マリア・カラス 最後の恋のレビュー・感想・評価
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歌手になりたいなら、感情のコントロールを学べ
映画「マリアカラスの最後の恋」(原題 CALLAS ONASSIS)
(ジョルジョ・カピターニ監督)から。
映画の冒頭シーン、
太り気味の容姿を審査員に批判され、歌うことも拒否し、
オーデション会場から飛び出した若き日のマリアカラスに、
後に夫となる実業家のバティスタ・メネギーニが諭す。
「歌手になりたいなら、感情のコントロールを学べ」、
この言葉は、一番最初にメモした台詞であったが、
振り返ると、作品の全編に通じるものがあった。
感情の起伏が激しく、海運王アリストテレス・オナシスとも
何度となく喧嘩をし、激しく罵倒しあう。
その度に「幸せになりたいなら、感情のコントロールを学べ」
という台詞が浮かんできたのは私の考えすぎか。
世界中の崇拝と賞賛を集めるオペラ界の歌姫、
「感情のコントロール」をしなかったから、成功したのかも。
う〜ん、複雑な心境である。
歌姫の物語をただの不倫劇として描いた作品
ヌートリアEさんが指摘されているように、カラス役の女優さんは、カラス(鳥ではないよ)そっくりですね。オナシスもそっくりさん俳優を起用した起用したということで、企画の狙いが、歌姫マリアのカリスマ性よりも1人の女としての不倫劇の内情を暴露する
ことが主になっていると思います。
世界有数な海運王ともっと著名な歌姫のダブル不倫。しかも舞台は地中海クルーズの豪華船室であったり、超セレブな日常生活であったりします。そうすると観客の多くは、ドラマの筋よりも、ドキュメント感覚になって好奇心本意でみてしまうことになってしまうでしょう。そっくりさんの起用はそれを狙っているとしか考えられません。
マリアカラスの映画に求めるものとは、やはり彼女の音楽性の根源でしょう。あの歌声は、どのような日常から紡ぎ出されているのかを、豊富な歌唱シーンと絡めながら彼女の内なる精神に肉薄していく作品を期待しているものだろうと思います。
ところが本作は単なるカラスとオナシスのダブル不倫劇にしか過ぎませんその恋の描き方も浅く、突如として二人は恋に落ちて、些細なことで喧嘩し別れてしまうのです。背景にあるカラスの揺れ動く恋心や嫉妬深さについて複線が皆無では、なんで夫を捨ててオニキスに走ったのか、また何で異常なまでに嫉妬深いのか観客は理解できないでしょう。
やはりカラスは、両親の離婚、経済的困難を味わった少女時代を複線として、心の中にある愛を渇望する心を描くべきでした。
また当時歌い込みすぎて声が出なくなっていたカラスは歌手生命のピンチに立たされていました。なぜ睡眠薬を多用するほど鬱になっていたのかという点でも、オニキスとの痴話げんかのせいとしか思えないような話になっていたことが不満です。
またオニキスも、彼の心の中にある身勝手さや計算尽くの部分が描かれておらず、ちょいワルオヤジにしにか見えません。けれどもあれほどカラスに恋をしたオニキスが、カラスと婚姻関係を結ばす、JFKの義理の妹と政略結婚してしまうのは、彼の名誉欲と支配欲のせいでしょう。
手に入れがたいうちは、必死だが、手に入れてしまうと熱が冷めてしまう。そんな男の狩猟本能をオブラートに包んで、いい人に描きすぎています。
作品から見られるふたりの関係は、お互いが都合いいときだけ愛を求めているという、奪い合いあう関係でしかなく、相手の心を満たす関係になれなかったということでした。
人を愛することが出来ない二人の葛藤や悲しみにもっとスポットを当てるという方向もあったかもしれません。でも、そんな普通の女としてのカラスよりも、歌に生きた人生を見せて欲しかったですね。
ただし劇中に挿入された、わずかですが歌劇「トスカ」などカラスの独唱シーンを聞くに付け、改めて荘厳で神近き歌声に触れて、しばし至福の時間を過ごすことが出来ました。
昨年公開された『永遠のマリアカラス』と比べると、こちらの方が歌唱シーンもたっぷりで、歌えなくなる恐怖に葛藤するカラス心情がよく描かれています。人物表現としても『永遠』の方が、スターらしい気の強さと自己チューぶりが際だっていました。『最後の恋』のカラスは、か細いお姫様タイプという感じでしたね。
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