山桜のレビュー・感想・評価
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泣ける殺陣
地味ながら秀作。
正直、東の出ているものは
たいして面白かった試しないのだが
この作品は別格。
東の凛としてすゞやかなたたずまい、
ダンスで鍛えた軽やかで流れるような殺陣。
美しい!の一言!
役にピッタリであります。
殿中で抜刀して切腹の沙汰になった忠臣蔵の時代に、
地方とはいえ殿中で刃傷沙汰おこしてただですむわけは無く。
それを覚悟の上の
殺陣は悲しく美しく。
殺陣で目頭にキタのは初めてかも知れません。
田中麗奈さんも好演。
出戻りのわりには若いかな?とも思うがその昔は初婚が早いからアリアリ。
意外なことにこの映画は母性愛の話でもある。
田中麗奈、東、のはいうにおよばず。
再婚相手の母でさえ、わが子の小物さを知りつつ、格上でいけ好かない嫁であっても息子が好きな嫁ならば、と思っていたのであろう。
できた母ではないが母の愛には違いない。
居場所はずっと昔からここにあったのだ、と
悟るもその先にはどんな運命があるのだろうか。
ラストにかぶって流れる歌詞も意味深で
良くも悪くも解釈できる。
けっして押し付けがましくなく染み入る映画でした。
藤沢作品はいいねえ…。
加えて細やかな描き方で
当時の人々の暮らしを浮き上がらせてくれました。
たとえば足袋は汚れるから
いいとこの家じゃないと家の中で履きません。
板張りで汚れて何度もあらうと駄目になるからです。
てろんとした絹の『柔らかもの』と呼ぶ着物は
張りのある織物より格上で、上品とされてる着物。
それを質に持っていきますね。
きっと実家が嫁ぐ時に持たせたものなのでしょう。
そんなところからもいろいろ読み取れる、
演出にしびれました。
自分の居場所が見つかってよかったですね、野江さん。
藤沢周平を意識したのは、映画「たそがれ清兵衛」からだが、それから7〜8冊小説も読んだ。大好きになった。でも、やはり氏の作品は剣客が主人公のイメージが強かったが、こんな女の人が主人公の作品もあったのだと驚いた。心打たれたので、原作も読んでみた。映画は、原作の雰囲気を壊さず温かい作品に仕上がっていた。前から感じていたことだが、藤沢周平は女心がわかる人だ。出戻りのつらさや、実家への気遣いなど丁寧に描かれていて、好感を持った。そして、凛とした女性の佇まいがすてきだった。全てが解決して終わる訳ではないのに、なぜかほのぼのとした気持ちになれて、見終わって幸せな気分になれた。
あなたは今、幸せですか?
主人公(田中麗奈)の最初の結婚は、夫が若死にし、再婚した今の夫はお金がすべてという俗物だった。
ある時、以前、結婚の話があり、自分が断った男(東山紀之)と出会い、「貴女は今、幸せですか?」と問われる。
そして大事件が起きる。
藤沢周平の世界に浸る。
録画ラストの言葉
ラストの言葉が曲に消されはっきり聞き取れなかったので何度も再生、音量を大きくして確認できました。桜散る夕立にせかされ独りよがりだった僕の想いははらはらこぼれ舞う。女性の声で弥一郎の気持ちを唄ったものなのか?想像力を必要とするラストの言葉と映画でした。
同じ海坂藩の血が共鳴した!
