「次作で価値の還元を」アバター(2009) Travisさんの映画レビュー(感想・評価)
次作で価値の還元を
初レビューは、どういうわけだか「アバター」となってしまった…。
昨夜、やっとシネコンで観賞。テレビ放映では3Dを実感できないとの単純な理由だった。
一日経った感想は、日本アニメの「もののけ姫」と「装甲騎兵ボトムズ」と「太陽の牙ダグラム」を混成したパクリだったのではないかとの印象。
惑星鉱物資源の利権のために侵略した"海兵隊"の描写だが、世界最強の軍隊国家であるアメリカの監督が描く海兵隊のもっともシンプルで"ジャーヘッド"なその描写は、本当にその現実を指し示しているのではないかと思うと、ただ呆れる他ない。
映画で揶揄するのは結構だが、アフガン・イラクの人々への贖罪意識は、監督を始め、観賞したアメリカ人にはいったいどれだけあるのだろうか。青猿との蔑称。かつて日本の人々もキャメロン監督の国の軍人や国民たちから黄猿と蔑視された。
「アバター」との表題に、実は鑑賞者自身が劇場で3Dメガネを掛けさせられて、自らがアバターとなって侵略者側と被征服者側の心象を追体験し、戦争の悲惨に向き合わせるのが狙いであるなら、キャメロン監督の心象が理解できないでもない。
ただ、描写の多くに、「もののけ姫」との1コマに被る部分が余りに多く、自然と開発との共生や、自然や惑星そのものへの畏敬を丹念に描いた部分では、後発としては物足りなさが拭えない。
日本のアニメーションを受けて、3D化によって一山当てるのが監督の狙いであるならば、宮崎監督と同じ日本人として生まれた自身の心象としては正直微妙なところがある。
アバターで狂喜する前に、欧米の方も含めて、もう一度「もののけ姫」の描写に、私たち自身が丹念に向き合うべきではないだろうか。
アバターでも暴利を貪ったキャメロン監督は、今度は、日本の「史実」である二重被爆を扱った作品の懇切丁寧な上梓により、自国原爆投下国の欺瞞を鋭く抉る国権との闘争をもって、表現者としてのバランスを保持して貰いたいものだ。大成した芸術家であるならば、鑑賞者への価値還元を忘れてはいけない。