「障碍受容の歴史と極上の恋物語」オアシス(2002) kkmxさんの映画レビュー(感想・評価)
障碍受容の歴史と極上の恋物語
本作は複雑で、痛い、でも素敵な愛の物語でした。
いろんな語り口のある作品ですが、本作か作られた約15年後の未来人が観た『オアシス』の感想を述べたいと思います。
①障碍受容の視点から
本作を観て、障碍に対する考え方やバリアフリーといった概念がここ20年近くでかなり進化したことを実感しました。
ジョンドウが脳性マヒの彼女・コンジュとデートしてる時、駅にはエレベーターもエレベーターもありません。ジョンドウはコンジュを背負い、車椅子をたたんで小脇に抱えて移動しています!これはビビりましたね。韓国だから一概には言えませんが、今は当時に比べて、車椅子の人もスムーズに移動できるような世界になっているな、としみじみと納得です。
焼肉屋に行っても、車椅子で顔面にマヒがあるコンジュを見た店の人が「閉店です」と言い放ってました。数年前、乙武さんも似たような体験をしていたようですが、レアだからこそ騒がれたと思います。当時はそこまでレアではなかったのでは、なんて想像します。おそらく、この当時は合理的配慮という言葉はなかった可能性があります。
ジョンドウの家族も、障碍への知識がほとんどない様子です。ジョンドウはおそらく軽度の知的障害か、発達障害があるように感じました。なにより、適応がかなり難しい人です。彼の家族はジョンドウをただの穀潰し扱いしています。兄はなんとか矯正させようと思っている様子もうかがえます。
現代ならば、弟あたりがスマホで「ジョンドウ兄貴はこの障碍にかなり当てはまるんじゃねーの?」と情報を取ってきて、ジョンドウの情緒的な味方の母親がサポート資源につなげる、みたいな展開がありましょう。さすれば、ジョンドウもかなり生きやすくなり、本来の優しさを適切に発揮して生きれる場所を見つけられたと思います。
一方で、障碍者の利権を貪る存在も描かれていて、この辺の感覚は時代を越えた普遍的な闇って感じでしみじみしました。ジョンドウの兄貴なんかも、憎しみが圧倒しているため、現代であってもジョンドウを虐待していたと思います。
未来人としては、障碍に対する差別や搾取は常に存在するものの、人類の努力の結果、社会的にも心理的にもバリアフリーは進んだのではないか、と結論付けたいと思います。
②極上のラブストーリー
本作は美しくも残酷な話であり、観手の心も激しく揺さぶってきます。
しかし、私にとって本作はストレートなラブストーリーで、愛の讃歌でした。好きな人ができて、人生に光が射し、2人が幸せな時を過ごし、相手を思いやることの尊さ・すばらしさが描かれており、私はそれを素直に感じ、心が震えました。
悲劇や障害(まさに害って感じ)が2人を苦しめますが、最終的には愛の強さを実感しました。2人を幸福と捉えない人も多いと思いますが、2人は幸福だと私は思っています。
そして、その愛の物語を強烈に演出しているのが、人類が創り出した最高の演出技法・マジックリアリズムです!
本作は脳性マヒの女の子・コンジュが、マヒのない状態になるシーンがいくつかありました。空想のシーンもありましたが、駅で歌を歌うシーンとタペストリーのオアシスから踊り手と子象が出てきて踊るシーンは、間違いなくマジックリアリズムでした。空想ではなく、その瞬間に明らかにありありと感じている心的現実でした。あの瞬間、現実以上の現実の中で、ジョンドウとコンジュは踊り手と子象に祝福され、熱い口づけを交わしたのです。今もそのシーンを思い浮かべると、激しくもあたたかい情動が心に沸き起こります。オアシスのシーンは映画史に残る名場面と言っても過言ではないと思います。
『ペパーミントキャンディ』と立て続けに鑑賞したため、集中力がかなり途切れてしまいましたが、気力が充実している状態で鑑賞したら、フルスコア行ったと思います。
イ・チャンドンは連続鑑賞オススメしません!重いから!