おくりびとのレビュー・感想・評価
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父の葬儀の直前に見ました。
見てよかったです。
本木雅弘と広末涼子のカップルで、山形が舞台。
数年に渡る物語で、納棺師になる前から、そこそこベテランとして自信をもてるようになるまでが描かれており、丁寧につくられていることがよくわかります。
もう十数年前の作品になりますが、ほとんど古さは感じませんでした。ただ役者陣は、みなそれなりに若さを感じます。
厳粛な雰囲気のなか、コミカルな描写もところどころあり、いい映画でした。
百聞は一見にしかず
昔、遺体を洗う仕事のバイト代はとても高いという都市伝説のような噂話を聞くことがあった。
最近ではドラマなどで法医学の職業もよく知られていて、遺体と向き合う仕事そのものは知られていて不気味なイメージはあまりないが、それでもやはり特異な印象は受ける。
実際、警察官や介護士、ひとり身老人の見回りをする区役所の人間が立ち会うご遺体は相当な損傷や臭いだと言うし、作中の最初に出会うご遺体のような環境下での仕事はあまりやりたがれるものではない。
そのごく一般的な視点から仕事に就いた主人公の大吾が、初日こそあまりのショックに吐き気を催し気もすぐれないが、徐々にご遺体の人生と向き合い、美しい身なりで、遺族との最期の時間を整えてあげたいと仕事に対する想いが変化していく過程が見どころ。山形の美しい四季の風景とチェロの音楽と共に時間が過ぎ、納棺師として立派に成長していく。
軽口を叩くところもあった大吾が、オフの時はいい加減とすら感じられる社長の仕事ぶりを目に仕事に対する意識が変わり、精悍な顔つきで丁寧な所作で仕事に臨む姿は惹きつけられる。
死を直視するからこそ、生きている生かされている事実がよりまざまざと感じられ、妻の美香が息をし生きている存在に安堵と安心を感じる描写や、生きている限り命を頂き食し続ける自らの命を悟り、美味しくしっかり食べ命を全うすべくしっかり働く描写は、どんな人間も生き方について考えさせられる。
「一生続けられる仕事なの?」と聞いた妻の一言が刺さる。他の命を食し生きている存在が、何に時間を使い生きるのか。夢と思っていたチェロの仕事に就いても、うまくいかなかった大吾にとって、偶然就いた納棺師の仕事が、使命を感じられる仕事となった。ある意味運が良い。
顔も覚えていない父親の最期に対面したことで、より使命は確信に変わる。70数年生きて、遺したものが段ボール一箱の父親でも、大昔に父親と交わした石文は最後まで互いの記憶に残り、一生懸命手伝っていた姿は漁連の人々の記憶に残る。
息子を捨てて出てきた人でも、大吾の感情に大きく影響する。
どんな人間でも、生きている限り誰かからは必ず想われ、また誰かに影響もしていると思わされる作品。
そして、使命と感じられる仕事を迷いなく全うしたい、そう感じさせる作品。
人は向き合うと心にショックが大きい事、受け入れ難い事からは目を背けたくなるもの。目を背けているから、イメージで決めつけや誤解が生じる。葬儀屋、火葬屋、納棺師、死の事実を目の当たりにする職業ながら、作中で良妻としか言いようがない美香からも、最初は正しい理解を得られず、「汚らわしい」という言葉が突きつけられたりする。
でも、どんな仕事でも誇りと意思を持って一生懸命働いている姿は美しく、例え納棺師で葬儀屋から回されるような扱いの仕事だとしても、その姿を見たら2度と罵る言葉は出て来ないのが人間。
「夫は、納棺師なんです」最後にはこう話してくれた美香の言葉。認めて貰えて嬉しかっただろう。百果は一幸にしかず。
そう想わせるプロの仕事ぶりに見せる、しっかりした所作を身に付けた本木雅弘と山崎努の俳優としての仕事ぶりもまた、プロなのだと感心する。実際の納棺師は死装束を着せる工程も更にいくつもあるはずで、作内では反物を着せる前段階で皺なく整えるパフォーマンスに近いところや、遺体の顔や手を整えるいくつかの同じ所作ばかり出てきて、繰り返し練習したのだろうと感じさせるが、それもまた職業への敬意と誠意のあらわれに思える。普段の本木雅弘はかなり強情なところもあるのを知っているだけに。
山崎努演じる社長も、仕事でない時はなんともシュールだから更に、ギャップで仕事中の手際が際立つ。
死は門で、死の後に始まる世界の入り口。
その門出の儀式に立ち合つお仕事。
とても尊く、おくりびとという名にぴったり。
作中のような儀式的芸術的な仕事をされる会社は少ないと思うが、おくりびとの意識をその業界で働く方々が持てば、依頼する方々の目に入り、職業へのあらぬイメージもきっと変わるし、実際この作品の影響でかなりプラスに転じただろう。
見ようと思って自分の意思で直面できる人の死ではないからこそ、実際に人を失う大きな悲しみを伴うことなく、作品を通して死に向き合う時間を見られることは、百聞は一見にしかず。とても勉強になる。
旅立ちのお手伝い
亡くなった人で商売をする卑しい仕事?
