「霧の奥は沈黙のみ」ミスト 浮遊きびなごさんの映画レビュー(感想・評価)
霧の奥は沈黙のみ
勝手にスティーヴン・キング特集その25!
いよいよネタが尽きてきたが、これ含めてあと3本書かせていただきます。
今回は賛否両論のラストが物議を呼んだホラー『ミスト』をレビュー。
ネタばれ無しで書くのはたぶん不可能なので、特集初のネタバレ指定。
あと、いつも以上の長文レビューです。スミマセン。
原作は1985年発表の短編集『骸骨乗務員』に収められた中篇『霧』。
(文春文庫から今年『ミスト 短編傑作選』の名で再発行されてます)。
映画版の物語はおおまかに原作通りだが、新たな登場人物や
主人公とアマンダの関係の一部省略などの差異がある。
だがやはり最大の差異は、結末。微かな希望を残して終わる
原作に対し、映画版は原作の結末のその先を描いた形になる。
もうレビューを投稿されなくなってしまわれて久しいのだが、
77さんという実に素敵なレビューを書く方がおられて、その方は
この映画を「色々考えたけど一周回って駄作」と評しておられた。
僕自身は今回4.5という判定を付けさせてもらったわけだが……
あの極めて不愉快なラストをどう受け止めるかは人によって大きく
異なると思うので、駄作と評される方がいるのもやむなし。
いや正直言うと、自分自身も本作の結末が是なのか否なのかと
未だに考えあぐねているくらいだ(そこが-0.5判定分)。
...
本作には奇をてらったカメラワークなどは登場しないし、
主人公デヴィッドの周りからカメラが離れることも少ない。
終盤以外は、音楽らしい音楽もほとんど無く進む。
主人公の周囲の状況を淡々と綴っていくだけの語り口だが、
そのせいか、じりじりと事態が悪化していくにつれて
重苦しくなっていく店内の雰囲気がリアルに伝わってくる。
まず直感的に恐ろしいのは、霧の中に棲む怪物たち。
悪意ある怪物というより、単に人間を捕食できるサイズに
成長した生物という感じで、獲物を捕食するためだけに
もぞもぞと動き続けている感じが非常に気色悪い。
ぎょろりとした目玉はどことなく滑稽にも見えるが、
あの虻(あぶ)などの生理的嫌悪感には思わず顔が引きつるし、
最後に登場する山のように巨大なモンスターがゆっくりと
闊歩する姿は神々しくすらあり、人の世の終わりを
信じさせるだけの圧倒的な存在感を放っていた。
だが、その怪物たち以上に恐ろしく陰湿なのは、
極限状態に置かれ追い詰められた人間たちの狂気だ。
最初はパニックによって見知らぬ人間や元々
仲の悪い相手に攻撃的になる程度の変化だったが、
あのミセス・カーモディの登場ですべてがおかしくなる。
霧は神がもたらした世界の終末であると信じ、人々に恐怖と
服従を刷り込み、挙げ句は贖罪と称して生贄を求め始める。
ミセス・カーモディくらいに不快な悪役というのも
なかなかお目にかかれないのではないか。
次々と人が死んでいく中で彼女だけは生き生きとしている。
彼女は自分が必要とされているという快感に酔っているのだ。だから、
彼女はきっと、最後に自分が死ぬことは勘定に入れていなかったろう。
絶望した人々が都合よく解釈された「神」という手っ取り早い
救済に飛びつき、教祖に祀り上げられた人間がその権力に酔う、
あれこそカルト宗教のモデルケースであり、救われたいという
必死の心がねじ曲げられる様だ。心底ゾッとさせられる。
だが、それらの恐怖や悪意のなかでどうにか我が子や仲間を救おうと
必死に闘ったデヴィッドに対し、訪れる結末のあの無慈悲さ――
...
あのラストについて書く前に、ひとつ良いだろうか。
物語を語るタイプの映画というのはたいていの場合、
一種の安全圏といえると自分は考えている。
回答のない無数の選択を迫られる現実世界と違い、
物語内で提示されるものにはすべて意味と役割がある。
そして選択の先には、良かれ悪かれ論理的回答が用意されている。
スクリーンを隔てた先に見えるものだけで事柄が完結するのである。
不確実性だらけの現実から隔絶された、精神的安全圏としての『物語』。
だが、わざわざ「たいてい」と書いたのは、
それを是としない物語が世の中には存在するからだ。
この映画は間違いなくそれで、しかも少しの情け容赦も無い。
安全だと信じていたスクリーンという虚構の窓を突如ぶち破り、
鋳鉄製のハンマーを観客の頭に叩き込んでくるような物語なのだ。
...
