「マーヴェル作品で一番好きな作品」パニッシャー kobayandayoさんの映画レビュー(感想・評価)
マーヴェル作品で一番好きな作品
2004年11月下旬に“ニュー東宝シネマ(当時。のちに“有楽座”、“TOHOシネマズ 有楽座”へ名称変更。2015年春に閉館)”にて鑑賞。
マーヴェル・コミックス原作の実写化作品は『ブレイド』と『X-MEN』のヒットにより、2000年以降に大量に製作され、現在の“マーヴェル・シネマティック・ユニヴァース”に到っている訳ですが、そのなかには異色の作品も存在していて、そのなかで、特に愛してやまないのが本作『パニッシャー』であり、私にとってはマーヴェル実写化のなかで一番好きな作品になっています。
FBIの敏腕潜入捜査官のフランク(トーマス・ジェーン)はチンピラのミッキー(エディ・ジェイミソン)による武器密売の現場で、ミッキーに同行していたボビー(ジェームズ・カルピネロ)が、駆けつけたFBIとの撃ち合いの最中に死んでしまい、そのボビーの父親にして地元マフィアのボスであるハワード(ジョン・トラヴォルタ)は、報復の為にフランクの家族を皆殺しにし、フランクにも致命傷を与えるが、彼は生き延び、ハワードたちに制裁するために行動を開始する(粗筋はここまで)。
原作は読んでおらず(コミック実写化作の大半の原作を読んだことがありません)、ドルフ・ラングレン主演の最初の映画版を幼い頃に観ていただけで、“パニッシャー”に関する予備知識は“超人的な力を持たず、己の肉体と卓越した戦闘能力を武器としたアンチ・ヒーロー系キャラ”というぐらいで、原作やラングレン版と比べたりすること無く、楽しめました。
アメコミ原作モノの作品は主人公や悪役が何処かに悲しみを秘めているのが多く、ヒーローでさえも屈折した心を持っていたり、悪党なのに、同情できたりするのが当たり前と言えるところがあり、本作も同じで、フランクはハワードの部下によって妻子だけでなく、両親や親戚一同を殺され、痛快な内容である本作のなかで、その場面は非常に痛々しく、フランクの悲しみに繋がる重要なシーンだけに痛々しさが強調されているように見えます。ボビーの死は、偶然、彼が居合わせ、そこに居たのも、取引を成功させて、ハワードを感心させる事が目的だった為に、それは不幸な偶然が積み重なっただけと言えますが、ハワードと妻リヴィア(ローラ・ハリング)がボビーを溺愛(二人にはジェームズ・カルピネロが一人二役で扮するもう一人の息子ジョンが居ますが、彼はボビーと比べると、そこまで溺愛されていなかった模様。このパターンは、映画の中では、よくありますが)していただけに、その復讐心の度合いが大きく、単にフランクを殺すだけでは済まなかったというフランクにとっても、ボビーの死と現れたことは不幸な偶然で、そう簡単にフランクが倒れず、逆に立ち上がって、ジワジワとハワードを追い詰めていく展開になるので、本作は双方にとって不幸な偶然が積み重なって成り立っている話なのだと思います。
本作の魅力は沢山ありますが、その一つはフランクが生活することになるアパートの住人が皆、ダメ人間でありながら、優しくて、熱いところで、それはDV癖のある男にしか出会えないダイナーの店主のジョアン(レベッカ・ローミン=ステイモス)、顔中ピアスだらけが後に仇となるデイヴ(ベン・フォスター)、「ラード野郎」と罵られる事が多いバンポ(ジョン・ピネット)と負け犬的な生き方しか出来ず、周囲から浮いた存在でしか無い、この3人が家族を失い、悲しみと怒り、憎しみに支配されたフランクと生活するうちに擬似的な家族関係を築き上げ、「良い思い出に救われることもある」とか「お前も俺たちと変わらない。俺たちは家族なんだ。だから、搾られても、俺は黙り通せる」といった名言を残し、本作が単なるコミックの実写化やB級のアクション映画だけでなく、人間ドラマとしての深さを兼ね備えた作品である事が分かり、フランクによるハワードたちへの制裁は単に家族を殺された事だけじゃなく、彼の新しい家族を脅かし、傷つけた事への仕返しも含んでいて、一つ一つの一撃がまるで「これは○○の分だ」といっている感じで、グッと来るものがあり、ハワードの部下たちが極悪非道(マーヴェル作品とは思えないところが多いですが、本作を作ったのはライオンズゲートであり、これが公開された2004年は同社が“SAW”のスマッシュヒットで頭角を現した年でもあるので、本作の痛々しさは納得でき、“らしさ”にも溢れています)な為にクライマックスのアクションは非常にスカッとでき、数分で決着が付くのに、それに物足りなさは一切感じず、時折見せるガンマン風な銃撃戦や立て続けに起きる爆発、簡単に倒せない相手を心理戦で追い込むといった工夫が随所に見られ、この頃には珍しくなった生身やリアルなアクションを売りとした低予算映画の醍醐味に溢れた一作として、満喫できました。
この時代のジャンル映画はサウンドトラックのタイアップがとても多く、本作でもメタル系のロックな楽曲が多用され、テーマソングはドラウニング・プールの『Step up』、挿入歌にシーザーとエイミー・リー(ちょうど“エヴァネッセンス”で大ブレイクしていた時期でした)の『Broken』が代表的ですが、最近ではこの手のタイアップが少なくなっているので、本作の豪華さと音楽の面での盛り上げは貴重(カルロ・シリオットのスコアが地味な分、余計に楽曲が印象的)と言えるでしょう。私としてはエンドロールの途中に流れるエッジウォーターの『Eyes wired shut』がお気に入りで、本作をキッカケに彼らのアルバムを買うぐらいのファンとなったのですが、ブレイクしなかったのは残念です。
本作は続編を匂わせる終わり方をしていて、評判は悪かったものの、興行的にはスマッシュヒットしたとの事なので、続編に期待していたのですが、トーマス・ジェーンは続投せず、結局は『パニッシャー ウォー・ゾーン』として再々リブートされ、そちらも面白いのですが、本作ほど楽しくはなく、強引な荒っぽさやB級アクション映画によくあるアイディア勝負に拘った所なども無く、個人的に本作には及ばない印象を持ち、観賞後は「ジョナサン・ヘンズレー監督とトーマス・ジェーン主演の正統な続編だったら、どうなっていただろうか?」と想像するほどでした。それぐらい、私は本作を気に入っていて、思い入れの深さも大きい。そんな作品です。