春夏秋冬そして春のレビュー・感想・評価
全7件を表示
【人生の喜怒哀楽をある男の幼少期から壮年期の姿を通じ湖上の老寺を舞台に描き出す、キム・ギドク監督の哲学的で静的な作品。人間の生と死は輪廻であり、年が経ても自然は変わらずに春夏秋冬を迎えるのである。】
<Caution!内容に触れていますが、今作に限っては問題は無いと思います。>
■春
山奥の湖に浮かぶ寺で暮らす老僧(オ・ヨンス)と幼子。幼子は無邪気な悪戯から魚に石を抱かせて殺め、それを見ていた老僧は彼の寝ている間に石を背負わせ、罪を気づかせようとする。
■夏
やがて幼子は青年となり寺に静養に来た少女に恋をする。二人は若さ故に、性交を重ねる。その姿を老僧は静かに見ているが、少女に気の病が癒えたのならば、寺を去るように諭す。そして少女が寺を去るや、彼も出奔する。
■秋
青年(キム・ヨンミン)は、血の付いた刃を持って寺に帰って来る。憤怒の相を浮かべた青年は、妻になった少女の裏切りが許せずに、妻を殺めて逃げて来たのである。
そんな青年に、老僧は寺の床に般若心経を書き、青年にその字を刃で彫るように命じる。
刑事が二人来て、般若心経を彫り終えた青年を連れて行くが、青年の表情は穏やかになっている。
■冬
老僧は死期を悟り、湖面に舟を出し目鼻口に”閉”と書かれた紙を貼り、舟の中に組んだ薪に火を放つ。
その後、壮年になった男(キム・ギドク)が寺に戻って来る。
男は、身体の鍛錬を始める。
凍り付いた湖上を歩いて、緑の絹で顔を覆った女が幼子を抱いて寺にやって来る。そして、女は帰る際に湖上の穴に落ち絶命する。
■再び春
男は、且つての自分にそっくりな幼子の小僧と過ごしている。
◆感想
・キム・ギドク監督作は数作観て来たが、どれも強烈なインパクトを齎す作品であった。狂気に駆られた妻が、息子の局部を切り取ったり、南北朝鮮の国境沿いに住んでいた漁民が国境を越えてしまった事から数奇な人生を歩んだり。
どれも、キム・ギドク監督の数奇な人生を彷彿とさせる如き作品で、とても面白く鑑賞したモノである。
・今作は、キム・ギドク監督の比較的初期作品であるが、”生と性と死。人生の喜怒哀楽”を”山奥の古寺を舞台に静的トーンで描いている。
そこには、哲学的な要素も数々垣間見える。
<今作は、若きキム・ギドク監督の哲学的で静的な面が表に出た作品であると思う。人間の生と死は輪廻であり、年が経ても自然は変わらずに春夏秋冬を迎えるのであるというメッセージも伺える。
改めて、キム・ギドク監督の制作する作品の幅広さを知った気がする作品でもあると思う。>
キム・ギドク最高傑作
美しく宗教性が高く生命の持つ清濁をかように気高く描いた作品を他に知らない。長きにわたる戦禍により山は刈られ畑は痩せた韓国にあってかほどの美しき四季の景色を見せられるとは思わなかった。無常と刹那が流転し大局にあっては人の生き死にや、ましてや人の罪など自然の中にあってはほんの僅かな揺らぎにすぎず、全ての営みが祈りの中に昇華する様が映像の中に描き出される。キム・ギドクと言う作家が何者であろうとも、ここに描き出された作品の美しさと意味に目を曇らせる事は愚者の所業と言えよう。このような高いテーマ性に彩られた一連の作品がもはや見れないと言う事は誠に残念である。
人生のループ、罪のループ
説明的なものは極力省かれ、というより最初からないかのような静けさの中に克服できない煩悩が、幼い時から人の心に宿り大きくなったり小さくなったりするようだ。ループして二巡目の春に遊ぶ幼児僧つまりほんとに小さい小坊主以外は、思春期僧、青年期僧、服役後の大人、二代目僧は皆違う顔、違う役者さんで、この人生のループ、執着は殺意を生むという煩悩、苦悩は繰り返しループし起こるもので誰に対してもそうなのだということだろう。自らが自分の全てを閉じない限り。
フラジャイルで美しいショットの数々
キムギドクの天才鬼才ぶりが発揮され
諸般の事情でキムギドク作品は見たらダメなのか、と少し逡巡するがやはり天才鬼才であるからには見たいと思う。