あの銃を使うのをもっと躊躇すればよかったのか。
あの銃をそもそも拾わなければよかったのか。
あの道とは逆へと車を進めればよかったのか。
あの店にあと5分長く留まるべきだったのか。
あの狂信者の群れに従えばよかったのか。
いったいどうすれば、あの悲劇を避けられたのか。
結末の後で頭をよぎる無数の選択。
答えは無い。
信者たちはまもなく鳥の群れに喰われたかもしれない。
あの状況で銃を拾わない選択肢などもなかったろう。
最後に登場した母親とともに店を出ていたとしても、
それで主人公たちが助かった保証もない。
起こったことは起こったことでしかない。
だからといってこの物語は、起こった悲劇に対し
「過去を悔やむな」と励ましてさえもくれない。
救いを求めても、返ってくるのは無慈悲な沈黙のみである。
生きる上で、楽な選択など無い。最良の選択も無い。
どれだけまっとうな人間であり続けようと願っても、
どれだけ大切なものを守ろうと必死に努力をしても、
時に世界は、その良心と努力の両方に平然と唾を吐き捨ててくる。
この物語からは、そんな見たくも知りたくもない現実の残忍さが
ずるりとこちら側に浸食してきたような不快感と不安感を覚える。
「世界は残酷だ」なんてもう一千回は聞いてきた言葉だが……
それでもあの結末が、フィクションを超えた重みを伴って
心に圧し掛かってくるのは、そんな理由ではと考えている。
...
キングの別作品『グリーン・マイル』にて、
ある殺人事件の残忍さを書いた後でこんな一節がある。
それを引き起こしているのは神にほかならない。
そしてわたしたち人間が、「わたしには理解できません」
といったところで、神はこう答えるだけだ――「知ったことか」
『ミスト』はフィクションという形を取りながら、現実の
無慈悲さを最大限の力で刻み付ける、負の傑作だと思う。
あの父親はそれでも生きられるだろうか?
人間の良識を信じて生き続けられるだろうか?
そして、あれがもしも自分自身なら?
歳を重ねる中で自分の中の本評価も揺れ動くかもしれないが、
それでもこの映画が心を離れることは決してないだろう。
厭な映画である。
<了> ※2018.11初投稿
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余談1:
監督のフランク・ダラボンは『ショーシャンクの空に』『グリーンマイル』でも
キング原作映画化も成功させており、キング自身からの信頼はかなり厚いようだ。
本作に関してもキングは原作の映画化権を1ドルで売ったそうな。1ドルて。
キングは本作のラストが痛く気に入ったらしく、「原作もこう締めるべきだった」
と言ったとか。すみません、先生……僕は原作通りの方が……。
余談2:
原作は傑作ホラーゲーム『サイレントヒル』の元ネタのひとつ
としても知られている。ゲーム内にはキングの別名義にちなんだ
『バックマン・ロード』という通りが登場したりもします。
ミセス・カーモディみたいなヤバいおばさんも登場します。
カーモディさんが好きなら是非プレイしてみてね。(やだ)
浮遊きびなごさん、こんにちは。
アラクノフォビアのコメントありがとうございます。直近のレビューでこの作品が見つかったのでここにお礼とこの作品レビューについてコメントさせていただきますm(__)m。私もこの作品は原作から入り確か2、3回観た記憶があります。レビューに有ります様にラストは私も悩みました。7 7さんも以前はよくコメント頂いてましたが最近はあまり投稿作品が合わずにすっかりご無沙汰になっています。久しぶりに絡んでみよっと。さて話戻すとキングの映画化作品はどうしても駄作が多く原作ファンの私にとって悲しい限りです。ですがその中でもこれは原作の雰囲気を壊さずにかなり傑作と思います。ラストシーンの是非は個人的には結末を変えるのは商業的な意図が多く、続編へのプロローグとして追加され何か覚めた感が有るのですがこの作品はありかと思います。少し前の鑑賞記憶なので多少曖昧ですがキングの紡ぐ善と悪のストーリーには必ず神を意識させる作り方が見てとられますからこの作品のプロットに上手くはまっていて傑作となった一因かと。話変わりますがこの作品はリブートされるなら是非最新のVFXとPOV視点での撮影がミックスされるとすんごい作品ができそうじゃないですかね?無いかとは思いますがそうなったら楽しみだなあ。さて、つらつらと書かせていただきましたがこれからもどっしりとした重厚なレビュー楽しみにしています。見習わねば笑笑。お体にお気をつけてこれからもよろしくお願いいたします。