シークレット・サンシャインのレビュー・感想・評価
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ソン・ガンホの無邪気さ。
再見。
宗教に救われてその後に絶望するという当り前の事象を捉えるに、オチが無いべくして無い正しさ。
それは描写の全てに隙が無く、容赦が無く、甘さが無いから。
宗教なんかよりソン・ガンホの無邪気で全編が救われてしまう、それこそが人類の救い、という。
支持。
何が救い?
非常に重い作品です。喪失と救済、そして怒り、崩壊、宗教、寄り添う愛、さまざまな要素が織り込まれています。まさに映画的。軽い気持ちで見られない映画。万人受けしないだろうというところからの評価です。
赦すということ
罪を赦す事で人は神に一歩近づき
神と一体化できると信じたシネは
自分の息子を誘拐し殺した相手を赦すと伝えに留置所まで行くが、犯人はすでに留置所で宗教に目覚め、
神に赦され穏やかに生活していた。
自分の子供を殺した相手を勝手に赦した神に裏切られた思いのシネは
自分も罪を犯し、それでも赦すのかと神に問いかける。
重いテーマで救いはないのだけれどシネに下心ありで近づいたキムさんがいつもヌケた笑いで緊張感を解き
また、冷たくされても常に静かに寄り添う姿に恋愛感情を超えた愛を感じ、ラストのシーンでは風に飛ばされる髪と道端の日差し、草の影にも優しい神の眼差しを感じさせた。
スコセッシの『沈黙』にも似た
神はいくら問いかけても何も答えてくれないが
沈黙のなかに答えがある、というメッセージを感じた。
シネの演技に全てがかけられた作品であり
それに見事に答え演じきった女優に感服。
これは、宗教を信仰している人にこそ、観て欲しい映画なのではないだろうか・・・。
これは、宗教を信仰している人にこそ、見てほしい映画ではないだろうか?
最愛の息子が誘拐され、無残に殺された。それでも、この主人公は涙一つ、流すことはできない。
それは、亡き夫が浮気の果てに死んでしまっても、決して認めず、自分は愛されていた、不幸な身などであるはずがない。だからそんな夫の遺志に従って、彼の故郷で暮らすなら、より幸せになれるに違いない。そう思いこんでいた彼女にとって、仕方のないことだった。
韓国の多くの人たちは、生き辛い人生を生きている。だから夢のように美しく、どんな苦難も乗り越える切実な愛を描くドラマや映画に夢中になる。
だから、この主人公は、韓国では特別な人ではないのだろう。
人間は、どんなに強く願っても、幻想で満たされることはできない。しかし彼女は現実で涙を流すことはなくても、幻想じみた宗教の教導の場では、激しい嗚咽を叫ぶことが出来るのだ。
彼女はたちまち、「神様との恋愛」に夢中になり、自分を幸福だと思いこむ。しかし夫の裏切りとは違い、子供を失った孤独で凄惨な現実から解放されることは、決してできない。
子供を殺した犯人の娘は、どこかそんな主人公に似ている。逃れられない理不尽な苦痛にさいなまれて生きている。そんな姿を垣間見た彼女は決意する。犯人を自分が許すことができれば、この苦痛から逃れることが出来るのではないかと。
しかし犯人は、自分が許さなくとも、信仰によって既に許され、穏やかな日常を生きていた。
自分だけのものだと思っていた幻想が、他者のものでもあったと知ったときの憤り。信仰など、神の愛など嘘だと叫び続けたその果てに待っていたのは、生きたいと思う自分の人生も嘘だという当然の結論だった。しかし幻想に慣れた彼女がそんな苦痛を受け入れられるはずもない。
助けを求め生き延びた彼女。やがて精神病院から退院する日を迎える。
そんな彼女にずっと振り回され続けてきたこの『蜜陽』という町に住む男の車には十字架がかけられている。男は言う、「最初は彼女の為にと通っていたけれど、今じゃ教会に行かないとなんだか寂しいんですよ」
相変わらず男にそっけなく、わがままに美容院に行きたいと言う彼女。そこで待っていたのは、犯人の娘。学校もやめ、少年院で覚えた理髪の腕一つで社会に受け入れられて生きていた。
よりによって退院の日に、これを見せられる。天を睨むしかない主人公。
町にもどれば、彼女の善意の助言を変わり者の世迷言のようにしか見なかった洋服店の店主が、助言通りにしたら、言う通りだった、ぜひお礼をしたい、と声をかけてくる。
得体のしれない天のまなざしが気に入らず美容院を飛び出した主人公は、仕方なく自宅で髪を切る。追ってきた男は、笑いながら気恥ずかしく鏡を持って、その手伝いをする。
切り取られた髪の毛は、風にあおられ、温かい日差しの中に吹き寄せられていく。
あーぁ、だから嫌なんだよ、宗教って~、笑。月並みに、そう思うだけだろうか?