多くの人が思っているだろうことを代弁するように、周りの人からマイナスイメージで物語はすすむが、
関わる人は、この仕事の尊さに触れていく。
夢をあきらめること、実家に帰ることに何も言わずついて行った妻だったが、この仕事が汚らわしいと、、、男としてはこんな悲しいことないな。
旦那が死人に触れる仕事をするのが嫌なのも、わからなくもないが。
知人の母の納棺から、旦那の仕事を目の当たりにし、
義父を看取る時に、この仕事の素晴らしさを感じていく。
同時に、主人公が嫌悪していた父との関係に向き合うことに、、、
大事な人の死を、粗末に扱われたくない。
誰もが思うことなのに、側から見ると卑しい仕事にみえる。
それは偏見だったな。と、消化してくれる作品。
これからの日本は超高齢者社会で、
亡くなる方も多くなるだろう、
生きてる間にこそ、死と向き合う。
向き合えばこそ、より生きてることが貴重に感じる
のだと思う。
アカデミー賞受賞作品!
人を綺麗にして、死に送り出す。
その所作はとても美しく、何故死に関わる人が悪く言われるのか
映画を観てさっぱり分からなかった。
広末涼子の良妻役も素晴らしく、演技だと分かっていても好感を(個人に対し)持ってしまった。汗
それぞれの俳優が名演技というのもポイントが高い(言い方がアレだけども)。
あと、無駄な場面がなくてサクサク観れる。
眠くなりやすい人にはお勧め。
いつの日か、その時は訪れる
悔しいけれど泣いてしまった。まさか納棺師の話で…。噂に違わぬ出来映えでした。
しかもこれって娯楽性に溢れているのだから驚く。
困った事に…。
山崎努が出演しているだけに、伊丹十三監督の『お葬式』を一瞬は思い浮かべるが、あちらは《お葬式》とゆう儀式に集まる親戚・縁者の奇妙な人間関係を様々なシチュエーションに配置して面白・可笑しく描けるの対して、単純に《納棺師》の話で2時間以上を引っ張るのだから恐れ入る。
脚本ではその為の手段として、いわゆる世間一般に“3K”と呼ばれる職業の一種の様な存在として、この納棺氏を表現している。
映画を観て若妻役の広末涼子が、「恥ずかしいと思わないの?」「触らないで、汚ならしい!」と言って非難するが、誰が彼女のこの言葉を非難出来ようか…所詮は世間から見た3Kと呼ばれる職業に対する意識とはそんなものだろう。
しかしそんな彼らは確かに存在し、ひっそりと…でも確実に人の嫌がる仕事をこなしているのだ。
「お前達は死んだ人間で仕事しているんだろ!」と言われ。「隙間産業だから…」と自分達を卑下したりする有様だ。
でもこの映画で描かれる納棺氏の話は、遺された遺族の想いを汲み取り、淡々とこなして行く。それら一つ一つの所作に感動すら覚えるのだ。
初めて他人の遺体に接して家に帰り、思わず妻の身体を弄ってしまう。今自分は生きている。呼吸をしている。その事を確認しているかの様である。思わず、昔父親から買い与えられた子供用のチェロを一心に弾いてしまうのもまた、一つの物体と化してしまった肉塊を目にして、自分のアイデンティティを確認したかの様に見受けられます。
必死になって川を遡上する鮭。死んでしまう自らの運命を知ってか?知らずか?悩む主人公の前に現れては消えて(流れ)行く。
更にこの作品には食事をして“食べる”とゆう行為が数多く登場します。
生きる為には食べる事。
共に同じ食べ物を共有して“食べる”。 それが愛する人と一緒に末永く生活する第一の源なのだから。
映画は妻との和解、友人の理解を得るきっかけとして、吉行和子の存在を逸れとなく配置する。広末涼子を紹介する時点で終盤に於ける展開を示しているのだが、敢えて観客にバレバレでもそれを隠そうとはしない。寧ろそれまでの主人公の頼りなさ・正直な性格に肩入れして観てしまっている為に「見てあげて欲しい…」とさえ思ってしまうのだ。
