ヒッチコックのレビュー・感想・評価
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ソール・バスと『知りすぎてる女』
『サイコ』撮影時のヒッチコックとその妻アルマを描いた物語。実話談というより虚実織り交ぜた大胆な脚色が面白い。
この映画を観て、ソール・バスという人物を思い出した(映画の中にもちょろっと登場している)。
ソール・バスは数多くの映画のタイトル・デザインを手がけた人物。
『サイコ』では、タイトルの他、有名なシャワーシーンの絵コンテを描いた。
後年ソールは、絵コンテだけではなく演出や編集にも携わったと発言し、物議をかもした。当時は『サイコ』の監督クレジットを「アルフレッド・ヒッチコック(ソール・バス)」と併記する書籍まで発行されたほどだった(今となっては信じられない話だが…)。
この映画の中では、演出や編集を手伝ったのはソールではなく、ヒッチコックの妻アルマとなっている(ソールの言い分自体が虚実不明なのだが、そこにさらに虚を重ねた脚色が面白い)。
そして誰かが手伝ったのだとしても、『サイコ』はあくまでヒッチコックの映画なんだと言っている。
「ヒッチコック映画の監督は一人」
と念押しするようなセリフも映画の中に出てくる。(そしてソール・バス自身も演出など手伝ったのは事実だが『サイコ』はヒッチコックの映画だと、同じ事を言っている。)
実在のアルマ自身も結婚前は優秀な編集ウーマン、ヒッチコック初期作品から助監、スクリプター、脚本家としてサポートしてきた。だからこそ、この映画の設定も不自然ではなくすんなり生まれたのであろう。『サイコ』で誰もが見落としたジャネット・リーのまばたきを指摘したエピソードは彼女の優秀さをよく表している。
また、この映画序盤で描かれるアルマの鬱屈は『サイコ』よりも10年以上前の『汚名』〜『舞台恐怖症』の頃をモチーフにしているのではないか。
この映画は、『サイコ』撮影時の実話談というより、ヒッチコックと妻アルマにまつわる様々な人物、様々な時代のエピソードをヒントに虚実織り交ぜ構築したものなのであろう。
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この映画を観て思い出したことがもう1つ。
ヒッチコック自身が書いた『知りすぎてる女性』というエッセイがある。
その中でヒッチコックは
「妻アルマは私のことをよく知っている。私が恐れていることも知っている。」と書いた。
多くの人に恐怖を与え喜ばせてきたヒッチコックの「恐れ」とはどれほど深いものなのだろう。それを受け止める妻はどれほど大変なのだろうと、印象深い一文だった。
密で硬いヒッチコックと妻との関係。
単なる夫婦でもなく、
単なる仕事上のパートナーでもなく、
何かそれ以上。
二人の関係を覗くのは怖いような気がしていたが、本作はマイルドに描かれていてホッとしたような、もっと奥底を覗いてみたいような、不思議な感じであった。
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何はともあれ、この映画を公開したことで、ヒッチコック関連本が復刊されたり近所のレンタル屋さんでも特設コーナーが出来てたりと、関心が高まったのはとても良い事だと思う。そういう意味でもこの映画、充分に貢献している。
サイコくらいは見ておいた方が
クラウド アトラスの上映前にみた予告で見ることを決め劇場へ。
思った以上に2人のヒッチコック推しな映画だった。
まず書かねばならないのは、私がヒッチコック映画に対してTVくらいでしか見たことがないということ。それも子供の頃だ。なので映画の端々に散りばめられているであろうヒッチコックオマージュにも大多数気付けていない。
この映画はせめてサイコを見た後に見るべき映画なのだろうと悔いた。
と、いうかサイコくらい見てるよね?という大前提にたって作られら作品だと思う。が、同時に今度絶対にヒッチコック作品を借りて見ようと思わせるに十分な映画であった。
しかし本当にヒッチコックはあんなにも不快にワインを飲む人であったのであろうか。
他にも性格的に確実に癖のある人だと思うが、それでも妻アルマは彼を支え続ける。
人間見た目じゃないよ、ってのを雄弁に語っているようだが私は「才能ってすげぇ」という感想だった。
彼らは映画の製作費を自分たちで作るために倹約しようとする。
完全にツッコミ待ちなんだが「休日の車での送迎は止める」とか「フォアグラはフランスからの空輸はやめて近所のやつ」とか。節約なめるな!
