「クリスマスは「寛容の季節」」クリスマス・キャロル(1938) talkieさんの映画レビュー(感想・評価)

3.0クリスマスは「寛容の季節」

2024年7月6日
PCから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

<映画のことば>
誰もが幸せにならんとな。

作品自体についての私のレビューは、同名別作品(2009年/ロバート・ゼメキス監督)に対するレビューと基本的に同じなので、基本的に、そちらに譲ることとして、ここでは、本作に固有のレビューにとどめたいと思います。

もちろん、原作が同じなわけですから、「かつての共同経営者マーレイの導きで、強欲の高利貸し・スクルージの前に過去・現在・未来の三人の精霊が現れる」という作品としての基本的な組み立ては同じくなのですけれども。
本作の方が、より「クリスマスを祝うべき(本来の)意味」ということでは、描写がよりストレートで、いわば「直球勝負」だったと思います。
評論子は。

「クリスマスを祝うべき本当の意味」…それは、評論子が本作から受け止めたところでは、年に一度は人を赦すということだったのではないでしょうか。

人間は、生きていれば他者との軋轢は避けることができませんが、さりとて、その軋轢を永遠に保持するのでは人間関係がギスギスすることでしょうし、何より、そういう「重荷」を内に抱えている自分が、遂には疲れ切ってしまうようにも思います。
(人を呪わば穴二つという言葉もあるとおり)
「寛容の季節」として、一年に一度その時期が(イエス・キリストの生誕になぞらえて)クリスマスなのかも知れません。

物語としては「絵に描いたようなハッピー・エンド」で、それ以上は何も言うこと、言えることはないのですけれども。
そのシーンに浸りながら、そんなことを想えた一本になりました。
評論子には。

佳作としての評価としておきたいと思います。

<映画のことば>
「失礼ですが、どちら様で?」
「叔父のスクルージだ。
笑顔だから見違えたのか?」

talkie