劇場公開日 2009年10月10日

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「ええ話や」ATOM REpowerさんの映画レビュー(感想・評価)

3.0ええ話や

2019年12月16日
Androidアプリから投稿
鑑賞方法:VOD

楽しい

単純

確かに昭和の時代の子供達には熱狂的に受けただろう。

しかし、平成・令和のこのご時世には、何か刺激が足らなく感じる。

もう、アトムでは満足出来ない体になってしまった。

REpower
k-fujimotoさんのコメント
2021年2月28日

この映画を見て、アトムを語らないでほしいと思う。これはあくまで、ATOMという映画であって、日本で放送されていた「鉄腕アトム」とは全く別物。
手塚治氏がアトムを描いた時代背景が重要で、アトムはきわめて社会的な問題意識を表現している。ロボットへの人間の偏見は、アトムでは、ロボットと人間の権利を同じにするという事で描かれていて、「かわいそうなロボット達に愛の手を」ではない。
手塚氏のアトムでそれが実現するのは、文化的に日本人には「物」が魂を持った、人間と同列な存在と受け入れる素地があるからだ。
天馬博士がアトムの関係は、死んだ息子とそっくりの姿をしたアトムが、人間でないから受け入れられない話、ではなく、
子供を亡くした親が、代わりに養子を取ってみたが、やはり死んだことは違っていたので、追い出す。という話である。
こう書けば欧米でも、天馬博士の行ったことの本当の意味がわかるだろう。
手塚治虫氏が描いたアトムでは、天馬博士は、このような人物として描かれていた。ロボットでは子供の代わりにならないという現実に直面したかわいそうな人、ではない。

このアニメがスピルバーグの「AI」を彷彿とさせてしまうところも意味深い。「AI」でも、親はロボットを息子の代わりに得るが、息子が帰ってくると、すっかり愛情を失い、物扱いをする。
このロボットを血のつながらない養子、もしくは人種の違う養子とみれば、この親は犯罪者だ。
でも「AI」は、犯罪者の映画としては描かれていない。

日本のアトムでは、天馬博士は悪役だ。

ちなみに、「AI」には原作が有り、こちらはきわめて日本的なロボット中心に描かれた話だ。この原作の精神は、手塚治虫のアトムに結構近いかもしれない。

k-fujimoto