劇場公開日 2010年1月15日

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かいじゅうたちのいるところ : 映画評論・批評

2010年1月5日更新

2010年1月15日より丸の内ルーブルほかにてロードショー

孤独な少年の心の奥底へ降り、荒ぶる魂を鎮めていく精神療法的ファンタジー

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悩ましい大人の頭の中身を眩惑的に描いてきた鬼才スパイク・ジョーンズが、センダックの絵本を手掛かりに孤独な少年の心の奥底へ降りていくと、そこには哀しくも愛おしい、ちょっと凶暴な世界が広がっていた。

父性を欠いた家庭。母や姉に構ってもらえないマックスは、荒海を越え不思議な孤島に流れ着く。混沌の森、淋しげな砂漠、哀愁の砂浜。少年の現実が投影された心象風景の表現法に目を見張る。耐え難い状況に直面した子供は、受け容れやすく変形させた虚構の居場所を創り上げ、なんとか答えを見出そうとする。マックスの痛みは、「パンズ・ラビリンス」の冷酷な父から逃れようと必死なオフェリアや、「千と千尋の神隠し」の飽食の限りを尽くした両親を救うべく奔走する千尋に比べれば、さほど大きくはない。しかし少年は皆、心の中にかいじゅうを飼っている。それは自己顕示欲であり、悲しみの咆哮であり、危うい破壊願望だ。複雑な感情の実体化ともいえる彼らの関係性は入り乱れ、マックスを翻弄する。まさに荒ぶる魂を徐々に外部化していくプロセスであり、もはや精神療法的ファンタジーとでも呼びたいほど。

好奇の視線を体現するカメラワークと鼓動に同化したサウンドが、揺れ動く内面にシンクロし、着ぐるみによるかいじゅう造形は、少年が求めてやまない慈愛に満ちた世界の温もりそのもの。これは成長譚ではない。愛情を渇望する少年が平穏を取り戻すまでの、繊細な心理のビジュアル化である。

清水節

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