「こんな作品見せやがって、アカデミーの馬鹿野郎~!」ゼア・ウィル・ビー・ブラッド 流山の小地蔵さんの映画レビュー(感想・評価)
こんな作品見せやがって、アカデミーの馬鹿野郎~!
序盤の長く変化の乏しい展開に、苦痛を感じてしまった作品となりました。何しろ2時間38分の長編ながら、その大半は主人公が製油採掘で成功するまでが、淡々と描かれています。しかも台詞もあまりありません。黙々と穴を掘り進め、仕掛けをかけて油を救いだすシーンが続きます。さらにそのバックには不協和音の不吉な音楽が重なります。ホラー映画なら、こんな音楽が流れた後には何か起こるものですが、何も起こらず意味なく流れているようでした。
この前半部分は、死者も出るくらい石油採掘の危険さをとダニエル父子の親子の絆の強さを描いたものであったものと思います。ダニエルがどんなに危険な商売に手を染めていたかを見せることで、命がけの仕事にのめり込む裏側には、彼の強い人間不信があったのだと言うことをクローズアップしたかったのでしょう。
そして、後継者として賢い息子を愛おしむ姿を見せることで、そんな大切な息子でも、邪魔になると簡単に放り出してしまう身勝手さを強調したかったのでしょう。
しかし、この前半は長すぎました。アンダーソンの演技は、強烈なダニエルを迫真の演技で演じて、すごすぎるのに、編集でダメダメにされてしまいとても残念に思います。
さて後半には、物語がやっと動き始めます。
腹違いの弟を名乗るものの登場により、弟との対話のなかで、ダニエルは自分がいかに人間不信か、自分自身しか信じていないかを語ります。その話の中で、だんだんダニエルは普通の感覚の持ち主でないことが明かされていきます。
その普通でないことがハッキリしたのは、弟ということが嘘であったことがバレたときでした。ダニエルはそこで初めて、狂気を見せます。
狂気といえば、自分しか信じないのが信念のダニエルにとって、信仰者に対する態度も狂気じみていました。彼にとって信仰者は偽善であり、嘘つきでしかなく、この世においてもっとも忌み嫌うべき存在であったのです。
彼の狂気は徹底していました。土地取得において、現地の牧師が一家の一員のなっていて、教会への寄付を迫られていたとき、寄付を約束しておきながら平気で反故にするばかりか、寄付を求める牧師をボコボコにしてしまいます。
そして実はこの因縁はラストまで引っ張っていくことになります。
パイプラインを施設するルートの土地に、牧師の熱心な信者の所有地があり、土地取得の条件に、教会の信者となることを嫌々ながら飲まされます。
教会の牧師は、ダニエルを待ち受け、以前の土地取得時の寄付の履行と懺悔を求めます。牧師が命ずる懺悔はダニエルにとって大変な屈辱を味わう結果となりました。何しろ大勢の信徒の面前で、身勝手に息子を放り題したことを大声で懺悔されられたのです。
勧化の傍ら、「パイブライン」と口走り自分を納得されようとするダニエルのガマンする表情が可笑しかったです。このあと直ぐ彼は息子を呼び戻します。よほど悔しかったのでしょう。
20年後に、この仕打ちの仕返しをするタイミングがやってきます。
伝道の旅に出た牧師は、魔が差して投資に失敗。経済的にピンチを招いて、ダニエルの元に寄付を求めて尋ねてきます。対面したダニエルはわが意を得たりという顔つきで、予言がウリのおまえが何で投資に失敗するのかと、牧師に詰め寄るのです。そして寄付の条件として、かつて自分が教会で受けたのと同様な懺悔を牧師に求めます。
躊躇いつつも牧師は、ダニエルの求めるままに自分はインチキな予言者であり、信仰を冒涜していたものであるということを心ならずも大声で言わされるのです。
このとき牧師が自分に人を救うための方便なんだと言い聞かせながら告白するところが可笑しかったです。
しかし偽善と信仰を嫌うダニエルはそれだけでは牧師を許さず、狂気へと走るのでした。
以上この作品はひとりの人間不信な石油王の半生をリアルティを持って描いたものです。その中身は、所詮信じられるものなとないということ。特に信仰と神の救いに対する強い疑問が横たわっています。何らかの信仰をお持ちの人が見たら不愉快に思ってしまう作品です。
その背景には、アメリカのキリスト教においても堕落した牧師がいて、語っていることと実際の生活にギャップがありすぎで鼻持ちならないということがあるのではないかと思いました。宗教と縁がない人には、なかなか理解しがたい映画でしょうね。
最後にコ゜ーマンかましていいですか?
『こんな作品見せやがって、アカデミーの馬鹿野郎~!』