まぁセレブだからな。
出演者としては今作で初めてスカーレット・ヨハンソンを見た。
美しい。
が、この人がドラゴンタトゥーの女のリスベット役を狙っていたとかって、そりゃ無理だよなぁ。デヴィッド・フィンチャー、ナイス選択。
あとジェームズ・ダーシーがクラウド・アトラスに続きゲイ役(と疑われる)なのに何かの意図があるのかと勘繰ってみたりした。
熟女の悲哀映画
『サイコ』制作秘話という内容だけどその中心は奥さんが年老いて女性的魅力が減退し、ヒッチコックに嫉妬しつつ、浮気的な気分を味わい嫉妬させたりするという熟女の悲哀で、見たいポイントと違っていた。ヒッチコックが倒れた際に、現場を仕切る場面は触りだけだったがとても毅然としていてかっこよかった。
もっとサイコを作る上での面白いのが見たかった。ヒッチコックがエドゲインの幻影と会話したり、現場に足を踏み入れる妄想をしたりする場面はとても面白かった。そこはかとなく殺人鬼に対する共感が描かれていた。
裏サイコ。
神とか天才とか言われる人に限って、生存中に評価されないのが常。
ヒッチ大先生も、これだけの作品を世に流し大ヒットさせたにも拘らず、
アカデミー賞(監督賞)には最期までソッポを向かれっぱなし。
「レベッカ」は作品賞を受賞したものの、彼が壇上でオスカーを手にした
のは1967年のアーヴィング・タールバーグ記念賞(功労賞)の一度きり。
そして今作もとても良く出来ていたけれど、やっぱりアカデミー賞には
ノミネートすらされなかったなんて、なんだか酷い因縁ねぇ。
ギョーカイに好かれる人と嫌われる人って(まぁ人間的にも)いるけれど、
それと作品の出来映えっていうのは別物なんだけどねぇ。
日本人にもお馴染の「ヒッチコック劇場」。
子供の頃、あのテーマ曲がかかるだけで、もうワクワク♪
ヒッチ先生を知らない人でも、このサイコと鳥くらいはご存知なのでは?
サスペンスの神様でありながら、見るからにコメディ体質(体型か^^;)の
立ち居振る舞いとあの仏頂面が不釣り合いなところなども、またお茶目。
自作には必ずどこかでちょこっと出演(爆)も、あの体型だからすぐ分かる。
確かに怖い(と思わせる)独創的な作品が多かったけど、今作にも出てきた
「北北西に進路を取れ」などの娯楽大作も数多く作っているので楽しめる。
ただ、肝心の奥様であるアルマに関しては、まったく存じ上げなかった。
あくまで彼の陰となって(言ってましたもんねぇ)支え続けた彼女の
内助の効があってこその「サイコ」の大成功。このバックステージものから
彼女の才能と天才が持つ偏執性が浮き彫りになるのが、ますます面白い。
神様は、よき伴侶を得たのねぇ。
それにしても60歳を過ぎてもやる気満々。ああいうところはさすがに病気?
