「悪魔はどこにでもいて、どこにもいない」天使と悪魔 つとみさんの映画レビュー(感想・評価)
悪魔はどこにでもいて、どこにもいない
前作「ダ・ヴィンチ・コード」に比べて、「天使と悪魔」については書くことが少ない。この映画の主眼は完全に「天が割れ、光の中から天使が舞い降りてきた」あのシーン、あれを撮るためにこの映画は存在したと言っても過言ではない。
だから、その他のことはほんの瑣末な出来事でしかないし、特段書くこともないな、と思っていた。
が、突然思い立ったのだ。なんで「天使と悪魔」なんだろう?と。天使はわかる。が、悪魔って何だ?
今作、悪魔って出てきただろうか?
その視点に立って映画を振り返ると、悪魔と呼べそうな存在は「イルミナティ」ということになりそうだ。バチカンと対立しながらも、ローマ市内はおろか、バチカン警察やサン・ピエトロ大聖堂の内部など、どこにだって入り込めるという。
次期教皇候補の中でも最有力と言われる4名の枢機卿を拉致・監禁し、次々と手にかけていく。
だが、まことしやかにその存在を示唆され、恐るべき一連の事件の黒幕と目されていた「イルミナティ」とは、カメルレンゴ・パトリック神父が成りすましていただけの、実態のない組織(今作品の中では)だったのだ。
つまり、「天使と悪魔」という作品の中において、悪魔とは天使によって生み出された幻想上の敵なのである。
悪魔はこんな恐ろしいことを企んでいるよ、悪魔は一見それとはわからずに人々の中に紛れているよ、彼も彼女も悪魔かもしれないよ…。
そんな天使の囁きに、人々は惑い、疑い、時には身内に犠牲者を出し、絶望の中に突き落とされる。
あとは奇跡を待つしかない、という状態で尊い自己犠牲の精神で諸悪の根源を取り除き、奇跡的に生還し舞い降りてきた青年がいたら、それは神の僕、まさに天使と思われても不思議はない。
自作自演の救世主。それが「天使と悪魔」なのだ。
悪魔とは天使が堕天したもの、とも言える。空から降りてきたパトリック神父は、追いつめられて地下へ地下へと降りていった。翼を失くした天使が地獄を住処とするように。
反物質、天地創造と対極を成すものを人が手にすることは傲慢な行いである。と、他者を断罪した時点から、彼の堕天は決まっていたのかもしれない。