「描かないことで浮かび上がる狂気」クライマーズ・ハイ 因果さんの映画レビュー(感想・評価)
描かないことで浮かび上がる狂気
日航機墜落という空前絶後の大事故に立ち会った地方紙職員たちの報道をめぐる既得権益とプライドのぶつかり合いを鬼気迫るカッティングで描き出した「ジョブもの」の快作、と見せかけた異常者たちの狂宴だった。
物語は保守的な上層部vs革新的な若手という対立軸に沿って展開していくが、本作はこの単純な構図をもってしてマスコミ批判を展開しようなどという稚拙な試みには出ない。もちろん「どちらにも言い分はある」的な安っぽい相対主義に逃げることもない。そうではなく、本作は「外側」を徹底的に描かないことによってマスコミの独善性・閉鎖性を浮き彫りにした。
日航機墜落事故の全権デスクを請け負った悠木。彼は上層部や販売局の圧力を振り切りながら、事故当事"県"の地方紙としての意地を見せようと奮闘する。無論そこには朝日、毎日、読売といった大手紙に先んじられてなるものか、というルサンチマンが内在している。とはいえはじめこそ懐疑的だった周囲の同僚や部下たちも、情報を誰よりも先に届けるためなら土下座や退職も辞さない悠木のマスコミ魂に次第に呼応していく。
しかし先述の通り、本作は単なる爽快な「ジョブもの」とは様相を異にしている。劇中で悠木らはことあるごとに「報道の責務」や「情報を心待ちにする読者」といった外部からの期待をカンフル剤のように行使するのだが、それらの当事者は不気味なほどに映し出されない。悠木たちが手掛けた紙面が実際にどう受容されているのかという点に関して、本作は徹底的に沈黙を決め込む。初日の記者雑観が翌日の紙面に載らないことは、あるいは遺族のもとに朝一番で事故原因についての情報が届けられないことは、受け手にとって本当にフェータルなできごとなのか?もっといえば、ライバル紙の記者や関係者も出てこない。彼らの存在は「◯◯新聞がスクープを抜いたらしい」といった局内の口伝情報の中にしか存在しない。つまり悠木たちの価値観はどこまでも北関東新聞社の狭隘なオフィスに局限されており、外部がない。
受け手の存在を完全に度外視したまま際限なく加速していく悠木たちの「マスコミ魂」は、次第に実感覚を遊離した独善的・閉鎖的なものへと変貌していく。物語の傍流を成す登山のシークエンスはそれを強烈に詰る。登山というどこまでもパーソナルな営為に容赦なくモンタージュされる悠木たちの奮闘ぶり。それはあたかもマスコミの根本的な独善性・閉鎖性のアレゴリーであるかのようだ。
本作の参照元である『地獄の英雄』では、落盤事故というセンセーショナリズムに取り憑かれた新聞記者が大衆の愚かさや死の厳粛さを目の当たりにしたことを契機に倫理へと目覚めていくという筋立てだったが、一方で本作はそもそも外部が欠落しているのだから反省する手立てすらない。悠木らはいつまでも蜃気楼に霞んだ「読者」という山頂を指差し、空疎だがやたら熱気のこもった登攀を続けていくのだろう。
撮影技術に関していえば、ヒッチコックの『汚名』以上に細かく刻むカッティングが印象的だった。本編の半分くらいがオフィスの中で展開されるような動きの少ない映画こそ撮影や編集の腕の見せ所だが、やりすぎは禁物。本作はその辺の塩梅がちょうどよく、技法だけが悪目立ちしている感じがあまりしなかった。