「MCUに追いつこうと必死になるあまり、結果を急ぎ過ぎた」ジャスティス・リーグ 緋里阿 純さんの映画レビュー(感想・評価)
MCUに追いつこうと必死になるあまり、結果を急ぎ過ぎた
スーパーマンが命を落とした世界で、迫り来る新たな脅威に立ち向かう為、バットマンは世界中から超人達を集め、最強チームを結成しようと奔走する。DCEUにおける集大成的立ち位置の作品。
本来の監督であったザック・スナイダーが娘の不幸により制作途中で降板し、マーベルの『アベンジャーズ』を歴史的特大ヒットに導いた実績から、最終的な仕上げはジョス・ウェドン監督にバトンタッチされた。これにより、マーベルとDC両方のヒーロー大集合作品を手掛けた事になる為、両者の特性を比較して“陽キャのアベンジャーズ、陰キャのジャスティス・リーグ”とネットで言われていた。しかし、それでも本作はダークな雰囲気のDCEUにおいては、画面の明るさやコミカルなやり取りの多さから、大分陽キャ寄り、もっと言ってしまえばマーベル作品のように描かれている。
監督交代による脚本の変更と再撮影により制作費は膨れ上がり、最終的に3億ドルにまでなったという。その為、本作の全世界興行収入は6億5000万ドルを超えているにも関わらず大赤字となっている。
公開当時に劇場鑑賞済みだが、今回『スナイダー・カット』を鑑賞したので、あちらとの比較として再鑑賞。
あちらと比較して、変更されたり描かれていない設定等は多々あるが、それを抜きにしても改めて本作は語り口のテンポの良さが抜群だというのが分かる。このテンポの良さが、本作を2時間で収め切った事に繋がっており、その点に関してはジョス・ウェドン版を評価したい。
冒頭のスーパーマンにスマホカメラでインタビューする子供達の映像や、オープニングシーンでの世界がスーパーマンを失った悲しみの様子は、神としてのスーパーマンが居ない世界をテンポ良く表現している。恋人ロイスの生活にポッカリ穴が空いた様子は、あちらとは語る順序を入れ替える事で端的に、しかし効果的に描いている。
アクションの見せ方も、要所要所でスローモーションを多用するスナイダー監督とは違い、スピーディに描かれている。しかし、スピード感がある分、戦闘シーンが淡白に感じられてしまう。ザック・スナイダー監督がDCEUで積み上げてきたものがあるからこそか、不思議なことにDCEUでそれをやると些か物足りなさを感じてしまう。
最大の変更点は、ボスキャラであるステッペンウルフのビジュアルや設定だろう。シリーズ全体のラスボスとなるはずだったダークサイドは一切登場せず、本来なら彼の部下に過ぎないステッペンウルフがラスボスとして世界を破滅させる役割を担っている。かつて古の時代に神々や人間、アマゾンやアトランティス達と繰り広げた地球での大戦も、ステッペンウルフがやって来て一度失敗した事にされているので、本作のみで宇宙からの脅威が片付いた事になる。
ビジュアルも、ラスボスらしくゴツゴツした質感の兜と鎧を纏う武人のような姿をしている。特にこのビジュアルが、マーベル作品の敵キャラ感を強く感じさせる要因だろう。
また、恐らくジョス・ウェドン監督がテンポ良くストーリー展開する為に再撮影した為だと思われるが、サイボーグのキャラクター設定が誕生の経緯、父親との溝の深さ、性格に至るまでスナイダーカットとは大幅に異なっている。「事故で身体を失い、父親がマザーボックスで蘇生させた」という最低限の設定だけは守られているが、ほぼ別人レベルと言っていい変更っぷりだ。
最大の見せ場となるはずのステッペンウルフとのラストバトルも、彼の設定を変更した為、スナイダーカットとは大幅に異なっている。途中参戦のスーパーマンによる一強状態で、マザーボックスの解除こそサイボーグが必要になるが、それ以外は「最初からスーパーマンが居れば、彼一人で全て何とかなってしまったのではないか?」というレベル。しかし、ヒーロー映画らしくちゃんとスーパーマンとフラッシュによる人命救助シーンを入れている点は評価したい。
スナイダー・カットで詰め込まれた数々の伏線が省略されたからこそだが、それぞれのヒーロー達のエピローグと、スーパーマンが飛翔する姿で幕を閉じる締めのシンプルな爽やかさと気持ちよさは◎。ゲイリー・クラーク・ジュニアの主題歌『カム・トゥゲザー』も、本作の明るい雰囲気とマッチしている。
クレジット途中にスーパーマンとフラッシュの最速決定戦の様子が挿入されたり、エンドクレジット後に精神病棟から脱走したレックス・ルーサーが暗躍するシーンが挿入されている点等はマーベル作品っぽい締め方だなと思う。