もし彼女が神様への恋愛を知らなかったなら、どうだったろうか?犯人を許せたろうか?その娘の苦しみに気付けたろうか?自分自身がウソだらけの生き方をしていることに気付けたろうか?彼女に付きまとう男は、彼女の身勝手やわがままに愛想をつかさずにいられただろうか?町の人たちは狂人同然だった彼女に素直に感謝出来ただろうか?
『幻想』というものは、人間にとって単なる絵空事ではない。
本当に美しい心を持っているから、幻想というものは生まれてくる。ただ現実の中で、その美しい心を実らせることができないだけだ。
彼女は曲がりなりにも神を信じている。信じざるを得ないほど、その心が美しいからだとも言える。
だから本当はすべてわかっているのかもしれない。現実に汚された心を、神様は苦労して洗い清め、それでも笑って生きていけるように、心を砕いていてくれるのだと。
そう、思うのと、思わないのとでは、180度、風景が違う。
ラストシーン。薄汚い、ホースと、洗濯板と、空の洗剤と、濡れた赤土。
そんなものに温かく、力強く降り注ぐ日差しに、心を動かされたかどうかで、この映画を観た価値は決まる。
韓国の映画は俗っぽくて、軽薄で汚い。そんな美しくは無い物に、日本人は容易に心を動かされたりはしないかもしれない。だが、ここには誰かを守りたいという、偽りのない愛、そして人間らしい温かいまなざしがあることを、見逃さないでほしい。
Talk with God
話は長くて重いが、折々に意味が吹き込まれていて、文学的でもあり、観賞後に反芻して考えさせてくれる。宗教に踏み込んだ話であるが、宗教観というよりも人生観を語っているように思う。主人公が戸惑う面会シーンは三者の演技が交錯する見事な出来映え。ラストは、多幸感溢れる美しい絵画のようでもある。
密陽=シークレットサンシャイン
ソンガンホに抑えた演技はどうだろうと思ったが、
彼は空回りしっぱなしの愛すべき役でした。
事件が起こって宗教が出てきた時、
脚本家の偏見を見せつけられるのかと心配になりましたが、
その根本的な矛盾を見せつけたところに、一本獲られました。
容赦ない
韓国映画はあまり観慣れていないのだが、ある人物の日常を冗長とも思えるほど丁寧に描き、油断した頃にガクンッと突き落とすような描き方に、慣れないスリリングさを覚えた。その衝撃展開が4、5ポイントほどあるから、観応えすごすぎ、絶望すぎ。容赦ない。
主人公はどうしたかったのか?神様の正体と宗教の意義を含めて考えてみました。
主人公のチョン・ドヨンの演技がすごかったとか、キム社長役のソン・ガンホがユル・イイ奴で良かったとか、一本の映画としてイイ映画だったと思います。それは間違いないですね。
でもさらに、「神様ってなんだ」とか「宗教ってなんだ」とか、「赦しってなんだ」っていう命題をグリグリと突きつけられる作品で、考え始めたらえんえん考えちゃうタイプの映画でした。
えんえん考えて、とりあえず至った解釈は、
「神様は直接的には助けてくれない」という真理を主人公は誤解して、アテが外れてイジケていたけど、実は主人公が気付いてないところでちゃんと救われていたというお話です。
主人公が誘拐殺人事件で我が子を失って、心のダメージを負いました。どれ程のものか想像すると、子を持つ親としては胸が痛いですが、仮にその損失を100とします。
損失100を復讐100で直接的に回収することは、犯人逮捕によって不可能になりました。
でも損失100をひとりの個人が抱えるには、あまりにキツイようです。
損失100は、心の中では怒り100になったり悲しみ100になったり、悔恨100になったりと暴れ回ります。このままでは心が壊れてしまうので、いったん損失100を「債権譲渡」みたいなカタチで宗教に委ねることにします。
