「家族の死を受け入れるのには、もっとちゃんとした「寄り道」が必要では?」さよなら。いつかわかること ジョルジュ・トーニオさんの映画レビュー(感想・評価)
家族の死を受け入れるのには、もっとちゃんとした「寄り道」が必要では?
<ストーリー>
スタンレーはホームセンターのマネージャー。彼の妻、グレイスは軍曹としてイラクに駐留している。男である自分が本国に残り、妻が戦場にいることに、ある種の罪悪感のようなものを感じている彼は、兵士の妻を支援する会に参加をしてみるが、余計に居心地の悪さを感じる。彼らには12歳のハイディと、8歳のドーンという娘がいる。娘とうまく接することが出来ないスタンレーは、ただ頭ごなしに叱ることしか出来ない。
そんなある日、妻の戦死の知らせが入り、娘にどう伝えるべきかわからないスタンレーは、末娘ドーンの望みだったフロリダにある遊園地、"魔法の庭"に出掛けることを突然決めてしまう。
<個人的戯言>
個人的に見逃せない、「近しい人の死を乗り越える」がテーマの作品。最初の、主人公の心の動揺から来る「突然の旅」への出発はわからないでもないですが、その「旅」の間の「死を受け入れる」までの過程が、あまりにも少な過ぎるエピソードで、その少ないエピソードも活かし切れてない状態です。おまけにいよいよ告白の時、何と台詞は途中から聞こえなくなり、情緒的音楽に取って変わられる始末。様々な丁寧な「寄り道」を経て、「目的」の場所に辿り着くのでなければ、何のために「旅」に出たのかわかりません。
とにかく「旅」の途中のエピソードが少な過ぎます。しかもわずかにあるエピソードも、ただ告白するのを引き延ばすための行為にしか思えません。主人公の心の動きは止まったままで、娘たちの「旅」の間の「成長」と、それにより一時の楽しみより、大事なことがあることに気付いていていき、それを受けて告白をすることを決めるのですが、その「成長」を表すエピソードが、「母親の死」を乗り越えるのに充分なものとは思えません。所謂単に大人になろうとしている程度のものです。また対比となるべき、"魔法の庭"でのひとときも、もっととびきり楽しげな雰囲気が出てないと、コントラストとしての存在意義がありません。
思い付きでの「旅」を経て、やがて辿り着かなければならない「目的地」がこの程度なら、遠出をする必要はなく、日常の生活の中でも充分だったと思います。そういう意味で、出してきたキーとなるアイテムがほとんど無意味に思えます。