「『着信アリ』の劣化コピー」ワン・ミス・コール かみぃさんの映画レビュー(感想・評価)
『着信アリ』の劣化コピー
自ブログより抜粋(ほぼ全文)
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日本で大ヒットし、続編はもちろん、テレビシリーズへも派生していった秋元康原作、三池崇史監督のジャパニーズ・ホラー『着信アリ』(2004年)のハリウッド・リメイク版。
文化の違うアメリカ人にも解るようにとオリジナル版の趣向の一つであった不安を煽る都市伝説の広がりという側面は影を潜め、ハリウッドらしい視覚に訴えかけるショック・ホラーへと脚色されている。
その方向性の違いはあれど、展開はおおむねオリジナル版と一緒のようで、厳密に比較したわけではないが、観賞中、劇場で一度観たきりで忘れかけていたオリジナル版をいちいち思い出していた。
で、その出来だが、ホラー映画なのにまるで怖くなく、当然といえば当然だがオリジナルを知っていると展開に意外性はない。
さらに、日本のオリジナル版と比較してもハリウッド映画の割には低予算臭さが拭いきれず、オリジナル版はけっこう面白かったのに、これははっきり言ってつまらない。
広がっていく都市伝説という要素が欠けているせいか妙にこぢんまりとした印象で、前半の山場だったテレビで生放送のシーンも、思いきりの良かった三池演出のほうに軍配が上がる。
しかもこのシーン、ハリウッド版では録画に変更されており、“その時”が来るのが大衆の面前ではない。
このシーンは観客に、「さすがに全国の視聴者が見ている前で予定通りに死ぬことはないんじゃないか」という一抹の希望を持たせる演出意図があったからこそ活きるシーンで、ただ単にテレビカメラの前でというのではまったく意味がない。
おそらくその後の展開を簡略化させるための変更なんだろうが、緊迫感までもが大幅に縮小されただけの改悪としか言いようがない。
ちなみにハリウッド・デビューと話題のデーブ・スペクター氏は、このガッカリなシーンのチョイ役で登場しており、(彼に非はないが)ガッカリ度アップに貢献している。
クライマックスの謎解きも妙にあっさりしており、ラストに至っては日本版が観客を翻弄するシュールな終わり方だったのに対し、ハリウッド版はえらくわかりやすい“オチ”がついて、チャンチャンてな終わり方。
日本版が公開されたとき、「携帯電話を通して伝染する呪い」という、『リング』もどき一発ネタホラーというのがその第一印象だったが、それなりに巧くエピソードを積み上げ、いっぱしのジャパニーズ・ホラーとして楽しませることに成功していた。
しかしこのハリウッド版からは、その一発ネタにすがっただけの安易さしか見えてこない。
なによりホラー映画として致命的な、“怖くない”敗因は、あの耳に残って忘れられない死の着メロまで変更され、まるで印象に残らなかったこと。
名曲と言っていいのかどうかは判断しかねるが、『着信アリ』はビジュアル的にどう死ぬかとかより、あの着メロが突然鳴る瞬間こそが怖かったのよ。
だからこそ現代人が肌身離さず持ち歩く携帯電話という小道具が活きたってことを製作者がわかっていないのが一番のミス。