容疑者Xの献身のレビュー・感想・評価
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パンチがやや弱い
沈黙のパレードですっかりガリレオブームが来たので無論鑑賞。大昔に観たハズなんだけどほぼ真っ更なレベルで記憶から消去されていたもので初見で楽しめた。けどやっぱり最初クソ男を殺す辺りでコタツのケーブルとかを使ったシーンは何か覚えてて人間の記憶ってゴイスー。(もしかしたらそこだけYouTubeで見た可能性も捨てきれないが)
さてさて、ネタバレ有りなので遠慮無しに述べていこうと思うが、巷ではこの『容疑者Xの献身』がガリレオのみならず邦画界においても一二を争うほどの名作だと言われているとかいないとか。
でも僕個人の感想としては、パンチが弱く普通だった。まあ、そもそもガリレオシリーズ初の映画化という事で更にドラマ版はもうちょっと明るいらしいので、そのギャップなんかも効いてヒットしたのだと思う。けど、最新作の沈黙のパレードなんかと比べると、まあ当然だがやっぱり今の映画ってちゃんと進化してるんだなという事を実感させられる。
物語は意外とシンプルで、まさに真のオタクとも言える数学オタクを突き抜けた石神が偶然にも隣人のゴキブリ(意味深)騒動を聞いてしまい、更にそのお隣さんの奥さんに片思いをしていたことから片棒をかついで自らも殺人を犯してしまう・・・というストーリー。
つか真夏の方程式でもそうなんですが、ガリレオ映画って犯人が明かされていてそれをガリレオがどうやって解き明かしていくのか?って俯瞰して見ていくのががメインなんですね。沈黙のパレードってむしろ初の試みだったのか。
話題を戻して、このストーリーの肝は一見すると花岡親子らが一応は悪くて石神はその片棒をかついだ”救いの騎士”だったわけですが、実は終盤のどんでん返しで石神は死体を隠すトリックに使う為全く無関係なホームレスを殺害していた事が発覚するのです。
このトリックはかなりあっぱれで自分も全く予想出来ませんでした!確かに意味深なホームレスの描写はあったけど・・。だからこの新事実によって”可哀想な石神”から”狂気の石神”へと変貌を遂げるのです。
でも、
でも!!!!
石神はただ花岡親子らを守りたかったその一心だけで、これを引き金にキラーマシンに変貌したわけじゃありません。意味深だった湯川との登山シーンでももしかしたらそんな気持ちがよぎっていたのかもしれないですが、実際にはそんな事は起きませんでした。
最後まで湯川とは友人として接し、花岡親子らを全力で守るために働いた。これはまあハッキリとは明言はされていませんが、石神が数学以外はさっぱりな男だということは想像が付きます。
そんな数字しか興味の無かった男が一人の女性の為に全てを捧げたラブ・ストーリーとも言える本作。すごい脚本です。
ただ、
ただ!!!!
やっぱり今完全フラットな視点で見た僕から言わせますと、前半をピークに盛り下がっていく感が否めないのも事実でした。花岡親子が犯人で、石神はその罪を被って、更に石神自身も一人殺していた。そして、そんな事実が全て発覚した最後の最後で花岡靖子が自首をしに来て、そのまま泣き崩れる石神。
個人的にはここがもうちょっとエモくなるのを期待していたと言いますか、案外普通に花岡靖子が来て急に泣き出す石神って構図だったので、石神の方ももっと演技を続けるのかと思いきや一瞬で崩壊したのでちょっと早かったかなあと。
んん~これは大人の事情で尺が押してたんですかねえ。
意外と後半はパンチが弱かったと感じたのは僕だけでしょうか?
