クリスマス・キャロル(1938)
1938年製作/69分/アメリカ
原題または英題:A Christmas Carol
スタッフ・キャスト
- 監督
- エドウィン・L・マリン
- 製作
- ジョセフ・L・マンキーウィッツ
- 原作
- チャールズ・ディケンズ
- 脚本
- ヒューゴ・バトラー
1938年製作/69分/アメリカ
原題または英題:A Christmas Carol
「わいわい楽しくやる」ってことが苦手だ。
翌朝覚えているかどうかもわからないような会話を延々と続けるのが苦痛だ。
そもそも酒が飲めない。
でもひとりぼっちのクリスマスは嫌だ。
子供のころのクリスマスは、もっと単純にウキウキワクワクしてたんじゃなかったっけ。
■内容は巷間に流布しているが、簡単に。
あるクリスマス・イブの日。不寛容でケチで意地悪なスクルージ老人(レジナルド・オーウェン)は、従業員のボブ(ジーン・ロックハート)が些細なミスをした事で馘首し、甥のフレッド(バリー・マッケイ)がクリスマスの挨拶に行っても、不機嫌に追い返す。
だが、その夜、3人の過去、現在、未来の妖精が、けちで意地悪な老人・スクルージを時間旅行に連れ出す。
純粋な少年時代、心の狭い老いぼれの現在、哀れな最期を迎える未来を知ったスクルージは衝撃を受け、人を思いやることの大切さを悟った彼はある行動に出るのである。
◆感想
・スクルージ老人を演じた名優レジナルド・オーウェンの、序盤の苦虫を嚙み潰したような顔からの、純粋な少年時代、心の狭い老いぼれの現在、哀れな最期を迎える未来を知った後に”改心”し、笑顔で人々に接する表情と、身体の変化が素晴しい。
・特に、過去の美しい妖精に導かれて見た少年時代の純粋な自分の姿に驚き、未来の陰鬱な妖精に連れていかれて見た、悲惨な人生を歩んだ男の最期の姿を見るシーンは、モノクロの効果もあり、とても良い。
<そして、スクルージは元々自分に備わっていた善性を取り戻し、ボブの家に行き詫び、給料を上げるからと笑顔で言い、フレッドにも人が変わったように接するのである。
今作は、慈善、慈愛、寛容、博愛の心を持つ大切さを描いた作品なのである。>
<映画のことば>
誰もが幸せにならんとな。
作品自体についての私のレビューは、同名別作品(2009年/ロバート・ゼメキス監督)に対するレビューと基本的に同じなので、基本的に、そちらに譲ることとして、ここでは、本作に固有のレビューにとどめたいと思います。
もちろん、原作が同じなわけですから、「かつての共同経営者マーレイの導きで、強欲の高利貸し・スクルージの前に過去・現在・未来の三人の精霊が現れる」という作品としての基本的な組み立ては同じくなのですけれども。
本作の方が、より「クリスマスを祝うべき(本来の)意味」ということでは、描写がよりストレートで、いわば「直球勝負」だったと思います。
評論子は。
「クリスマスを祝うべき本当の意味」…それは、評論子が本作から受け止めたところでは、年に一度は人を赦すということだったのではないでしょうか。
人間は、生きていれば他者との軋轢は避けることができませんが、さりとて、その軋轢を永遠に保持するのでは人間関係がギスギスすることでしょうし、何より、そういう「重荷」を内に抱えている自分が、遂には疲れ切ってしまうようにも思います。
(人を呪わば穴二つという言葉もあるとおり)
「寛容の季節」として、一年に一度その時期が(イエス・キリストの生誕になぞらえて)クリスマスなのかも知れません。
物語としては「絵に描いたようなハッピー・エンド」で、それ以上は何も言うこと、言えることはないのですけれども。
そのシーンに浸りながら、そんなことを想えた一本になりました。
評論子には。
佳作としての評価としておきたいと思います。
<映画のことば>
「失礼ですが、どちら様で?」
「叔父のスクルージだ。
笑顔だから見違えたのか?」