「〈怪物〉になることでしか、生きれなかったプレインヴュー」ゼア・ウィル・ビー・ブラッド 平田 一さんの映画レビュー(感想・評価)
〈怪物〉になることでしか、生きれなかったプレインヴュー
『スカーフェイス』(1983)も力任せでのしあがった男だけど、こっちのプレインヴューというのは、それより哀しいものを感じる。言うならば"喪失感から逃けることしかできない男"。それは三人を喪ったという"事実(一人は殺害だけど)"の対処からも見える。
ただ映画が素晴らしいのは、そんな欠点を抱えた男をあくまで"人間"らしくしたこと。下手したら人の心を持たない人間になりかねないのを、この監督はダニエルの中に巣食う"弱さ"を見ようとしている。突然死んだ仕事仲間、義理の息子のH・W、そして義理の弟・ヘンリー…彼らを"鏡"の役にして、プレインヴューが見なきゃならないものが何かを照らしている。
だけどプレインヴューは結局、孤独に埋もれる道を選んだ。疑心暗鬼に救いを求めて、すべての愛から目を瞑って、挙げ句大事な息子にさえ罵声を浴びせて、縁すら切った。そのあとの階段の隅で悔やむ場面は哀しかったし、そのやり取りを言わなきゃならない通訳の人も不運です。ただ不思議とその人からは苦笑じみたものを感じた(結構貴重な可笑しさです)。
イーライには徹底的な屈辱感を与えたあとで、殺害するという形で、地獄巡りに止めを刺した。イーライという同族嫌悪の象徴たる存在すらも、呑み干した彼の末路はまったくもって分からないけど、少なくともヘンリー同様、大地に埋もれて消えたと見る。まあ石油の温床地に、血と肉体とその魂が肥料みたいになれるんだったら、きっと本望だと思う(自分は御免被りたいが)。
とにかく体力必須なのと、非常に邪悪な結末なので、見る人を選ぶでしょうが、不思議と不快感は無いです。音楽も素晴らしいし、上映時間も気にならない(確か2時間38分)。間違いなく映画ファンなら見るべき名画の一本ですね。
あんなバケモノ役者に挑んだポール・ダノにもご注目を(笑)。