かと思えるほど、監督性が出ていて面白い。大金を得たら満足して引退、
気が向いたらまた撮るよ。なんていうお気楽監督とは違って、もう寝ても
覚めても映画のことばかり考えている。パラマウントに出資を断られた
ヒッチ先生は大邸宅を抵当に入れて、また一から映画作りをやりたいんだと
アルマに告げる。もうこのプールで泳げないの?と尋ねるアルマだったが
(赤い水着で泳ぐところは可愛かった)彼の提案を心から喜んでいるところが
とてもよく出ていて微笑ましかった。彼女も、そんな彼が好きで結婚したの
だろうから、どんな妄想魔(ゴメンね)でも、映画作りに没頭するヒッチ先生が
大好きだったのだろうなと思える。
ただこの妄想神様(スイマセン)の、唯一の欠点がブロンド美人なのよねぇ。
今作の、のちのち実際に問題を起こしているのだけれど(T・ヘドレンと)、
アルマが妬いて仕方ないほど、ブロンド美人への固執は酷かったみたい。。
でもヒッチ先生だってアルマの浮気を疑ってバカなことをしでかしてみたり、
結局、家でも現場でも四六時中一緒なのは息が詰まるし、そのせいか
互いの仕事は尊重しようとする心掛けだけは、持ち合せてたみたいだけど…。
当時、試写室でこき下ろされて使い物にならないと思われた「サイコ」を、
妻アルマの機転で再編集を重ね、傑作に仕上げた過程は素晴らしいの一言。
上映2館でしか許されなかった劇場で、例のシャワーシーンがかかる前に
ロビーに出て、観客の悲鳴に指揮棒を奮うヒッチ先生には涙が溢れてきた。
あんな血の滲むような努力と忍耐でやっと、それが受け容れられたことへの
これが監督至上の喜びなんだろうなぁ…だからやめられないんだよねぇ…と。
エンディングにも凝っていて、ヒッチコック劇場のノリで終わる。
彼の肩に…!は、まさしくニヤリ。神様はまたこの後に傑作を撮るのだから。
(主演二人には文句なし、脇も確かな演技力。サイコをもう一度観たくなる)
サスペンス=ヒッチコック
見終わると「サイコ」と「めまい」がスゴク観たくなる。
サスペンスの巨匠を影で支えたのは妻だったとは、
映画で初めて知った。
決して表には立たず脚本や編集にたずさわる。夫の才能を誰より信じ理解する妻。
夫に疑われ、やりきれない時に開き直って
「私は貴方の妻よ、貴方が契約したブロンド女優じゃないの、あれこれ指図しないでちょうだい」ってタンカ切るシーンはカッコイ。ヘレン・ミレンいいね!
サイコは配給会社に気に入られず、封切りがたったの2館だったなんて!これも初耳。
工夫を凝らした公開までの演出にその時代の観客がどんなにワクワクしたかと思いを馳せる。
場内の悲鳴をロビーで聞きながら喜びを全身で現わすヒッチコックが、すんごくカワイイ!
これがあのレクター博士と同じ俳優とは!恐るべしアンソニー・ホプキンス。
映画を観てヒッチコックの事がもう少し知りたくなってプログラムを買った。
そこにあった妻への言葉は愛に溢れていました。
オスカーなんて貰えなくても幸せだったんだね
ヒッチコックさん。
さあ、TSUTAYAへ行って
サイコとめまいを借りて来よう。
ヘレン・ミレン最高!
幼い頃「鳥」を観たのがヒッチコック作品観賞の始まりでした。「背筋が凍る様に怖ろしいのはスプラッタ映画より、ヒッチコックのサスペンス」と言われて育ったのですが、今でもその通りだと思っています。
ヒッチコックのブロンズへの執着は聴いたことがありましたが、奥様が脚本家であり、優秀な編集者であった事はこれまで知らず、名作の影に内助の功あり!と本当に驚きました。
ヒッチコックとアルマ、「サイコ」を作成した際の2人の間には創作の神様が舞い降りていました。クールで知性に溢れ、誰よりも嫉妬深く、誰よりも得難く、そして離れがたい・・そんな関係だったのではないかと思います。ヘレン・ミレンの醸し出す雰囲気が毅然としていてとても素敵でした。最後に「君以上のブロンドは私の映画には出てこない」と言う台詞がありましたが、アルマの苦労を想うと、女性としてはそれが真実であってほしいと願うばかりです。
サスペンスの神様も人の子か
原題「HITCHICOCK」
