「45年が煙のように消えてしまう」最高の人生の見つけ方(2007) あき240さんの映画レビュー(感想・評価)
45年が煙のように消えてしまう
誰かが、本作は老人のスタンドバイミーだと言っていた
なるほどと思いました
このロブ・ライナー監督はその映画を撮った人でした
ジャック・ニコルソン、モーガン・フリーマン共に公開時点で70歳
60年前は1957年です
子供は青年になり、大人になり、そして老人になったのです
劇中のこんな台詞が心に刺さりました
「45年が煙のように消えてしまう」
決して老人だけの映画ではありません
自分とは関係のない老人の物語だと思ったなら違っていると思います
25歳のあなたも、45年が煙のごとく消え去って気がつけば70歳を迎えているのかもしれません
毎日、働いて、食べて寝てその繰り返し
それだけで精一杯
あることがしたい
どこどこに行きたい
誰だれにあいたい
こんどしよう
いつかしよう
こんど会おう
若いのだから時間は無限のようにある
いつだって都合の良いときにすればいい
それが間違っているというのが、本作のメッセージだと思いました
気がつけば時はどんどん流れて絶対に取り戻せはしないのです
エドワードのようにお金があれば大抵のことは解決できます
でも家族、つまりパートナー、そして子供や孫はお金では決して解決できないのです
家族と過ごした45年の年月は巨大な思い出の山脈になっているはずです
家族を作るだけではありません
何だっていいんです
時は戻って来ないのです
あの時こうしたかった
それを沢山残して老人になっても虚しいだけです
いつかやろう
それは今でしょ!
コロナ禍で明日は自分も含めて誰がどうなるか知れたものではありません
何々が美味しいどこどこの名店
何々で全国的に有名な音楽バー
今までは、いつか行こう、今度思い出した時に行こう
それで良かった
でもコロナ禍では、そんな良いお店がどれだけ残っているのか不安です
コロナ禍がいつか終息して行けるようになっても、どうしてコロナになる前のあの時になんで行っておかなかったのかと後悔するかも知れません
いくら大金持ちであってもどうしようもありません
コロナ禍で無くても、明日何があるのか、今日の続きが永遠に続くことはないのです
東日本大震災だってありました
若くても明日が保証されてなんかいないのです
棺桶リストはカーターの黄色いリーガルパッドの手書きの走り書き
ザ・バケツ・リストと書いてありました
何でバケツ?
キック・ザ・バケツという慣用句があるそうです
首吊りの時、バケツを踏み台にして最後にバケツを自分で蹴るからそう呼ぶのだそうです
老人になって慌てない人生を送りたいものです
知り合いの話
あるジャンルのアナログレコードの全国的に有名なコレクター
お金持ちからそのコレクションを何百万という大金で丸ごと譲って欲しいと言われたとか
それだけのレアなレコードを探して入手する手間と時間は膨大なものです
大昔のレア盤はもはや手に入れられないものばかり
今から集めるにはもっともっと時間がかかるはず
それを金で無理やり解決しようということです
きっと「45年が煙のごとく消えた」人からのオファーなのでしょう
コレクションは金で手に入れられるでしょう
でもコツコツとシングル版を集め、毎日その楽曲を堪能する長い年月を楽しんだ思い出の巨大さは買えないのです
金の力で手に入れた壁一面のアナログレコードを眺めても虚しいのでは無いでしょうか?
コレクター仲間へマウンティングする虚栄心を満足させているだけです
そんな申し出を受けた知人は、コロナ禍の中ガンで急死してしまいました
もうすぐ一周忌になります
コロナ禍になる前の年
何十年ぶりに、子供の頃に遠い所に引っ越した友人に会いに旅行にいきました
ついでに近くの有名な温泉や、経路途中の有名観光地にも立ち寄り美食美酒を堪能してきました
よくぞ思い立って行ったものです
また今度とか思っていたら、一体いつになったら行けるようになるか分かったものではありません
美食美酒に酔ったお店もまだあるかどうか
だから老人の物語でなく
若いからこそやりたいことは、悔いを残すことなく全部やりましょう!
それが本作のメッセージだったと思います
しかと受け止めました
コロナ禍が終わったら弾けたいものです
カーターの遺骨の入ったビスケットの缶
あれは冒頭の自動車修理工場で彼が灰皿代わりにしていた缶でした
どうりで汚れていたはずです
でもそれは45年彼が家族の為に懸命に働いたという証拠です
エドワードも同じような汚い缶に入れて貰えて光栄に感じていると思います