やはり笹野高史の存在も、観ていて「やっぱり…」とは思うのだが、そこに至るだけの用意周到な描き込みがある為に感動させられてしまう。
此処までが第一のクライマックス。
映画はこの後に、主人公である本木雅弘の真のアイデンティティを用意する。
どうしても思い出せない父親の存在。
やはりここでも観客にはバレバレを承知の上で、その存在を明らかにさせる。
“それ”は絶対に父親の○の中に在るに違いない。
在ると解っていて観ていながら感動させられる映画のマジックがそこに在る。
「毎年交換しょうな!」
父親の誓いに嘘は無かった。父親にとって自分は忘れられた存在では無かったのだ。
その事実こそが主人公にとっては何よりの贈り物だった。
だからこそ全身全霊を込めて“おくりびと”としての仕事を全うする。
そして間もなく自分は父親になるのだ。
「どんな宗教にも対応しているから…」と言う社長。
極めて日本的な儀礼・儀式であっても、愛する家族・親友・知人が亡くなる事は生きて行く上では避けては通れない。
その上では遺族を思いやる納棺師とゆう珍しい職業ではあっても、世界中に理解される事は間違い無いとさえ思える。
(2008年9月20日楽天地シネマズ錦糸町/シアター1)
田舎の町の風俗が面白かった
仕事の少ない田舎の町で奮闘する夫婦をモックンと広末が演じています。仕事の話、死ぬ前に父親に会う話など、ともすればとんとん拍子すぎて違和感を感じてしまいそうなところですが、うまくまとまっていると思いました。
田舎町の人たちのやりとりがリアルで面白かったです。
気になったのは演技をしている感の強い広末のしゃべり方。普通を演じるって難しいと思いました。
モックンが練習でお尻に綿を詰められるシーンは、色々と意味深でおかしかったです。すごく普通に見えました。
あたたかい死とは
父親という偉大な存在を失ったとき、悲しみに暮れる間も無く、いろんな準備に追われていた私。病院から連絡を受け自動的にやって来る葬儀屋さんから基本的な葬儀に関する話を聞き、次々と淡々と行われる儀式にひたすら手一杯の状態で。
もし、こんな納棺士が身近に居てくれたのなら、父を送り出す時間だけでも心のままに悲しみを表現できて、父の門をもっとしっかり見届けられたのかもしれない、と感じました。
主人公が顔も分からなかった父親を次第に大粒の涙を流しながら送り出す姿、その後ろにしっかりと見守っている妻の姿、家族とは何かということを人の死を通して見つめ直すことができるとても良い映画だと思います。
そして、この重たいテーマのようでありながら、全体的に湿っぽくなく、ユーモアと温かさが溢れていて見ていて幸せな気分になりました。
滝田監督アカデミー賞おめでとう!
先日「きらきらアフロ」を見ていたところ鶴瓶が大阪のピンク映画館でアカデミー賞滝田監督作品と「痴漢電車」のポスターに貼ってあったそうな。もっと笑えるかと思ったら意外に控えめな作品でした。笑いがもう少しあったほうが良かったし、後半いろんなことを詰め込みすぎた感が否めない。脚本の小山薫堂は、DIMEのレッド・データ・リストというコラムで私には、おなじみ。(絶滅しそうな物品を取り上げるコラム)彼は、見る視点が少し変わっているかもしれません。「お葬式」の例を引くまでも無く映画関係者が題材を嫌がったが、公開してみたら大好評の典型的な作品です。日本にやはり本当のプロデューサーがいない証拠だと感じました。今回は、本木雅弘の発案で始まり実質プロデューサーになったから実現した作品でしょう。頭が下がります。いつも映画を見ていない人を映画館に呼び込む企画を真剣に考えるプロデューサーがもっと必要です。映画会社(TV局も含め)のサラリーマン・プロデューサーしっかりしろ!
