劇場公開日 2010年1月23日

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「鏡の世界の描写のなかに、不思議さばかりでなく、人間の本性を問いかける深遠な真理を盛り込んでいる点が秀逸です。」Dr.パルナサスの鏡 流山の小地蔵さんの映画レビュー(感想・評価)

4.5鏡の世界の描写のなかに、不思議さばかりでなく、人間の本性を問いかける深遠な真理を盛り込んでいる点が秀逸です。

2010年1月31日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

 ギリアム監督は、不思議な映像世界を描く監督としては、ティム・バートン監督に匹敵するのではないでしょうか。
 鏡の世界の描写のなかに、不思議さばかりでなく、人間の本性を問いかける深遠な真理を盛り込んでいる点が秀逸です。監督のメッセージは、ある程度宗教的な素養が必要かも知れません。それが分かると、めくるめく魔的な映像に引き込まれていき「なんだCGだろ」という余計なことを考えず自然にのめり込んでいきます。
 鏡の世界への案内役を務めるトニーを4人の人気俳優が演じる点でも、ストーリーの世界にはまり込んでしまうと、全然気にならないどころか、4人が同じ人に見えてくるのが不思議でした。まるで小地蔵とわが分身みたいです。同じ魂の片割れ同志ですが、小地蔵の方が、容姿など見かけがかっこいいのです(^^ゞ
 脱線しましたが、このトニー役を演じていたヒース・ジャレットが、鏡の世界の部分の撮影を残して他界したため、苦肉の作としてこうなったわけです。4人で1つの配役という試みは、不思議世界の演出として、成功していると思います。「1つが多」と一体であるという発想は、極めて仏教的ですね。
 そんなわけで、きてれつなストーリーにも、ツボが分かると不思議と違和感なく入れる作品でした。

 本作は、現代のロンドンの街に馬車を組んで現れた大道芸人の摩訶不思議な見せ物小屋が舞台です。
 口上を述べる曲芸師アントンの語りも不思議そのもの。舞台中央に置かれた大きな鏡をくぐれば未だかつてない幻想世界を見られるといい、それを操るのが1000年も生きている不老不死のパルナサス博士の未知なる力なんだと言うのです。
 誤って鏡のなかに飛びこんだアントンが見たものは、飛び込んだ主の願望を実現した心の中の世界だったのです。
 人によってはカラフルで天国的みたいなシュールな世界が広がると思いきや、一瞬で奈落の底に突き落とされたかのような地獄にも豹変します。
 但し、この不思議世界に行くためには、パルナサス博士が禅定中でないと行けません。 オフの時飛び込んでも、鏡をすり抜けて向う側の通路にすり抜けるだけというのがユニークです。

 どういう理屈でこの不思議世界が作られたのか。そのカギを握るのが悪魔のニックです。人をたらし込むことにおいて、なかなか愉快で知能的なのがニックの仕業。ニックの誘惑にのめり込んでしまったパルナサス博士は、最愛の娘ヴァレンテイナを賭け草に、ニックに優劣を競わさせられていたのでした。
 なんでそんな馬鹿な賭けをすることになったのでしょうか。
 それは遠い昔、山奥でこの世界の真理を伝承する老師として、弟子達を導いていたパルナサス博士を惑わすために訪れたニックの誘惑にまんまと乗せられてしまったからです。 その誘惑とは、永遠の生命でした。それと引き替えに、パルナサス博士は還俗します。そしてひとりの少女を見初めてしまい、またまたニックと取引。若返りして少女を妻帯することの代償しとして、約束したのが娘を差し出すことだったのです。

 お釈迦さまは、悪魔の五感の誘惑を尽く喝破して退けたのに、パルナサス博士はなんと導師としては、精神力や智慧がひ弱なものだったのでしょう。その後の苦難の人生に、不老不死とは、この世の牢獄につながれた「苦」そのものであることを、パルナサス博士は痛感するのですね。

 Dr.パルナサスの鏡も実はニックの仕掛けた人間の欲望を煽るための仕掛けなのかも知れません。鏡の世界には、飛び込んだ本人の願望が忠実に再現されます。そして、その奥には決まって、欲望の道か、節度ある道かの選択が待ち受けています。
 ニックが提案した掛けとは、鏡に飛び込んだ人が、どっちを選択するかの数を競う物であったのです。

 またニックの仕掛けとして、送り込まれたのがトニーでした。当初記憶を失っていたトニーは、パルナサスの一座に拾われ、才能を発揮。一座に繁栄をもたらします。
 しかし、彼にはマフィアに追われるのも当然のような偽善者としての顔を持っていました。そうとも知らずにトニーに惹かれていくヴァレンテイナ。
 彼女に好意を寄せる誠実なアントンと上辺はかっこいいイケメンのトニーとどっちを選択するか。これがニックの仕掛けた賭のラスト・アンサーだったのです。

 人生とは、選択の連続。あなた様も実はニックの仕掛けた罠に引っかかっているかも知れませんぞぉ!楽な方へささやきかける声のなかにね。

流山の小地蔵