宗教に委ねた100の空白は、「神の愛」とか「救済」で補填されることになりました。でも主人公が思っていたよりもずっとゆっくり、少しずつです。
待ちきれない主人公は、「犯人を許すという善行」によって、その100を一気に取り戻そうとしました。犯人が反省していれば「犯人の懺悔や後悔100」を、犯人が反省していなければ「犯人の囚われの苦しみ100」を目の当たりにすることで溜飲を下げることができたでしょう。どちらにしてもそれを“主人公が”許すということで、優越感100なのか、自己充足100なのか、なんらかのカタチで損失100を回収できると、漠然なりとも期待したのではないでしょうか。
ところが刑務所の面会の場面。あの展開はビックリしましたね。そこをヤマ場にして映画を終わってもいいんじゃないかと思いました。
なんと犯人は、すでに“神様が”許していたのです。「逮捕されてから入信して神に許しを乞ううちに、自分は神に許されたのです」としゃあしゃあと言いやがるわけです。
今日“私が”なんらかのカタチで回収するはずだった100を、こともあろうに“犯人が”「神の許し100」というカタチで手に入れてるってことです。
主人公にしてみれば、「私が預けた債権を神様が勝手にチャラにしやがった。裏切られた!」って気持ちになりますね。そうすると、主人公が回収し損なった債権100の取り立て先は、犯人から神様に交替するわけです。
神様から何を取り立てるか。
主人公のとった行動は、例えば「神の御前で」CDを万引きしてやる!とか、
宗教講演のBGMを、万引きしたCDにすり替えて講演を妨害してやる!とか、
聖人を気取った信者を誘惑して、姦淫の罪を犯させてやる!とか、
自分に純粋に尽くしてくれるキム社長の愛を、下世話な性欲で汚してやる!とか、
ついには自傷行為してやる(死んでやる?)!とかでしたね。
主人公はそういう行動によって、神の権威の失墜100を意図したのでしょうか?自分を裏切った神を逆に100裏切り返してバランスを取ろうとしたのでしょうか?
たぶんそうじゃないですよね。
こういう行動って「自分を捨てた男への当て付け」であったり、「自分を愛してくれなかった親への当てこすり」によくあるパターンじゃないですか。
つまりスネて甘えてるってことです。「こんな私を救ってみせてよ!」ってことなんですけど、それらの行動はどれもこれも途中で失敗します。
万引きしても店先で捕まるし、宗教講演は続いていくし、誘惑は未遂で終わるし、キム社長は純愛を貫くし、自分は病院から退院してきちゃうわけです。
退院ついでに美容院に寄れば、そこの美容師は犯人の娘で、その娘は、主人公が罰を与えたわけでもないのに、ちゃっかり神様から試練を与えられてそれを乗り越えつつあったりします。
捉えようによっては、何から何まで主人公の思うようにはなりませんでしたが、
それこそが「神の愛」であり「救済」であったことに主人公は気づきません。
主人公はさんざん神様に毒吐きますが、結果的には報復殺人者にならなかったし、(神を恨むことで)人を恨まずに済んだし、自分を汚したり殺したりせずに済みました。神様の仕事としてはグッジョブな部類に入る方のお話だったと思います。
神様は実体を持たないので、人を直接的に救うことはできません。実体がないのを擬人化したり、偶像化したりするので神様や宗教の話は往々にしてややこしくなってしまいます。
じゃあ神様とははなんだって話は、この映画でいうところではキム社長であり、店のインテリアをアドバイス通りに変えたおばさんです。
現実社会に存在する神様は、ピカピカの法衣を着ているわけでも、超能力者的なキャラクターを備えているわけでもなく、そのへんで暮らしにまみれて何気に支えてくれるのです。