キネマ旬報では
38位と高い評価ではなかったが、
同じ庄内藩(海坂藩)出身の作家、
藤沢周平原作映画として鑑賞。
原作は短編とのことで、話の展開は単純だ。
演出の拙さも多々感じられたが、
冒頭で出会った二人が最後にどう一緒に
なれるのか、興味深く観ることが出来た、
ただ、そもそもが藤沢作品では、
庄内人の気質がそのまま反映されている
ような気がして、他の映像化作品でも、
ゆっくりでのんびりした気質、
そして寡黙だが忍耐強い、
とのイメージがある。この作品でも
その影響か、前半は冗長だったものの、
後半からは作品の世界に引き込まれ、
彼の無事を祈る主人公の願掛けのシーン以降
は涙なくしては見れなかった。
主人公の母親の「貴女はほんの少し廻り道を
しているだけなんです」との
セリフもとても良かった。
全ての人に、たとえ遠廻りしてでも
幸せが訪れて欲しいと思わせてくれる。
この映画の2年後公開の同じ藤沢周平原作作品
「花のあと」と共に桜がモチーフに
なっていたが、
「花のあと」では、結ばれなかった男性との
過去の想いを断ち切る、
いずれ散る儚さの象徴として、
そして、この作品では、たとえ遠廻りしても
桜の花のようにまた開花する時は必ず来る
との再生の象徴として、
描かれているように思えた。
ところで、最終版になって
かつての縁談の相手の母親役として
富司純子が登場したのには驚かされた。
同じ藤沢周平原作の「たそがれ清兵衛」の
ラストシーンでの岸惠子の登場が
思い出されるが、
この作品でも締めに相応しい俳優による
格調高いエンディングに繋がった。
さて、この作品のラストシーン、
最後の顔を田中麗奈ではなく、
東山にした監督の技量は気になるものの、
解釈を観客に託したかに思えた海外作品
「スリー・ビルボード」とは
違う意味ではあるが、
二人の結末までを、あえて描かない演出は
上手い選択で、余韻がより深まった。
この作品の場合は、
二人はその後一緒になり幸せになった
ことだけは確かなのだから。
11/28追記
原作本を読みました。「時雨みち」の中の
一話でしたが、かなりの短編で、
弟が東山の優れた人物像を姉に語る前提も、
私服を肥やす重臣と夫の関係や、
東山がその重臣を斬る切っ掛けになった
農民の悲惨な状況を見て物思いに耽る
エピソードも無く、
また、心に残る、母親が
「貴女はほんの少し廻り道をしてるだけ
なんです」と語る場面もない。
原作では、主人公自ら
廻り道をしているのではないかとの
自問があるだけである。
そして何よりも、原作同様ではあるが、
結果を描くことなく、
二人はその後一緒になって幸せになったと
観客に確信させるエピローグを、
更に分かりやすく描いた手法は見事だった。
ある意味、この原作は長編に書き直す前の
メモ集のような感じさえある。
そこをこの映画は、
映像作品としてオリジナリティを出すべく
別の次元に原作を改変してしまう作品を
多く目にする昨今、
原作の心を尊重して
藤沢周平の世界に心地良く浸らせてくれた
上手に肉付けした作品に思える。
言葉が少ないからこそ
普段はほとんどの映画でストーリーの面白さを求めてしまっていたが、この作品で演じられる野江や手塚は言葉はそれほど多くない。
しかしそれが故に感情移入、同化することができ、久々に映画を観るもう一つの喜びを味わえた気がします。
ひとに勧めたくなる良い作品でした。
気品漂う時代劇を久々に見た。 田中麗奈、東山紀之、檀ふみ、篠田三郎...
気品漂う時代劇を久々に見た。
田中麗奈、東山紀之、檀ふみ、篠田三郎、富司純子、悪役村井国夫に至るまで品ある俳優陣。
話は単純。しかしどこか奥深い。そこには確かな人間の情がある。だから心動かされる。ラストはいったいどうなるのかと…そう来たか、残念なような…しかし納得。原作通りのよう。
藤沢周平原作作品にハズレなし。どの作品も原作の素晴らしさを感じる。ただの大衆時代小説とばかり思っていたが、どうやらそうではなさそうだ。激しく読んでみたくなってきた(笑)
明日放送あり、見て損はなし。
東の人柄を表すような展開
田中麗奈扮する磯村野江は、叔母の墓参りの帰り、山桜が目にとまり見入っていた。一枝取ろうとしたが取れずにいると、東山紀之扮する手塚弥一郎が近づいて取ってくれて言葉を交わした。磯村に野江が嫁ぐ前に弥一郎と縁談があった相手で弥一郎はまだひとりだった。野江の弟が藩校の道場で弥一郎に剣術を指南してもらっていた。野江は、嫌味な磯村家では決して良い立場ではなかった。弥一郎の藩は窮乏に貧しているが、私腹を肥やす藩の重臣を斬ってしまった。果たして弥一郎の運命や如何に? 田中麗奈主演作なれど、地味なトーンながら東山の人となりをそのまま題材にしたような展開だったね。