監督:サーシャ ガヴァン
キャスト
アルフレッド ヒッチコック:アンソニー ホプキンス
アルマ レヴィル:ヘレン ミレン
ジャネット リー:スカーレト ヨハンソン
アンソニーパーキンス:ジェームス ダーシー
アルフレッド ヒッチコックは「サスペンスの神」と言われて、後続の映画人に多大の影響を与えた。ジャン リュック ゴダールや、フランソワ トリュフォーなど、ヌーベルバーグの旗手達からは、神様のように崇拝された。(今になって思えば 神はヒッチコックではなくて ドナルド チャップリンの方だったと思うけど。)彼は、ロンドン生まれのアイルランド人。27歳で、監督で脚本家だったアルマ レヴィルと結婚。二人してハリウッドに移ってから、サスペンス、犯罪物の白黒映画で大成功した。
自分が映画好きになったのは 多分にヒッチコックの影響による。小学生高学年から中学生のころ、テレビで1時間物のヒッチコックシリーズが放映されていて、ヒッチコックが番組の後に登場して、解説をする。物語のなかに、ヒッチコック本人がさりげなく通行人や 特徴のある体形の本人の「影」などになって出演していて、それを探すのも面白かった。
普通の人が、とんでもない人違いで事件に巻き込まれたり、二重人格の人の恐ろしい犯罪が起きたり、善良そうな夫に保険金を掛けられて 妻が殺されそうになったり、効果音を使って、恐怖心が煽り立てられる。ドキドキ、ハラハラ 怖がりながらも画面から目を離せない。事件のキーになる物、電話とか鍵とか色とか音を、実に上手にハイライトさせて、あとで「ああ そうだった。なるほど。」と、納得させて事件の解決をみる。観ている時は気がつかないが、「ダイヤルMを廻せ」では撮影に 普通の電話の倍も大きな電話を使って「事件のキー」を暗示していた。さりげない会話が 後で重要な事件解決の鍵を暗示していたりもする。
サスペンスは いわば作り手と観客の頭脳ゲームのようなものだから、画面ひとつ見逃せない。そんな映画の面白さを教えてくれたのが ヒッチコックだった。
ハリウッド パラマウントも、当時の最高の男優、女優を彼の映画のために提供したと思う。
1940年の「レベッカ」では、ローレンス オリビエと、ジョーン フォンテイーン。1945年の「白い恐怖」では グレゴリー ペックとイングリッド バーグマン。1946年「汚名」では、ケイリー グラントとイングリッド バーグマン。1954年の「ダイヤルMを廻せ」では、レイ ミランドとグレース ケリー。54年の「裏窓」では、ジェームス スチュワートとグレース ケリー。「泥棒成金」では、ケイリー グランドとグレース ケリー。1958年「めまい」では、ジェームス スチュワートとキム ノヴァック。1959年の「北北西に進路をとれ」では、ケイリーグランドと エバマリー セイント。1960年の「サイコ」では アンソニー パーキンスとジャネット リー。1963年の「鳥」では ロッド テイラーと、テイッピ ヘドレン。1964年の「マーニー」では ショーン コネリーとテイッピ ヘドレン。1966年の「引き裂かれたカーテン」では、ポール ニューマンとジュリー アンドリュース、、、などなど、これだけ豪華な役者達を自由自在に使って自分の映画を作った。すごいなー。彼の映画をほぼ全部みている自分にも 少しあきれる。
彼の映画の中で、一番好きな作品は、「レベッカ」1940年作だ。年の離れた男の屋敷に、後妻として迎えられた幼妻ショーン フォンテイーンを震え上がらせる前妻レベッカの影、、。ラストシーンで、レベッカの付き添い女中が屋敷に火を放ちレベッカの影とともに、炎に焼かれて狂い死んでいくシーンなど、怖くて怖くて映画を観たのは10歳前後だったのに、昨日見た映画のように克明に記憶している。
1969年作の「サイコ」はやはり、映画史上に残る名作だろう。映画「ヒッチコック」は、この「サイコ」を作る過程を描いた作品だ。
ストーリーは