深みのある作品
初めはコミカルな場面で笑わせ、次いで主人公が納棺師の仕事に悩み、葛藤する様を描いて一挙に引きつける。主人公が納棺師は天職だと振り切れたころ、妻との考えの相違により、妻が家を出て行くことになった時は、男として悲しかった。しかし妻が戻り、銭湯のおかみの死にあたり、妻の考えが変わりつつあることを、広末の表情で気付き、安堵の気持ちが生まれた。父の死の電報が届き、主人公は父への思いが爆発するが、直ぐに親子の絆に気づいて駆けつけるシーンや納棺師として父に接する様に涙を禁じ得なかった。この映画は、笑い、悲しみの他、仕事とは、死とは、親子とは、夫婦とは等今一度、観衆に訴え、考えさせる深みのある作品であると言って過言ではない。又、山形の自然が美しく撮られ、美的にも素晴らしい。
しっとりした名作
アカデミー賞をとった、つまりアメリカ人に受けたということを知っての鑑賞だったので、どこが受けたのだろう的なことが頭から離れず、困りました。まあ、アメリカの風土とは全く違う、重く、冷たい空気の似合う日本ならではの内容です。このしっとりした空気感に共感してくれたのかなと思いました。葬儀のときに、亡くなった人を清めつつ納棺してくれる納棺師の成長の物語ですが、納棺をここまで儀式として美しくとらえ、嫌みも、後腐れも、どろどろした空気も排除した映像美は、見た後にさわやかな印象を与えます。ただし、美香(広末涼子)が、あれだけ不自然なほど、妻として夫の納棺師という職業を受け入れられなかったのに、実際の夫の仕事ぶりを目にすることで、突然夫を受け入れてしまうことが若干唐突な気がした。生理的嫌悪があんなに簡単にひっくり返ることは、もっと時間をかけない限りあり得ないと思った。
それ以外は、素晴らしい、です。
うーん。。
期待して見に行きましたが、わたしはそれほどでした。
滝田監督の得意な感じですが、どうも私には合わないようで。。
笑いあり涙ありなのだけれど、物語の根底にあるものが、
私にとって当たり前のことを言われるだけの気がして。。
時系列がわかりづらいのもちょっと。
最初に、やってみるか?といってやる納棺作業。初めてっぽいのに、
入社してすぐ、ホテルの自殺の方をやったのでは?と思ってしまった。
春はわかりやすいのだけれど、広末涼子がどのくらいの期間
実家に帰っていたのかもう少しわかりやすいと、
物事の大きさがもっと見えやすいのでは?と思った。
私自身も母親を昨年亡くしているからこそ、自分にとっての
死の価値観みたいなものが変わってしまったから楽しめないのかな?
と思いました。
納棺師に対する偏見とかが、いまいちリアリティがないというか、
本当にあんなこと言う人っているの?って思うというか、、、
少なくとも自分は友達が納棺師であっても、
モックンが納棺師だと知ったあとの、友達や、妻のような
態度は取らないというか、自分だったらむしろその友達を
偉いなーとか誇りに思うので、、。
そうはいっても、やはり音楽はすばらしかったし、
音楽を奏でながら、モックンが受け入れることを受け入れるという
作業を無言で行っているんだなーと思ってみていました。
あと、女性が亡くなったら、女性の納棺師さんがやってくれるはずです。
男の納棺師さんにされるのは、いくらなんでも、死んでいても、嫌だな。
まるで手品師モックン
悪くない作品だと思いました.
「葬送」という死者を悼むための儀式が,じつは故人との関係を消化するため,残された側の生者にとって不可欠なプロセスである,ということを丁寧に描けている映画だと思います(モックンの華麗な手さばきは,ちょっとあざとくて鼻につきましたが)
大悟が腐乱死体を片づける仕事を終えたのち,家の台所で思わず妻を求めてしまうシーンは,死とセックスが表裏一体であることが伝わってきました.
ただ,惜しむらくはサイドストーリーが雑な印象があって,たとえば「銭湯を引き継いでほしい」と告げた正吉とツヤ子の関係性,そして納棺師・佐々木の人物史が説明不足だったような気がします.(なぜ今まで一人も社員がいなかったのか? 事務所の二階が熱帯風なのには意味があるのか?)
「石文(いしぶみ)」のエピソードは良いアイデアでしたが,いくらなんでもその父親が石文を握ったまま絶命,というのはやっぱり無理がありますよね・・・
気の毒なのが,山崎努,余貴美子,笹野高史が良すぎて,モックン,広末の演技が終始ダイコンに見えてしまいました.
