「物事を正しい名前で呼ぶこと」イントゥ・ザ・ワイルド ラビ田さんの映画レビュー(感想・評価)
物事を正しい名前で呼ぶこと
大学を優秀な成績で卒業した主人公の青年クリスはある日、仲のよかった妹にさえ告げずに旅に出る。
アメリカ、メキシコを歩き回る途上でいろいろな人たちと出会い、いろいろな経験をし、最後に夢のアラスカにいたる。
山に分け入り、偶然見つけたうち捨てられた「魔法のバス」で一冬を越すことにする。
実話をもとにした青春ロードムービー。
ふつうロードムービーは旅を通して主人公が成長していくさまを描きますが、この映画では主人公は最後まで主人公のままで、むしろ周囲の人々が変化していきました。
けれど最後の最後に主人公は転換をする。
それは予定調和的でもあるのですが、それが持つメッセージは強く心に残りました。
彼は両親の不仲に、彼らが自分を管理しようとすることに、そういう不幸が存在する世界に、うんざりしていた。
しかし絶望はしていなかった。絶望するには頭がよかった。
そして「人間関係以外にも大切なことがある」と考えていたから、自然に入り込んで(into the wild)いった。
映画で何度か青年の失踪に苦しむ両親が映される。
彼らは息子を喪失して初めて彼らにとっての青年の大切さを知った。そして絶望した。
喪失と絶望のセットが描かれる。
無事に越冬した青年は山を下りようとするが、川が増水して渡れず、山に閉じ込められてしまう。
獲物はいない。空腹がつらい。
植物図鑑を手に野草を摘むが、不注意で毒草を食べてしまう。
治療しなければ死ぬものだ。山には誰もいない。青年の死は決まった。
毒と飢餓に苦しみ、死に臨んだ青年は板に文字を刻む。
「happiness is real when shared」ーー幸福は分かち合って本物になる。
青年は両親や世の中にうんざりしていたときも、絶望はしていなかった。
死ぬなど考えなかった。それが今、自分ひとりではどうにもならない窮地に追い込まれた。
自分“以外”を喪失して初めて、彼はついに絶望した。
そして同時に希望を抱きえる誰かがいて初めて幸福がありえることに気づく。
喪失と希望がセットで描かれる。
この映画では、誰かの存在と喪失は裏表で、それらと希望と絶望はセットであることが、最後に示される。
私はときに自分以外要らないような気持ちになるけれども、それがただの傲慢であることはなんとなくわかっている。
それが本当に「若者にあってしかるべき傲慢なんだよ」と、この映画は諭すではなく示してくれました。
傲慢になったり謙虚になったりしながら「頭でっかち」でない人間に成熟できればなぁと思ったのでした。
この映画でなんとなく頭に残っているせりふがあって、それは「物事を正しい名前で呼ぶこと」という、主人公が読んでいた思想書の一説です。
物事を正しい名前で呼ぶ。なんて難しいのか。
でもこの言葉の響きはとても凛としてかっこいいので心にとどめたいです。
この言葉が主人公を死に追いやったといっても過言でないのですが。