世界全体を余すこと無く照らしてくれる天照大御神なんてのは、突き詰めていけば単なる「太陽の擬人化」です。太陽を科学的に「惑星」として認識するのであれば、天照大御神という神様は必要ありません。
でも自分の人生で足元がおぼつかない時、そこをピンポイントに照らしてくれる誰かがいるならば、その人をこそ神様として有難がればいいし、誰かが困ったときにその足元を照らしてあげられるなら、その人は誰かにとっての神様になるわけです。
「じゃあ、困ったときはお互い様ってことで、助け合ったほうが人類全体としては生きやすいよね。」っていう知恵とか仕組みを「宗教」って呼ぶんだと思うんです。
美容院には行き損なった。自分で髪を切るのはやりにくい。でも鏡をいい角度で持っててくれる人がいる。その程度の、ちょっとした暖かい「日差し」が、神様の正体ですって話だったんじゃないかなと思いました。
宗教の力
心に深い傷を持った女性が宗教により追い詰められてしまった。結局最後に人を救うのは人ってことなのかな。宗教の効用と限界を描写してると解釈しました。宗教は人により幸せな結末を迎えらる場合もあるだろうし、より不幸になる場合もあるんだろうと思います。見ごたえがありました。宗教にはまるのはやっ!とは思いましたが。
テンポ悪いのでちょっと眠い
キリスト教を信じて救われるってことをより近い文化圏の視点で理解できるかと期待したけどまったくわかんない。むしろそれを否定してるのかなと。
面会に行ったあとキレちゃう気持ちはなんかわかるし、独特の人間関係が面白いから観て損はないけど個人的にはキム・ギドクの宗教観の方が共感できる。
映画館で観たら、自分は一体どうなっていただろう
ずっと映画館で
上映されていたときから気になっていました。
ただ自分でも
その辺りの深層心理がわからないのですが、
映画館に足を運ぶのを躊躇っている自分がいました。
ストーリーも知らず、
ここでの評価も高かったのに。
ひとつだけハッキリ記憶に残っているのは
リーフレットに映し出された主人公の女優さんの
表情に近寄りがたい、いや近づいてはいけないオーラを感じたこと。
満を持して、というわけではありませんが、
覚悟を決め、DVDを手にとったのでした。
☆彡 ☆彡
重いですね
さすがカンヌ国際映画祭女優賞を獲っただけありますね
あのソン・ガンホが霞んでみえましたから
映画館で観るべきだった
映画館で観なくてよかった
両方の思いが交差しています。
映画館で観ていれば
もっと自信を持って星5個をつけます。
でも、映画館で観ていれば、
すぐに席を立つだけの力を
両脚に行き届かせた自信がありません。
家で観ただけなのに
気がおかしくなりそうですから
映画館で観ていたとしたら、一体どうなっていたことか。
わけもわからず、前の席をバンバン叩いたり、
なんの関係もない、赤の他人を睨みつけたり、
おそらくまわりに迷惑をかけてしまったような気がします。
『チェイサー』鑑賞直後のお手洗いで
まったく見ず知らずの男性を睨みつけ怯えさせてしまったように。
作中のシチュエーションではありませんが、
これほどまでに映画館から自分に今作を遠ざけたのは
なんらかのメッセージが込められていたのだと思います。
◇ ◇
なにをキッカケに
イ・チャンドン監督は今作を着想したのでしょうか。
作品タイトル
音楽の使いかた
ストーリー展開
オープニングとエンディング
こんな月並みな言葉で
大変申し訳ないのですが、
パーフェクト、完璧でした。
音に関していうと
ある出来事が起きているとき。
音楽流していないんですよ。
音楽流して観客の気持ちを動かすような場面なのに。
セリフだけで行ききっちゃうんですよ。その場面で
「この映画、エライ作品だぞ。やばいぞ、これは」とアラームが鳴りました。
もう、そこから先は・・・。
もう、ことばになりません。