最後に余談なんですが・・・
ラストで,大悟の父役として登場した峰岸徹.つい最近,実際に他界したばかりですよね・・・? 思わずそのことを思い出して,スクリーン見ながらゾクッとしました(-_-;
夫は、納棺師なんです
映画「おくりびと」(滝田洋二郎監督)から。
久しぶりに、自然と目が潤む作品と出逢った。
自分が夢だと信じていたものはたぶん夢ではなかった、と呟き、
一体、自分は何を試されているんだろう?と悩み、
友人知人には「もっとマシな仕事つけや」と叱られた主人公。
終いには、愛する妻にまで「こんな仕事しているなんて・・」
「今すぐやめて、お願い」「さわらないで汚らわしい」と嫌われる。
こんな辛いことはないだろう、と思った。
それでも、遺族からの感謝の言葉を支えに、妻と別居してでも
この「納棺師」という仕事を続けてきた彼にとって、
物語の終盤、手荒く遺体を扱う葬儀屋に向かって、
妻が口にした「夫は、納棺師なんです」は、最高の喜びであったろう
なぜか、私の心も、この台詞に揺さぶられた。
夫の仕事に、誇りと尊敬の念を持った台詞だったから。
もし仮に、巷で「地方公務員」という職業がけなされた時、
私の妻は「夫は、地方公務員なんです」と毅然とした態度で、
口にしてくれるだろうか。とても気になるところである。
そう言われるよう、日々努力が必要なのかもしれないな。
見る人によっては・・・
近年の邦画の中では間違いなく上位に入る佳作です。
予告編ではもっと泣けるかと思いましたが、実際は笑いも随所に盛り込まれ、悲しいだけの作品ではありませんでした。
昨年、父を亡くした時、納棺士の方にお世話になりましたが、その時の情景がフラッシュバックして、父を思い出して号泣してしまいました。全編を通じて、すべての納棺シーンが父とダブり、そのたびに涙腺が全解放されてしまい参りました。
2時間10分という時間もあっという間で、最近の映画館の快適なシートと相まって、とても楽しめました。
ただ、お身内を亡くした経験のない方は、号泣までは行かないかも知れません。やはり人それぞれ、思い出と重なり合って涙腺が刺激される映画だと思います。観客は中高年が圧倒的に多く、ちょっと驚きました。
脚本もとてもよく練られているし、なんといっても久石譲さんのもの悲しい音楽のうまさが引き立っています。
欲を言えば、「生前の銭湯のおばちゃんとの小林夫婦の絡みシーン」がもう少しあれば、亡くなった時のシーンがもっと劇的に効いてくるし、エンドロールで「小林夫婦のその後」や余さん演じる「上村さんと子どもとの再会」などがさりげなく入れば、もっとよかったのかなと思いました。
いずれにせよいい映画です。1800円は安いですね。
笑いが死の演出!今年一番の邦画です。
起承転結が分かり易い感動の邦画でした。
結びをどうするんだろう、と途中で気になりました。風呂屋の番台の女主人でもないし、納棺師の師匠の死でもないし、まさかパートナーの・・・・。
舞台は山形。輪廻転生の出羽三山の麓という設定も演出の一つ。主人公のチェリストという職業、故郷の出羽三山と鮭の遡上に石文と、シーンにちりばめられた演出が憎い。
途中でどのように山場を作り、どのように締めくくるのか。石文と主人公の子供ができたことが、キーワードでした。
本木さんの上手さが立っています。脇を固める個性的なキャラの山崎、余、笹野、杉本さん等。良い映画でした。泣けました。
日本らしい、川の流れのような映画
映画を観る前は遺体に化粧をして遺体を棺に納める納棺師の話と聞いて、暗い話を連想したが暗いというよりは淡々としていていい意味で日本映画らしい優れた映画。予想以上に笑えるシーンが多く、悲しみと笑いは表裏一体なのだと再確認。本木雅弘演じる主人公は音楽をやめたばかりの元チェリスト(音楽担当の久石譲の趣味も入っている?)、楽器を扱うように丁寧に遺体に対する姿が美しい。中盤まではお仕事映画としても楽しめる。
会社の社長は山崎努(「クライマーズハイ」より良い)、彼が出ていることで往年の伊丹十三映画を思い出したりもする。彼は食べ物に対する執着が強い。考えてみれば食というものは死と向き合わなければできない行為で、この映画ではそうした死と生の対比がうまく描かれている。
最後にはやや湿っぽくなるが、納棺師という仕事なので最後は身近な人を送らなければならないのは容易に想像がつく。広末涼子は適役だとは思わないが、この映画から浮いているほどではない(ただ、ともだちのような夫婦なので、仕事のことを打ち明けていないのはややご都合主義)。余貴美子はまさに適役。笹野高史はそう来たかという感じでひねりあり。
悪くはないが……
所属していたオーケストラの解散で、郷里に戻りひょんなことから納棺師となった主人公が、さまざまな死の現場で人生のありように思いを至らせたり、死者を扱う仕事をしていることから友人や妻からの偏見にあったりするお話。
主人公が納棺師として確たる自負を持ち、周囲が偏見をとくには、誰か近しい人の死しかないわなぁ……と思ってたら、やっぱりそういう展開に。つまらない映画ではないけど、僕の好みではないかな。
あと、プリントの状態が悪いのか、音声がところどころ途切れて無音状態になるところがあって、集中力が削がれてしまいました。試写会でそれはあんまりだなぁ。
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