「北北西に進路を取れ」が 思いのほか製作費がかかったためパラマウントには予算がない。ヒッチコックは、実際に起った女性大量殺人のノーマンべイツ事件をもとに人格障害でサイコパスの男による残酷殺人事件の映画を作ることに決めていた。犯人は母親しか愛せない男で、母親がすでに死んでいるのにミイラ状態になった母親を抱いて眠る。歪んだ性衝動は若く美しい女性を殺して切り裂くことで解消していた。映画のタイトルは「サイコ」。
当時、「サイコパス」(精神病質)という医学用語が一般に知れ渡っていなかったし、女性大量殺人のような「きわもの」を扱うのは、B級のグロテスクえいがと決まっていたので、ヒッチコックのアイデアは パラマウントに受け入れてもらえなかった。そのためヒッチコックは 自宅を抵当に入れて、自分で資金を作り、低予算の白黒映画「サイコ」に取り掛かった。
自分も監督だった妻のアルマは、おもしろくない。主役になるジャネット リーを、初対面ですぐに気に入ってしまったヒッチコックを見ていて、「あ、またか。」と夫の悪い女癖に腹が立つ。アルマは脚本家のウィッドフィールド クックと共に、ヒッチコックの次の作品の脚本をすでに用意してあった。にも拘らず夫はそれを読もうともしない。夫に愛想がつく。一方、ウィッドフィールドはアルマを女王様のように扱ってくれて優しい。女心がなびかないわけが無い。彼はアルマのために海沿いに家を借りた。子供のようなヒッチコックの世話に疲れると、アルマはその海の家でウィッドフィールドと肩を並べてタイプライターをたたく。
それに気がついたヒッチコックは アルマとぶつかり合い、怒鳴りあい、責め合う。しかし、ヒッチコックが過労で倒れたのを機に、アルマは自分を必要とする夫のもとに帰る。以降、二人三脚で作り上げた低予算映画「サイコ」は、大成功する。というお話。
太って特殊メイクを施したアンソニー ホプキンスより、妻役のヘレン ミレンの演技が素晴らしい。夫への「嫉妬」と「諦念」。若い男への少女のような「憧憬」と「落胆」を、みごとに表現している。
エドガー フーバーを演じたデカプリオ、マーガレット サッチャーを演じたメリル ストリープ、マリリン モンローを演じたミッシェル ウィリアムズ、アウンサン スーチーを演じたミッシェル ヤオ、、、ここでヒッチコックを演じたアンソニー ホプキンスが加わると、比較してちょっと、がっかり。本物のヒッチコックのかもし出す、おっとりしたユーモラスな姿の印象が強すぎて ホプキンスがヒッチコックに見えない。
「サイコ」の主人公はアンソニー パーキンスなのに パーキンスのそっくりさんジェームス ダーシーなど、2時間余りの映画のうちの数分しか出番がなくて、これではあんまりじゃないか。でもそれは、「サイコ」でパーキンスに殺されるジャネット リーのシャワーシーンが有名になりすぎたからかもしれない。特殊効果音とともに サイコパスに襲われるシーンの怖さは本当に並外れて怖い。
映画の中でヒッチコックが、ジャネット リーの気を引こうとして、アルマが妊娠してしまったので僕達は結婚せざるを得なかったんだ と言うシーンがある。また、アルマはアルマで 若い脚本家に 私が先に映画監督だったのよ。ヒッチは助監督だったんだから、、、と言うシーンもある。浮気は後ろめたい。だから浮気に走る口実が要る。
ヒッチコックは もう30年あまり結婚生活をしているのに むかしむかし妻が妊娠してしまったからやむなく結婚したという口実で 若い女性との浮気の口実にしてきた。アルマは自分も才能があったのに ヒッチだけが脚光をあびて有名になり自分は裏方役に押し留められている不満を隠せない。
ヒッチコックは 大きな子供のように、短気で感情を抑制できない。怒ると馬鹿食い、がぶ飲みを止められなくなって、ほとんどアル中。おまけに映画に出演した女優に次から次へと手を出す。そんな 現実のヒッチコックが、自分がイメージしていた上質のユーモアを持った紳士のイメージに そぐわない。イメージが重ならない という違和感が映画が始まって終わるまで消えなかった。「サスペンスの神様」も 所詮俗人です、と言われて なんか、ちょっと、しょげてしまった。
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