「 <自然>主義と<生命>主義。」アバター(2009) ふみくんさんの映画レビュー(感想・評価)
<自然>主義と<生命>主義。
母なる大地である自然の神秘的な力が、人間には及ばないことを示している。未開の部族であるナヴィたちは、人間には及ばないけれども、自然と共生していると言う意味で、人間を上回る。ここには、アメリカ帝国主義の批判が全面的に現れている。武力という人間の力で自然を征服する、という思想に対する警鐘は、日本ではすでに『もののけ姫』などで現れているが、アメリカ軍事をあからさまにモチーフにしている点(1985年の『エイリアン2』と比較してみると面白い。それでは軍事はあくまでも人間の味方だったわけである。)で現代的な意味を帯びる。ここには、イラク戦争に対する批判もこめられているであろう。
海底探索の経験を生かして、独特の世界観を作り上げたジェームズ・キャメロンが、『タイタニック』(1997)の洪水で描いたような自然の強さを再びモチーフとしているところは面白いが、『タイタニック』ほどには、自然のインパクトはない。CGで作られた自然の風景も、『もののけ姫』に比べてしまうと、技術的には進歩しているのかもしれないが、魅力にかけており、技術的にもまだ「不自然」である。また、自然の強さは、動物たちの助けという意外性の中に現れていたものの、『アナと雪の女王2』(2019)のような、生命より根源的な<地水火風>を描ききれてはおらず、その点でも『タイタニック』の<水>の恐ろしさには劣る。したがって、例えばナヴィたちが洞窟の中に逃げ込んで人間たちを翻弄する(<地>)とか、台風が来るとか(<風>)、火山が噴火するとか(<火>)、自然の強さを描く方法は他にいくらでもあっただろう。
そうした自然の描き不足が、生命の描き切れなさと結びついている。我々が生命の尊さを意識するのは、何よりも死の描写であるが、その死の黒き側面は、一瞬しか描かれておらず、不十分である。巨大な木を破壊したシーンでは、武力の圧倒的な力を見せつけただけで終わり、その罪の重みも伝わってこない。同じく、植物を愛するシガニーウィーバーが何故死んだのか不可解で、単なる端役としての役割しか与えられていないことが分かる。こういったことと関連して、ジェームズ・キャメロン好みの、武力や重機の魅力も相変わらず残したままである。2009年に初めて見たときも、不思議と人間側を応援して観ていた気持ちになっていたが、やはり、武力や科学技術も、監督自身依然として肯定している部分があるのであろう。我々は科学技術の限界をどう線引きすることができるのか、その難しさも示すこととなってしまった。その線引きはいかに行うのか、その課題は残されたままである。