本作品通して音楽や効果音が全て鮮やかに、少ない言葉を引き立て盛り上げ力強く意味を与える。
猫のしっぽに墨をつけるところがまいった、、そこにキムギドクを感じた、悪いキムギドク。
キム・ギドクは凄い!と初めて感じた作品
春:深い山、湖の真ん中に浮かぶ小さな寺。老和尚と幼子が暮らしていた。幼子は小動物を捕まえては紐で縛り遊んでいた。和尚は少年に石をくくりつけ「3匹の魚、蛙、蛇のうち、1匹でも死んでいたら、一生心に石が縛りついたままだ」と言う。魚と蛇は死んでしまった・・・
夏:17歳に成長した少年。寺に養生にやってきた少女と恋に落ち、結ばれる。少女の病気も治り、引き離されることになるが、寺を抜け出すことに・・・
秋:10数年後、寺に戻ってきた男。愛する妻に裏切られて逆上していた。「人を殺めたからといって、自分を殺してはならない」という和尚。猫の尻尾で般若心経の文字を書き、それを彫らせることによって怒りを鎮める。
冬:出所し、寺に戻ってきた男。和尚はもういない。秘伝の書を見つけた彼は肉体の鍛錬に励む。そこへ赤子を連れた、顔を覆った女性がやってくる・・・
季節によって男の情感をたっぷりに描き、映像とともに心も揺れる。余計な台詞など一切ないドラマなのに、ここまで訴えてくる映画は少ない。目、口、耳に“閉”と書いた半紙を貼り自殺する様子。門外に出るときには必ず仏像を背負っていく姿、冬の章で石を体にくくりつける映像と小動物のフラッシュバックの対比が見事。輪廻転生のような寺の移り変わり。自然とともに寺が朽ち果てるまで何代も続きそうな未来にそれぞれの人生を重ねてみるのも面白い。
映像美
奥深い山と湖に囲まれた寺で生活する老僧と少年僧の人生の春夏秋冬を描いた作品。
少年僧が魚やかえる、蛇に石を結びつけて遊んだのを見て老僧が三匹のうち一匹でも死んだら一生心に石を抱えて生きると予言したとおりの生涯を少年は生きることになった。
夏で青年となり愛を知るようになった男に老僧が言ったのは、欲望は執着を生み執着は殺意を生む。
その予言も当たり青年僧は妻を殺すことに。
秋では妻への怒りと、憎しみを制御出来ず苦しむ男に老僧が般若心経を彫るように諭す。
そして老僧は1人に、なったあと閉とかいた紙を、目と口と耳に貼り船に薪を積み火をつけて自らの一生を終えた。
冬は服役を終えた僧が寺に戻り修行するがある日スカーフで顔を覆った女が赤ちゃんを置きにくる。
また春が来てかつての自分が魚やかえるに殺生したように預かった子が、カメにいたずらするのだった。
そうしてまた年月は重ねられてゆくのだ。
とにかく映像が美しく見入ってしまった。
蛇が時々現れる。蛇の持つ霊的なイメージがまたこの作品を秀逸なものにしたと思う。
食わず嫌いにならないで......
キム・ギドク監督は、図抜けた演出力で観客をひきこむ問題作を常に発表し続けている、韓国映画界の星のひとり。しかし、あまりに個性が強すぎることから、一本見たらもういい、と言う映画ファンも多いようです。
そんな、キム・ギドク映画嫌いの方でも充分にこの監督の演出の素晴らしさを堪能できるのが、この作品なのです。
美しい山々の風景の中にたたずむ湖に浮かぶ古寺が、まるで童話の世界のように神秘的に感じる、見事なオープニングから一気に観客の心は引き込まれます。その全編を通した映像美から描かれるのは、恨みや情によって惑わされる人間の一生の物語。キム・ギドク監督は、特に説教くさい演出などせず、登場する古寺の住職と同じように、物静かに悪をたしなめ、人間の業を美しい湖の風景の中で見つめます。キム・ギドク監督の作品には、時に怒りや狂乱が見られる場合もありますが、この作品では、怒りや狂乱も美しい風景の中に沈み、ただも、癒しの空間が残るのみ、というのが、何より魅力的なところです。
キム・ギドク監督の作品が苦手な方は、特に、この作品を見て、あらためてこの監督の才能の凄さに感心してほしい、切に願うばかりです。
全7件を表示