「勇気が心と人生を自由にして、罪を退ける」君のためなら千回でも Ryuu topiann(リュウとぴあん)さんの映画レビュー(感想・評価)
勇気が心と人生を自由にして、罪を退ける
しみじみとこの作品に出会えた事の喜びを噛み締めています!
2001年に起きたアメリカ同時多発テロ事件以降は、特に中東諸国や、イスラム教圏の人々に対しては、危ない国々!危険人物と言う様なマスコミによるプロパガンダが盛んに行われた結果、欧米社会の価値基準に影響を受け易い国々に暮す私たちにとっては、中東には恐い人々が多数住んでいて野蛮人と言うイメージを抱き易くなってしまった。
しかし、冷静に考えてみれば、何処か特別の宗教を信仰する民族だけが、野蛮人であるとか、世界の何処かに暮す特定の民族だけが、危険な人々と言う事は有り得ない偏った考えで、自然とその思考回路が植え付けられたと言う事に思い当る。
普段、私達日本人は、数々の欧米文化の影響を受けて暮し、それらの国々の価値観の影響を多数受けている事から、それ以外の価値観を持った文化に対して時々間違った認識を持ってしまう事がある。そしてテロを行う人々と、そこの国に暮す一般人とは違うのだ。
そんな時に、本作の様な映画と出会う事で、私達日本人が日頃あまり情報を見聞きする経験が少ない国々の文化や、習慣・そして哲学や人々の考え方を学ぶ機会が与えられると言う事は幸せな事だと思う。そして本作の様な映画を観る事の自由が与えられている日本に暮らしている事にも感謝の思いが生れるのだ。独裁国家などでは、日本では想像出来ない情報のコントロールが行われているので、個人の自由な選択権は著しく制限されてしまう筈だものね。
そして、この作品では、改めてアフガニスタンに暮す人々の70年代頃の生活感と2000年になってからの政治的変化や、人々の暮らしの変化を知る事が出来るのは有り難い事だ。
こうして私達は直接、その国々を訪れるチャンスが自分の人生に無かったとしても、今までよりも、より他民族の異文化に対して否定的な目を向けるのでは無く、同じ人としてお互いの違いを認め合い、理解を深める事が出来る様になるきっかけを、この様な映画に出会う事で、得る事が出来るのも、映画と言う素晴らしい文化を築いて来た一つの遺産だ。
この映画が描いている、総ての罪は盗みであり、その総ての罪は盗みの変形であると言う考え方には恐れ入った。確かに、納得出来る考え方である。しかし、私はこの作品を観ている間ずっと考えていた事は、それでは人は何故盗みを働くのだろうか?と言う疑問だった。何故盗みを働かなくてはならないのか?
それは主人公のアミールが子供の頃気弱な少年で、中々勇気が持てなかった繊細な少年として描かれているが、そんな人間の弱い心が、時々自己にとって不利な条件に遭遇すると嘘と言う盗みを働き、そしてその後は、相手より自分が優位な立場を得る為にあらゆる盗みの変形した罪を犯して行ってしまうのが人の大罪だろうと言う想像を巡らせていた。
その後、苦難の末にアメリカへ亡命したアミールと父は、異国の地で苦労して、アミールも立派な逞しい大人に成長し、ハッサンの遺児を迎えに行く事になる。この旅が幼少のアミールがハッサンに濡れ衣を着せてしまった事への償いの行為なのか、それともハッサンとは兄弟だったと言う真実を知ったが故に家族を引き寄せる為の決死の行動なのか、或いは、その両方なのか定かではないが、あの決死の救出後の、アメリカへ子供を迎え入れた後の、妻と養子となったハッサンの遺児とアミールが3人で遊ぶ、あのラストの凧揚げを観ると、涙が止めどなく溢れた。
私は、凧揚げと言う遊びの文化は、中国から伝わって来たものと思っていたけれど、中国もその昔、きっとシルクロードを辿って、中東の何処かの国の文化から受け継いで来たのかも知れない。そう考えると、あまり最近では、正月でも凧揚げをする子供の姿を見る事が少なくなった日本だが、この凧揚げ一つにも多様な文化と歴史がある事を知ると、これからの正月の凧揚げを見る目が変化して、益々楽しくなる事だろう。映画は本当に異文化を知る上でも素晴らしい役割を担っていると思いませんか?
だから映画を観る楽しみは何処までも広がって行くんだね。是非みなさんも、沢山の良い映画との出会いを得て、心豊かな日々を送られます様に願っています。