女の幸せ
風雪に耐えて咲く山桜の下、男は直向に正義を貫き、女は熱い想いを胸に秘めた。
冒頭のシーン、女は山桜を栞ろうとし、男は無言で手折って渡す、ほんの僅かに発した言葉に女は静かに胸を熱くする。春爛漫の山里で四方に満開の花を拡げる山桜、美しい日本の春の里山の情景が心に深く沁み込みます。
女の手が届きそうで掴めない花、これを女の幸せと擬えた時、上品で清澄な優美さに満ちたこのシーンが、本作を象徴し、如実に物語っているように思えます。
本作は、先日NHK BSで放映された2008年公開の、藤沢周平原作の短編を篠原哲雄監督、田中麗奈主演で映画化した作品で、舞台は江戸後期、藤沢作品にはお馴染みの北国の小藩・海坂藩。
嫁ぎ先に恵まれず不幸な結婚生活を耐え忍ぶ女が、嘗て縁談を断った武士との偶然の出会いをする。男が、私腹を肥やす家老を白昼斬殺するという事件が起き、これを通じて男の実直さ高潔さ、強く気高い正義感と行動力、潔さ、そしてその後、男が心奥に秘めていた真情に触れ、女は来し方を見つめ直しこれからの生きる道を見霽かす、という、事件を除けば、取り立てて抑揚のない淡々と粛々と静かに揺蕩うような筋書ですが、観終えた後に清楚な爽快感が残り、台詞、特に心情を吐露する台詞が殆ど無いながら、それ故に却って沁み沁みと心に伝わってくる日本人の心根の琴線に触れた心地良さ、清々しい快感が得られました。
時代劇の様式美、心情風景を台詞でなく、所作・表情・情景で描いた美しい作品です。
田中麗奈が武家の女を、意外に器用に熟しており、作品にしっとりした落ち着きを与えてくれましたが、相手役となる東山紀之の颯爽とした凛々しい武士が一層引立てていました。彼は今最も時代劇に適っている役者の一人であり、特に太刀捌きは、上背もあって見栄えも良く現在の俳優の中でも出色でしょう。ラストに登場する富司純子は流石です。作品に重みと爽やかさを齎してくれました。
【藩の農政を慮り、不正を行う重臣への命を懸けての”下級武士”の行動。そして、彼を密かに慕う同じく下級武士の娘の姿が心に染み入る作品。近年、今作のような品のある時代劇映画が、減ったなあ・・。】
ー藤沢周平、「海坂藩シリーズ 番外編」ー
■印象的なシーン<caution 内容に触れています。>
・手塚が野江と墓参帰りの際に山桜の前で会うシーンの美しさ。
ー”今はお幸せでござるか・・”と声を掛けながら、山桜の枝を手折り野江に渡す手塚。この後、二人の過去の関係性と現在の野江の辛い日々が描かれる・・。-
・海坂藩の下級武士の娘・野江を演じる田中麗奈の質素だが、美しき着物姿。そして、彼女の両親が二度も出戻った娘を、責めない姿。
ー 母(団ふみ)の言葉 ”貴女は、ほんの少し回り道をしているだけなのです・・”ー
・同じく、海坂藩の下級武士で剣術に秀で、藩校の道場で剣を教える手塚弥一郎を演じる東山紀之の凛とした侍の姿。
ー この方は、大岡越前のイメージが強いが、今作のような役も実に良く合う。-
・凶作が続く海坂藩の重臣、諏訪は財政の為と言いつつ、私腹を肥やし別邸などを立てている・・。手塚が諏訪の一行と会った際、頭を下げつつ道を譲りながらも諏訪を見る目の厳しき事。
一方、諏訪に媚び諂う野江の再婚した夫、磯村を含めた連中の姿との対比。
野江の夫に対する激しき目付き・・。そして、自ら離縁して実家に戻る姿。
・手塚は、且つて握り飯を田で渡した少女とその母の粗末な墓の前で手を合わせる男の姿を見て、重大な決意をする・・。
ー多くの人が、見て見ぬふりをしているのに・・、そして諏訪の行状を江戸にいる藩主に知らせようとした者の事を耳にしているのに・・。自分の命を犠牲にしてでも・・。-
ー 野江の父(篠田三郎)の言葉 ”あの事件はお家を動かした・・”ー
・手塚は自らの意思で投獄され、冬が来て、又春が来る。獄中の小さな窓から見上げると、そこには蕾が開きかけた桜が・・。
野江は手塚の母(富司純子)の家を勇気を持って”山桜の枝”を携え、訪れる。そして野江の訪問を喜ぶ手塚の母と、粽を作りながら”新たな生活”が始まることを祈る・・。
<藤沢周平の世界に触れた人であれば、海坂藩のモデルは庄内藩であり、藩主の酒井家は代々、名君であった事は承知の筈。(手塚が切腹にならない理由の背景であろう・・)
又、随所で映し出される月山の雄大な姿や、庄内平野の美しい風景も印象的な、品性高き時代劇映画の佳品である。>
猟奇的な猫娘が素敵な女優に見えました・・・
