隠し砦の三悪人 THE LAST PRINCESS : 映画評論・批評
2008年4月30日更新
2008年5月10日より日劇2ほかにてロードショー
“キャラ立ち”に全精力を傾けた今風のエンターテインメント
オリジナル版を律儀になぞった森田芳光版「椿三十郎」に欠けていたもの、それはテンポだ。樋口真嗣版「隠し砦の三悪人」は、50年前に黒澤明が冒険娯楽活劇を刷新した精神を、まず同時代の生理に対応するスピーディーで快活な話法によって踏襲した。
お国再興の軍資金となる黄金を隠し持ち、身分を隠した姫と侍が幾多の関門を突破していく骨子を変えず、軽やかに換骨奪胎された物語は、さながら空想時代劇アニメの実写版といった趣。原始人と見まがう松潤の姿や、もろダース・ベイダーな椎名桔平の扮装も違和感なく、長澤まさみの男装のツンデレ姫はいつになく輝いて見え、虚構の構築は見事に成立している。突破困難な枷の変更や決めゼリフ「裏切り御免」の使用法、山の民という下流社会の視点の導入や姫の恋&成長譚といった脚色も冴えている。何よりもこれは“キャラ立ち”に全精力を傾け、それぞれのぶつかり合いを楽しむ今風のエンターテインメントだ。エンディングに流れる布袋×KREVA×亀田のユニットによる弾けたサウンドもハマっている。
世代感を活かしながらも人間描写に深みが足りなかった過去2作(「ローレライ」「日本沈没」)に比して、樋口は水を得た魚のよう。VFX出身の彼は、カタストロフを視覚的にデザインするプロではあっても、「死」を描く作家ではない。今回は内面や背景を描くのではなく、キャラを動かすことで自由闊達に2時間弱を泳ぎ切った。難を言えば、豪華なセットを組んで臨んだ砦におけるラスト30分はもどかしい。とはいえ、過酷な状況を用意して「生」を描くハラハラドキドキこそが、樋口映画の本質であることは十分に実証された。
(清水節)