「神のなさること」少女の髪どめ ku-chanさんの映画レビュー(感想・評価)
神のなさること
アフガニスタンから来ている難民もいればアザバジャーンからきている外国人労働者もいる。イランのテヘラン工事現場で働く不法難民の人々。その人たちを使っている工場主Memar。この工場主は外国人を安く使えるからと思って雇っているように思えない。彼の人柄がそれを証明している。簡単に言えば、彼らを助けているが、工場主は罰金を受けてしまう。
レティーフ(お茶汲み、炊事係)はイラン人で自分を犠牲にしてバラン(アフガン難民、ナジーフの娘)のために尽くす。またそれが本人は自分を犠牲にしている感覚がないと思う。バランを助けてあげたいという気持ちで、まっすぐにしかかんがえられないから。これが愛だ。
アフガニスタンの難民は貧困生活をしている。レティーフの一年分の給料をナジーフNajaf(の娘はバラン)の家族にあげようとしてサルタン Soltanを通してこの金がナジーフに行くはずだった。サルタンの忠実な誠意、それにナジーブの貧しいものを優先する気持ち。これには参った。レティーフの気持ちと苦労は違った形で人を助けた。誰がまずしいか、まずしいものを優先して施しをあげる文化(一般論?レティーフだけ?)なんだなと思った。最後のシーンは、アフガニスタンに帰ってしまうナジーフの家族(娘のバラン)にはもう会えないという証拠が、雨で消される少女の靴の足跡。それに、バランがアフガンのチャドルで顔をすっぽり被るところがお別れの意味を示していると思う。
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