☆彡 ☆彡
“嘘”
“赦し”
“偽善”
“青い鳥は心の中にいる”
主人公の彼女は
最後に気づいたのでしょうか。
あなたははやくからゆるされていたことに
宗教って、神様って、平等って、赦しって。
イ・チャンドン監督の作品は強烈だったオアシスしか観たことないが、
オアシス同様にグヮン、グヮンと揺さぶられた。
事故で夫を亡くしたシネ(チョン・ドヨン)は夫の故郷で再出発するために、
息子ジュン(ソン・ジョンヨブ)と
ソウルからミリャン(密陽)へ引越しをする途中に、
車が故障してしまいレッカー車を呼ぼうとしていると、
自動車修理工場を営んでいるジョン・チャン(ソン・ガンホ)がやってくる。
彼は親切にしてくれ、街についてからも世話をやいてくれ、
ピアノ教室も開き、順調そうな生活を送っていたが、ある時息子が・・・。
息子が、シネが車から降りるシーン。
息子が父親のイビキを真似し、そんな息子を真似するシネ、などなど、
つまんない作品だと終盤になると覚えてないことも多いような僕が、
序盤の印象的でもないようなシーンが物語が進むと、
無駄のなかったシーンの連続だったということが分かり、蘇ってきて、
残酷に人間の本質を描いているようで、それでいて美しく、
恐さすら感じてしまう。
絶望の淵に立ち、壊れてしまうシネ。
何も出来ずに傍にいるジョン・チャン。
序盤から自分を作っている様な主人公のシネも、
優しくしてくれるジョン・チャンをはじめとしたミリャンの人々も、
少しずつ何か気持ち悪いというか、観てて居心地が悪い。
普通なようで気持ち悪いようで、どこか変な感じを漂わせている。
それは何かあると思って観ているからか、
現代の居心地の悪さか、シネの居心地の悪さが出ているのか。
中盤で宗教に救いを求め表情が変わっていくシネにも、
そんなことじゃないんだろうなと、何を描こうとしているのか、
イ・チャンドン監督の作品を知っていると、身構えつつ観ていると、
あるきっかけでまた壊れていく。
はじめは薦められた宗教の勧誘をこばんだシネが神を信じ、愛し、
癒されていく先にあるものは、赦そうとする気持ち。
しかし、発せられた言葉に、絶望感を味わい、また壊れていく。
赦すとはどういうことなのか、シネは神ではない。神は平等なのである。
空を睨んでシネは神を罵倒し、もがき苦しみ、光を求める。
そして、冒頭では空を見つめていたカメラも、
その空から降り注ぐ光を追い求めていたように、ラストで着地する。
何を信じて、何に救いを求めればいいのか、
矛盾を感じた時どうすればいいのか。
おかしいと思ってしまう赦しを提示し、
複雑になりすぎているような世の中で、何をあなたは信じますかと、
監督に問われているようである。
最初は下心から優しくし、近づいたかもしれないジョン・チャンが、
シネに特にこれということもなく寄り添っている姿は、
存在感を消し去ったように演じるソン・ガンホがただ傍にいることが、
平凡の男でもいてくれているだけで、救われているように感じる。
あなたの幸福とはこんなことではないですかと、優しさを感じさせ、
ぐるりのこと のリリー・フランキーも想起させるようで、
誰かに寄り添い、寄り添って貰いたいと思い、
時代が求めているのはこんな男なのかもしれないと思う。
ぐるりのこと のラストのセリフを思い出す。
デリケートな内容で、人間の残酷さだけでなく、
やさしい温かさを描くイ・チャンドン監督の思いをしっかりと受け止めて、
全身で喜怒哀楽を表現し、カンヌ国際映画祭で主演女優賞を獲得したという
チャン・ドヨンの素晴らしい演技に圧倒され、
抑えた演技で見守ってくれるソン・ガンホに惚れる。
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