アイム・ノット・ゼアのレビュー・感想・評価
全2件を表示
リッチー・ヘブンス
なんといってもリッチー・ヘブンスです。彼の演奏を見たのは『ウッドストック』の映像だけなのですが、久しぶりに拝見して、衰えを知らぬソウル・スピリッツをビンビン感じてしまいました。少年ボブ・ディランとの軽いセッション・シーンだけだったのに、ここまで印象に残るとは・・・やはりタダモノではない!
こんなに実験的な映画だとは思いませんでした。伝記(とは言え、ボブ・ディランは死んでない)映画と言えるはずなのにボブ・ディランという登場人物は一切なく、6人のディランはそれぞれ別の名前で登場し、モキュメンタリー的な作りになっています(虚実のようで真実なんだろうけど)。しかも、時代は行ったり来たり、ディランの6つの側面をそれぞれ強調する役作りに徹しているため、完結もしないし、むしろ混乱してしまうおそれもあります。
印象に残るのはまず“放浪者”を演ずる少年マーカス・カール・フランクリン。左利きギターも上手いし、天才ミュージシャンというイメージ。そして、女優賞でも注目された“ロックスター”のケイト・ブランシェットはソックリ度では一番だったかもしれない。役名はジュード・クイン。クイーンといえば、「アイム・ノット・ゼア」ならぬ「ナウアイムヒア」を思い出してしまいます・・・
この映画が遺作となってしまった“映画スター”を演ずるヒース・レジャーを見るとちょっと悲しくなってきました。結婚しているディランの一面も見れるのですが、妻を演ずるのがシャルロット・ゲンズブール。「ヒースの妻はシャルロット・ゲンズブール」などと茶化して悲しさを紛らせてしまいましょう。
残りは“無法者”のリチャード・ギア、“詩人”のベン・ウィショー、“革命家”のクリスチャン・ベイル。贅沢なキャスティングだけど、魅力は分散されているような・・・それよりも時代に応じたドキュメント映像、特にベトナム戦争が絡んでいると、ボブ・ディランが与えた影響も計り知れないと感じてしまいます。
6人をそれぞれ別人格としてとらえてしまうとわけのわからない映画。でも、すべてボブ・ディランなんだよな~と考えると、名前を隠し通すこととか、政治的プロテストソングの精神の考え方がわかるような気がしてくる。実は彼のことをよく知らないのですが、『USA for Africa』で他のミュージシャンから自分の歌い方を教えてもらうという微笑ましいシーンが忘れられなく、実は照れ屋さんなんだと思っているんです。でも神様・・・です、きっと。ちなみに“フォークの神様”と検索してみると、岡林信康、ボブ・ディラン、杉下茂、等々がヒットします。
僕がしていることは抵抗(プロテスト)だ。
映画「アイム・ノット・ゼア」(トッド・ヘインズ監督)から。
6人のキャストが、伝説的アーティスト、ボブ・ディランを
それぞれ異なった角度から演じるという話題作だと言う。
確かに、フォークシンガー、ロックスター、詩人、
映画スターなど様々な顔を持つボブ・ディランなのだが・・。
「詩とは、裸の人間のようなもの」と言いながら、
「言葉を書かなくても詩人だ。
ガソリンスタンドの店員も靴磨きも」
「詩人という言葉は嫌いなんだ」とも呟く。
「歌は、ひとりでに歩きだす」と語ったと思ったら、
「歌で世の中が変わるとは思ってないさ」とも言いきる。
どれが本当のボブ・ディランなのか、考えさせられた。
そこで、作品内で語られてた
「お尋ね者の心得7カ条」を紹介したい。
その1 レインコートの警官を信じるな
その2 情熱と愛には気をつけろ。両方ともすぐ冷める
その3 社会問題への関心を問われたら、
じっと見つめ返せ、相手は黙る
その4 本名を隠せ
その5 自分を見ろと言われても、決して見るな
その6 目の前にいる人間にすら理解できぬ行動は慎め
その7 何も創造するな その誤解は一生付きまとう
決して解けない
この7カ条に「ボブ・ディラン」の心得を感じた。
総称すると「僕がしていることは抵抗(プロテスト)だ」
このフレーズが輝きを増してきたので、気になる一言。
ちなみに、
プロテスト(protest)とは「異議を申し立てること。抗議」
プロテスト‐ソング(protest song) とは
「反体制的な主張や抗議を歌詞に取り入れた歌」のこと。
全2件を表示