「日航機墜落事故と地方新聞社を題材にした「スポ根」」クライマーズ・ハイ jin-inuさんの映画レビュー(感想・評価)
日航機墜落事故と地方新聞社を題材にした「スポ根」
堤真一演じる主人公悠木は群馬の地方新聞の男性新聞記者です。趣味は山登り、仕事熱心過ぎたのか妻と息子とは別居状態、上司にもズケズケと思ったことを口にする「熱い」男、若い記者達からは尊敬されている様子、遊軍記者という立場の中間管理職、という設定です。
日本航空123便墜落事故発生を受けて、彼は社長から「全権デスク」に指名されます。一地方新聞社にとっては空前絶後の大事故であり、社内のテンションは異様に高揚していきます。
独裁的な社長、過去の栄光にすがる上司たち、自分たちの都合を優先する販売部や広告部の奴ら、中央の大新聞への対抗心、自身の生い立ちに関する引け目、友人の病気と部下の事故死、困難かつ複雑な状況の中、奮闘する主人公。
「チェック&ダブルチェック」「特ダネと誤報」「若い記者をスターに」「中央の新聞にできない住民によりそった報道」「局長賞」「新聞協会賞」彼のセリフからは地方新聞社の記者としての矜持、こだわり、意地が伝わってきます。
そんな主人公は、せっかく部下が体を張って掴んだ特ダネを、周囲の反対を押し切りボツにします。お祭り騒ぎに巻き込まれずに冷静に判断を下した主人公、偉い!ということなのか?どんなときも自分の原理原則に忠実な主人公すてき!ということなのか?結果的に特ダネは大新聞に持っていかれます。特ダネを掴んだ部下は彼に食って掛かることもなく、なぜか彼の判断を支持します。映画の山場に当たるこの一連のシークエンスが、全く理解できませんでした。映画の冒頭、現場に足を運んだ部下の記事を1面に載せさせなかった上司を彼は散々批判したのに、同じ過ちをしてしまったのではないでしょうか。彼の判断をどう評価していいのかわかりません。
起こった事件は未曾有の大事故なのに、それはただの背景でしかありません。本作のほとんどのシーンは「社内」という閉鎖空間のsmall worldの中。独裁者である社長の不正義に対して彼らは無力です。彼らが議論するのは新聞読者にはどうでもいいような「内部の論理」。事故の悲惨さに比べたら彼らの事情や虚栄心などもうどうでもいいほどちっぽけです。主人公や部下たちが奮闘すればするほど、彼らの行為や主張が「小さく」見えてきてしまいます。それに比べ、間に挟まれる登山のシーンの人物は「大きく」感じます。
本作は「報道の客観性、正確性、速報性の問題」「災害や事故現場における報道倫理や安全性」「権力への忖度」などマスコミの問題点や暗部には全く切り込みません。監督はこの映画でなにを描きたかったのでしょうか。社会派映画というよりも、まるで「スポ根」を見てるようでした。
1985年、日本航空123便墜落事故
1990年、普賢岳噴火の過熱報道による被害の拡大
2008️年、本作公開
2023年、BBCによるジャニーズ性被害報道
わが国のマスコミは数々の失態を繰り返しています。
「内部の論理」に縛られた日本のマスコミが抱える問題点の原型が本作の中には描かれているのに、残念ながらそれはメインテーマではありませんでした。