恋人のいる時間のレビュー・感想・評価
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人は見たいものしか見ないし、見えない
ゴダール。いわゆる“ゴダール”と聞いてイメージする--難解、小難しい、理屈っぽい、わけがわからない--そのままの作品。若奥さんが旦那と愛人との間をいったりきたり。しかもどっちの子を妊娠したかわからない、といったストーリーを実験的に映像化。出演者の演出なのか素なのかわからないインタビューがでてきたり、生活音をそのまま同時録音してせりふが聞き取れなかったり、テキトウな会話を録音して盗み聞き風に仕立てたり、ネガポジ反転映像を使用したり。またゴダール特有の人を食ったようなB.G.Mの使い方はここでも生かされており、人がただ馬鹿笑いする声が録音されたレコードをかけながら夫婦が(冷え切った関係を理解しながらあえて無邪気に)追いかけっこをするシーンが印象的だった。そんなアバンギャルドな展開も、ストーリーがシンプルなのでまだ見ていられる。冒頭、白シーツの上で男女の手が絡み合うシーンで始まり、絡まりを解くシーンで映画は終わり円環は閉じられる。 ゴダールは作品の中で常に相対化、「距離」をテーマに映画作りを行っているように思える。おそらくドゥルーズ先生もそういっているハズ(テケトウ)。それは妻と夫、愛人と妻、といった登場人物の「距離」だけではなく、鑑賞者と出演者、出演者と物語、鑑賞者とゴダール、ゴダールと映画、そういった「距離」についていかに自覚的になるか、そこを繰り返し言及しているのではないだろうか。「恋人のいる時間」では、単純な婚外交渉をテクストに外的世界と内的世界について外的世界を通して映し出されるオノレの内面を炙り出そうとしているようだ。 さまざま雑誌の広告、あるいは標識、街角の看板、その他から主人公の心象風景にそぐう言葉をカメラが捉え、あるときはナレーションされる。そういう意味では内的心象風景を投影したものが目に映ることの証明--人は内的な心象を外的環境に投影し意味を読み取ろうとするものである、というようなことを表しているのだろう。つまり人は見たいものしか見ないし、見えない。
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