「キリスト教絡みとくれば、アナグラム?」リトル・ランナー kossyさんの映画レビュー(感想・評価)
キリスト教絡みとくれば、アナグラム?
シネモンドで映画を観た後は、鞍月用水の流れるせせらぎ通りを歩いて帰る。近くには武家屋敷という観光名所もあったりして、外国の方もよく歩いている。さらさらと流れる川音が鑑賞中に爽やかに流れた涙にも似ているような気がして、気分もいい。“奇蹟”“祈り”“純潔”などといったキーワードとともに、映画を奥深く楽しむためにはやはりキリスト教について勉強しなければならないなぁ~などと考えながら家路を急ぐと、ふと寿司屋の看板が目に止まった。
“千成寿し(せんなりずし)”・・・そうだ、アナグラムもキリスト教に関係があったっけ(関係ありません)と、何でもアナグラムしてしまうという悪い癖が出てしまう。な、なんと、“な”と“ず”を入れ替えると「せんず○なし」になるではありませんか!そうか、神が導いてくれたかのようなこの啓示。この『リトル・ランナー』のテーマは奇蹟でも信仰心でもなく、「せ○ずりなし」だったんだ!よく頑張った、ラルフよ。君は偉大だ。ちょっと前までは週22回という記録的なG行為まで経験までしたのに、禁欲が彼の成功の全てだったのだと・・・
ニーチェは無政府主義という点においてキリストに負けているのです。などと言うヒバート神父が面白かったり、対する封建的な校長の性格も面白かった。伝統や名誉に縛られているがために、不良少年のようなラルフにもきつく当たり、孤児となったら施設に送り込むという好きにはなれない神父でしたが、「少年に奇蹟をおこすことはできない」という点では共通していました。また、ヒバートの考えも奇蹟よりは努力を信ずるといった考えに変化していったように思われました。
少年ラルフ(アダム・ブッチャー)の泣きも笑いも与えてくれる、見事な表現力にまいってしまいましたが、プールの事件だけはぶっ飛んでしまったようです。あぁ、健全な中学生(?)。
【2006年6月映画館にて】