のぶつかり合い演技バトルが爽快。山登りとか子供との関係性とか描き方としては上手くいっていないので監督の評価は出来ないけど、とにかく真剣に仕事をしてる男たち同士の怒鳴り合いぶつかり合いがカッコイイこと、カッコイイこと。たまに見たくなるお気に入りの邦画です。
どうしたって比較してしまう
映画版「クライマーズハイ」を鑑賞後、少し興味があったので、ドラマ版のほうも見てみた。まさに、クライマーズハイ。熱いうちに登りましょう。というところか。
違いは細部にあるようだが、社長と、悠木との因縁がないドラマ版には、かつて部下につらく当たって死なせた過去が強調してあり、映画版では、墜落現場から戻った記者が受けたトラウマに苦しみ、錯乱しながら事故に遭った経緯に転換してある。どちらも重みとしては同じに思える。
違いは、部下の一人に尾野真千子を配した映画版のキャスティングに対して、死んだ部下の遺族であり、悠木を恨む石原さとみをキャスティングしたドラマ版というところか。
どちらも、殺伐とした男ばかりの絵面を少し和らげたいという、製作側の意向が働いたようだ。
新聞社を辞める決意をその場で表明し、繋いだ鎖を放とうとしない社長の山崎努は、偏執的な印象で、悠木が落とし前をつけた印象を強調した映画版。
一方、投書をしたことを後悔して詫びる石原さとみを励まし、新聞記者になるまでここで待ってると告げ、左遷を受け入れるドラマ版。
では、原作はどうなの?というところだが、今のところ読む気にはなれない。事故から20年後の夏に、おそらく定年を迎え、かつての親友の息子と登山をする悠木のアタックの様子と、事故当日からの数日間をシャッフルして構成する筋立ては一緒なので、原作を踏襲したのだろう。
大きな違いと言えば、販売部や、社長など、記者の現場と距離のある人物に不快で偏執的な悪役を配置し、その対立軸を一つの見せ場とした映画版と、明確な悪役を配せずに、顛末を追ったドラマ版というところか。佐藤浩市の泣きの演技も珍しい。
どちらも役者の芝居が光り、それぞれにいい味を出している。甲乙つけがたい出来だと思う。
2018.8.20
村岡希美さん
たったワンシーンだけの出演だが、名もない遺族を演じた村岡希美さんの存在が作品に大きな影響を与え、その後の展開のカギとなっている。遺体を引き取り自宅へと帰る道中、北関東新聞社に立ち寄り新聞を求める。販売所では新聞が買えず、主人公たちがまさに新聞を作っている現場にフラリと入ってきてしまう。小さな息子の手をつなぎ、新聞が欲しいと訴え続けるその声は良く通り、強い意志を感じさせるのとは裏腹に、表情は一貫して呆然とし目の焦点が合わない。僅かにも気を抜けば、その場に崩れてしまう程の危うさと儚さ。涙を一滴でも流せば二度と止まらなくなる慟哭。弱さを表出することもできない程、自分を見失ったまま、ただ一つ、彼女を動かす原動力は、夫を奪った事故の状況を、真実を知りたいという思い。 だがその事情は、彼女が結城から新聞を受け取り、何度も頭を下げながら新聞社の前に停めた黒塗りの霊柩車に乗り込む姿を見て初めて合点がいくのだ。観客も結城も、そうだったのか!とうなってしまうところだろう。時間にしてほんの5、6分のシーンだと思ったが、彼女の背景、今後の人生までも一瞬で鮮明に心の中に流れ込んでくるような圧倒的な衝撃を受ける。村岡希美さん、本当に恐るべき女優との出会いであった。この作品の名シーンの一つだと思う。後日、『アフタースクール』に出演している村岡さんを見たが、この時も堺雅人に向かって「いえ、特には」と放つたった一言のセリフが光っていた。
作品全体に帯びる熱量が凄い。
○作品全体
『クライマーズ・ハイ』という作品タイトルが示すとおり、異常な熱量に満ちた作品だ。新聞社の皆が地元紙という劣等感を抱きつつ、だからこその矜持を見せつけようとする。冷めた視線で見てしまえばフィクションっぽい熱量なんだけど、ダイアログとカット割のテンポ感が気持ちよくて、熱量に乗せてくれるのが楽しい。
正直、主人公・悠木の物語とするには描写不足が否めない。悠木の生い立ちと北関東新聞社を結びつけるものも縁故と地元社である、という部分だけで地元社の矜持を悠木はどこから育んだのかという点は浅い。安西と悠木という要素も「山とヤマ」を印象づけるために使っているが、安西との出会いによって悠木が影響を及ぼされた描写は少ない。
ただ、一方でこの描写不足によって強調されるものもあった。それが新聞社の熱量という部分。集団としての物語として捉えるならば、悠木に固執しなかったことで上層部や他部署との駆け引きや登場人物それぞれの情熱は饒舌に語られる。これに圧倒された。
スクープをすっぱ抜いたわけでもなく、明確なゴールがあったわけではない。悠木が登頂後に息子へ会いに行くように一つの山を超えて、また別の山を超えていこうと繰り返すのも自分自身の仕事や人生ともシンクロした。だからか、視聴後にあったのは自分自身とこの熱量たちを重ねたうえでの、熱量への羨望だった。
○カメラワークとか
・見出しを決める局長室でのシーンや玉置へ佐山を帯同させることを告げるシーンで用いられる画面ブレ、フォーカスブレ、カット割が印象的。局長室のシーンは特に良かった。外からも内からも撮っていく。ドキュメンタリーチックな定点的なカットを間に挟んでカット割りに緩急を作っていた。登場人物にアップする緊張感と定点的な客観的なカットの緊張感が両立している感じがして面白い。フォーカスをブラしたりブレカットを作っていたのも同じ理由かな。登場人物が意図せず動いている(ように見せる)演出。
・御巣鷹山から下山直後、円卓で佐山が現場雑感を書いて少し落ち着くシーンのカメラワークが面白い。円卓の真ん中にカメラを置いて360度カメラを回すっていうカット。呆然と立ち尽くす神沢を映したところからスタートして後ろからやってきた玉置にフォローパン、180度カメラを回して悠木のもとへ相談する姿を映す。そのまま反対側からやってきた佐山が現場雑感を渡し、「書いたら少し落ち着きました」と言って去っていく。この佐山をフォローパンするとちょうど360度カメラが回るんだけど、そこにいるのは未だ立ち尽くした神沢。
カメラワークのアイデア自体も良いし、ここがなにより面白いのは神沢だけがなにもできず、取り残されていることが強調されているところ。玉置は事故原因という新たなヤマを手に入れ躍起になっているし、悠木は目下指揮中。そしてさっきまで神沢と一緒に憔悴していた佐山は先に正気を取り戻し、残されたのは神沢だけ、という状況を作る。これが巧い。
しっかりと言葉にできた佐山。うまく言葉にできず、それでも必死に書き起こした言葉に「これじゃ使えない」と突き放される神沢。二人の行く末はここから既に違っていた。
○その他
・この作品の一番好きな部分はキャラクターだ。トップ3が凄くキャラが立ってるし、なにかと悠木と喧嘩する田沢も良い。田沢と岸が粕谷と追村の注意を向けさせて、悠木が等々力と直談判するシーンが一番好き。敵対していたライバルキャラである田沢が味方に回る心強さ。直談判に至るまでの立ち回り、空気の読み合った連携も面白い。
全83件中、1~20件目を表示