田中麗奈がいい演技をしています。好きな女優ではなかったのですが、見直しました。東山も主役でありながらセリフは少なく、目とたたずまいだけで日本の武士道を表現しています。見終えた後、幸せを感じる事ができる作品だと思います。
佳作という表現がピッタリ
静かで淡々とそれでいて魅せられる佳作という表現がピッタリの映画でした。桜の花を抱えて手塚家の門を開けるシーンが印象的だった。そうよね、運命の扉は自分で開けなくては、他力本願じゃだめよね、とつぶやいていました。
それにしても田中麗奈ちゃん、キャピキャピの現代っ子の容姿のようで、時代劇にも合うのね。何より画面が明るくなるのがいいね。
藤沢作品の持つ、美しい風景描写と心情、そして独特の間を完璧に表現した作品
大変美しい風景描写の作品です。
雪解けが進むせせらぎには、春を待ちきれず咲きそろう草花が水面を映え、そよぐ風も温んで心地よさそうです。画面を引くと、冠雪のままの雄大な鳥海山がそびえ、冒頭だけではや観客を藤沢周平の世界へ誘うのでした。
美しいのは風景だけではありません。山桜で描かれる心情そのものが滋味に満ち、心にジ~ンと響き、見ている方のこころも洗われてピュアになっていくような作品でした。
構想7年。『たそがれ清兵衛』『隠し剣 鬼の爪』『蝉しぐれ』『武士の一分』と続く、藤沢周平作品の映画化最新作です。そして初めて女性が主人公となった映画化となりました。篠原哲雄監督の抑え気味な演出が光り、藤沢作品のなかで最高の仕上がりと思います。藤沢周平の長女遠藤展子氏も、「まるで父の小説を読んでいるような錯覚を覚えた映画です。」と絶賛しています。
原作では、夫の病死で離縁をされ、その後気に入らない再婚話を受けて嫁いだ野江が、つらく切ない環境の生活に思い悩んだ末にやっと本来の男性と新しい人生を歩みだす話になっています。けれども本作には、敢えて最後のオチの部分を切り落とし、本来の男性に思いを寄せるところで終わっています。
このラストも余韻が残る言い終わり方でした。
野江役の田中麗奈さんは、心の強い凛とした女性像を見事に体現しています。彼女なら筋を通して嫁ぎ先に離縁されても、さもありなんと思えました。
昔から野江に好意を寄せていた武士手塚弥一郎は、山桜の下で再会したとき凛々しさ、そして剣術の使い手として殺陣筋の美しさはほれぼれするもので、東山紀之さんの演技にも注目して欲しいと思います。
また真の主役といえる山桜もなかなかでして、写るだけでも感動的でした。そして枝を野江が実家で活けても、それが何か主張しているむように、物語を映えさせました。
特に壇ふみが演じる母が、活けられた山桜の花弁が散る様を見て、嫁ぎ先で苦労する野江の姿を枯れゆく山桜にダブらせて案じる姿が印象的でした。
その後手塚弥一郎は、私腹を肥やし農民を飢餓に追いやる組頭を斬って出頭してしまいました。それがもとで結局2度目も離縁して野江は実家に帰ります。ここから藤沢周平の原作は、野江を藤沢作品を代表する女性像として浮き彫りにしてゆきます。
手塚弥一郎は獄舎に入ったまま、無言。台詞もありません。そこに野江がけなげにお百度を踏む姿が何度も重なります。台詞やト書きは一切ありません。しかし観客は野江の気持ちがスクリーンを通じて痛いほど伝わってきて、泣けてきます。
ふと気がつけば、冬が過ぎ、春が巡ってきました。僅かな牢の窓から山桜が咲いているのを弥一郎は気づきます。同じ頃野江も山桜を見つめていました。ふたりの間をまるで山桜がつないでいるようでした。
折った山桜を手土産に、野江は思い切って手塚弥一郎の家に向かいます。これまでに何度躊躇したことでしょう。家は弥一郎の母親のひとり暮らしでした。「いつかあなたが、こうしてこの家を訪ねてみえるのではないかと、心待ちにしておりました。」との母親のひと言に、野江は眼から涙があふれ落ちます。ここも泣けましたね。
台詞はないものの、なんて自分はとり返しのつかない回り道をしたことだろう!なぜもっと早く気づかなかったのだろうと。嫁ぐべき家の母を前にして後悔の思いに打ちひしがれる情が、はっきりと伝わってきました。
人生回り道も無駄ではありません。その涙は、後悔ばかりでなく野江の希望が叶うことを暗示しているように見えてしまうのは小地蔵の穿った見方でしょうか。
派手なアクションや、CGを使った幻想的なシーン、それに熱いラブシーンすらない、淡々とした作品です。藤沢作品の持つ、美しい風景描写と心情、そして独特の間を完璧に表現した作品としてお勧めします。こんな作品が現代でも生まれるのも、やはり日本映画が残してきた遺産が息づいてているからだと思います。
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