Dear フランキーのレビュー・感想・評価
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”嘘”のある暮らし。
嘘がキーワード。こちらの”嘘”は心が温まる。 とはいえ、嘘をつかなければいけない状況が暮らしに落としていた影。 嘘が必要なくなった?(映画では曖昧になっている…)状況の向こうに見える希望。 と考えると、”嘘”があってもいいとは言えないが。 親子の問題って難しい。正解なんてない。お互いがお互いを思いやっていることが一番大切なんだよなと改めて思う。 たくさんの思いやりに包まれる。 子供の為にと嘘をつく母。それに文句を言いつつ、あからさまにしない祖母。 文句はありつつも、そんな母と祖母を問い詰めない子。 子供に煙草を買いに行かせる保護者。売らないお店。イイですねぇ。そしてこの店主はこの家族を影に日向に支えるようになる。 その嘘にのるストレンジャー。一歩踏み込むけど、それ以上は出過ぎない。大人の責任と思いやり。 障害なんてないも同然に付き合う友達。その対等さが心地いい。 初め暗かった家の中のライティングが、母の表情の明るさと共に明るくなっていく。 心閉ざしていた彼女が心の窓を開け、家の扉・窓を開ける。心が動き出す。だったら…と次の展開を期待する私。 ラストは、え?ここで終わるの?という感じ。 うん、これが現実だろうし、妥当。真実か否かなんてどうでもいい。繋がりが一番大切。 これからどうなるのだろうと余韻が残る。 現代のDVは酷ですね。暴力振るう相手は自分が選んだパートナー。親から強制された結婚ではない。かって愛し合った人が実はこんな人だったとは。相手のせいにするだけでなく、人を観る自分の目をも疑わざるを得なくなる。 自分や相手、人を大切にするということを学べずに成長した人々。 それに巻き込まれる人々。 アルコール他薬物に頼らざるを得なかった人々や感情のコントロール法を学べなかった人々、自分や相手、人を大切にするということを学べずに成長した人々の、成長と回復を綴った映画もあるが、この映画では彼らへの救いは一切ない。バッサリ切る。 それに比して、彼らに巻き込まれた人の、苦しみと、周りのサポートを得て幸せになっていく過程が丁寧に綴られている。 役者はみんないい。なにげにリッキーもお気に入りです。 特に、リジーを演じたモーティマーさん。子供を思う気持ちの空回り、愚かな行為が痛々しい。他者を寄せ付けない、人を疑う目。それが少しずつほぐれていく様。思いがけない展開に戸惑うさま。それでいての、DVへの恐怖・怒り。なんて繊細な演技。 ストレンジャーを演じたバトラー氏。朴訥であまり心の機微には疎いように見えるのに、様々な顔を見せてくれる。正体不明の請負人として現れた時の佇まい。初見怪しそうな雰囲気を醸し出しているのに、再見の時には意味付けが変わるその演技。正体を知ってみれば、ああ、姉の命令を拒否できない弟感満載(笑)。 フランキーを演じたマケルホーン君の時々の表情。フランキーの成長・幸せを見守りたくなる。 そして、祖母や、店主を始めとする方々の安定感。 元夫と元義姉の、一見まともそうで、自己中のいやらしさ。 スコットランドなまりと共に、物語がゆっくりと地道に展開していきます。 じんわりきます。
【アクション無き、ジェラルド・バトラーの存在感が際立つ作品。】
■夫の暴力に耐えかね、老いた母と息子・フランキーを連れて逃げ出したリジー。 フランキーは父親の記憶がないまま成長し、「父親はアクラ号で世界を旅している」というリジーのうそを信じていた。 そんなある日、アクラ号という船が3人の住む港町にやってくる。 ◆感想 ・哀しき想いを抱えていたフランキーの前に父として現れた、男(ジェラルド・バトラー)。彼は、頼まれたとはいえ、フランキーの父を不器用ながら演じる。。 <スコットランドを舞台に、父親の家庭内暴力から逃れて暮らす母と息子、祖母の姿を描く。 淡々と綴られる物語にはリアリティと母の愛が満ち、ラストは静かな感動に包まれる。 若き、ジェラルド・バトラーの存在感ありきの作品である。>
「やさしい嘘」にホロリとさせられる佳作。音楽も叙情に満ちていいですよ。
このところ当たって当たり前とも言うべき、大金と時間をつぎ込んだ大作ばかり見てきました。 コンピューターグラフィック、高額なギャラのハリウッドスター陣、車だろうがビルだろうが壊しまくる大がかりなロケセット。それらとは全く対極にある、静かな、地味な作品それがこの映画「Dearフランキー」なのです。 夫の暴力により、リジーの息子フランキーは耳が聞こえなくなった。そんな夫に耐えかねてリジーは逃げだし、それでも探し出しそうとする夫の影に怯えて、頻繁に引っ越しを繰り返す日々を送っていたのです。 そしてリジーはスコットランドの小さな港町に落ち着きます。リジーはまだ小さくて記憶のない息子に、父親は船で航海をしていると説明していたのです。 それが仇になって、フランキーは港町の船を見るたびに父親を恋しがります。 そんな息子にリジーは世界中を船で旅する架空の父親のふりをして、息子出す手紙を秘書箱で受け取り、父親になりすまして返事を送り続けていたのです。 ある日、架空の父親が乗っている船がスコットランドに帰航することになり、母親は息子のために「1日だけの父親」を探す必要に迫られ、全く見知らぬ男を雇うことになります。 リジーはフランキーを愛するゆえのごまかしや嘘を重ねていったことがこの映画のドラマの始まりとなって進んでいきます。リジーはその後ろめたさに悩み続けながら、フランキーを傷つけたくないためにごまかすことを続けていくのです。 嘘をつくことは一般的にも仏教的にも良くないことですね。でも時として嘘も方便と申します。正直なだけではこの少年に夢も希望もなく、ただ難聴という十字架を背負って、自分をこのような目に遭わせた父親を生涯恨み続けたことでしょう。この点において、真実を伝えず沈黙することは「やさしい嘘」なんじゃないかなと小地蔵は思いました。 風景もよし、できる限り台詞を減らし、口でなく瞳や微妙なしぐさで語らせる手法もよし。それがリアルさにも繋がったように思います。人間って、一番いいたいことは口に出さないものではないでしょうか。 母と息子、祖母、近所の人、など、ごく狭い人間関係で進んでいくので、ちょっと物足りないかな、と思いはじめた頃、ジェラルド・バトラーが登場。このひとかっこいいけれどどう見ても、やっぱり今年公開された映画「オペラ座の怪人」のなかの怪人役を連想してしまいました(^_^; 派手なカタルシスはありませんが、後から後から、じんわりと暖かくなるような、そんな、いい映画です。 とてもネタバレできませんが、ラストシーンのフランキーが事実上告白する手紙に思わず涙されることでしょう。そのどんでん返しにシナリオセンスを感じますねぇ~。
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