天才数学者の計算ミス
湯川(福山)ではなく、石神(堤)を主役に据えたのが最大の勝因。
面白かった。
もちろんドラマシリーズのみどころ、天才湯川教授の謎解き部分も
ちゃんと見ごたえありますし、脇役陣もちゃんと存在感ありますし。
この映画を見る前は、湯川VS石神の天才頭脳戦になるのかなと
勝手に想像しており、そうだったらいやだなと思ってました。
ところが、湯川はあくまで味付け。
そして、天才数学者が計算できなかったのが、
ただの平凡な隣に住む未亡人の感情。
というのがまたいいじゃないですか。
そこまでは全て計算通り。
最後の最後で、「一緒に・・・」という
一番聞きたかった言葉を、
一番聞きたくなかった場面で、
一番聞きたくないタイミングで聞かされる。
おそらく石神が40数年で最も感情が表れた
であろうあの号泣。
蛇足ですが、
警察(柴咲コウ)が最初からずっと石神を疑ってたのが
いらなかったですね。
献身こそ愛
役者ってすごい
何年も前の映画なので、ご存じの方も多いと思いますが、当時石神役に堤真一さんが抜擢されたとき、ファンから酷評の嵐でした。
どう考えたって原作の石神には似ても似つかない風貌だったからです。
物語のキーのひとつに、石神の不格好な容貌は必要不可欠でした。
堤真一さんは嫌いではありませんが、私も当時がっかりしたファンの一人です。
それでも、原作は好きですし、ドラマもすべて視聴しているからと観に行きました。
結果、最初の印象で避けないで良かったと思いました。
この映画の原作は東野圭吾さんの作品のなかでも1、2を争うほどの人気作なのですが、その秀でたストーリーよりも堤真一さんの役作りや演技力に一番感銘を受けてしまったくらいです。
それでも物足りない方もいると思いますが、堤真一さんの役者としてのパワーは十分に感じました。
映画の内容としては、雪山のシーンはいらなかったように思います。
堤真一の演技には唸るものがある
いやー 覇気のない歩き方や猫背 表情や喋り方 ラストの複雑な気持ちで泣き喚くシーンなんか圧巻! 堤真一の演技はほんとに凄い! ストーリーは もう最初の段階である程度ネタバレした状態からスタートする。もう少し伏せんがあって複雑でも良いかな?と思ったけど タイトル通り献身的な姿に重点を置いたんだろうなと。ただ、単純に罪を被ったのなら良い話だったかも知れないけど ホームレスとはいえ何の罪もない人を殺害して利用するという手口は うーんと思うところ。最後はあんな感じになってしまったけど 石神さんの献身が花岡さんにちゃんと伝わって良かったなと少しホッとした。
愛する人を助けること
天才も人の子でした
独立した映画とみるか、ドラマの映画化とみるか。
うん、面白い
コミカルを封印したヒューマンドラマです。
堤さんスゴイ! 泣けました・・・!!
筋書きの強引さを俳優の演技でカバーした
ドラマとトリックのミスマッチ
この作品は本格ミステリ的トリックと人間ドラマの融合を図ったものだと思うが正直成功していない。
ミステリとしてみた場合、そもそもトリックが成立していない。
このトリックを成立するためには被害者(元夫)の死体を発見不可能にすることと被害者が住所不定無職であることの両者が必要である。
もし被害者に自宅があればそこからDNAが採取されてしまいトリックが成立しない。
死体もなく、住所不定の者がいなくなっても誰も気に留めず、そもそも事件として認知されない。だからそれ以上のトリックは必要ない。石神はやらなくていいことをやって結局事件が露見してしまった、ということになる。天才のやることではない。
ドラマとしてみた場合、あまりにも描写が薄い。
ドラマとして描くなら、石神がどうして自殺するまで追い詰められたのか、どうしてあの親子があいさつに来ただけで思いとどまれたのかが大事だが回想でサラッとなぞるだけ。単に動機の説明にとどまっている。
また、どういう気持ちで死体を隠蔽し、ホームレスを殺したのか、そういうところがしっかりと描かれていれば親子を守るため無関係な人間を殺すことの苦悩などが理解できたかもしれない。しかしトリックの説明で終わってしまうため、ホームレスを捨て駒のように殺しているようにしか見えないのである。
親子を守るためだけならもっと簡単な方法がほかにもいろいろあった。例えば正当防衛であることを証言するとか(そのために証拠を捏造するとか)、自分がやったと名乗り出るとかである。人を殺すというのは精神的にも相当ハードルが高い。なぜそのような選択をしたのか謎である。逆に言えばそこを描き切ってこそドラマと言える。
映画の最終盤で、「アリバイトリックと見せかけてすり替えトリックだったんだ」みたいなセリフがあるが、おそらくこれが原作者の一番やりたかったことなんだろう。
だがレビューを見てもわかる通りそんな江戸川乱歩のトリック分類みたいなことに関心のある人などほとんどいない。原作者もそれがわかって純愛風の舞台を作ったのだと思うが、その結果、どっちつかずの無理なストーリーになってしまったのだと思う。
本格ミステリであれば、登場人物も駒であり殺人も単なるイベントでいい。しかしドラマはそうはいかない。本作ではほとんどの登場人物が駒として描かれているので、非常に薄っぺらく感じる。堤の演技も(評判がいいようであるが)正直、「さえない中年男」をステロタイプに演じているだけだ。「抑えた演技」という評もあるようであるが、抑えた演技を【過剰に】演じているようにしか見えない。もちろんこれは役者の責任ではない。こういう演技を求めたのは監督であり、脚本だ。
原作は読んでいないのでわからないが、原作では上手にトリック部分とドラマ部分を融合させているのかもしれない。しかし、尺に制約のある映画ではトリックの意外性を捨て、ドラマ性を重視したほうがよかったのではないかと思う。
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