「パズルのピースのように散らばった時間と、それが揃ったときの面白さ。」フォロウィング すっかんさんの映画レビュー(感想・評価)
パズルのピースのように散らばった時間と、それが揃ったときの面白さ。
◯作品全体
パズルのピースのように散らばったシーンたちが、登場人物たちの真の関係性を明らかにしていく。少ない登場人物ながら、誰かの関係性が変われば別の誰かの関係性も変わる…というように、状況が変化していく仕掛けが面白かった。
中盤まではビルとコッブの友好的な共犯関係が描かれるが、冒頭に挿入された口に手袋を詰められるビルの姿が不吉な印象を残す。短いカットながら強いフックとなっているところに巧さを感じた。一体ビルは誰にやられたのか。情報の限られたモノクロの画面が、より一層展開にモヤをかけている。
中盤にはコッブと金髪の女の共犯関係、男女関係が明るみになり、ビルにとってはコッブとの共犯関係も、金髪の女との男女関係も裏切られたことになる。次にどのシーンが映るかわからない分、唐突に示される関係性の変化は刺激的な演出だった。終盤、警察へ供述するビルの話と警察側の話に食い違いがでてくるあたりで、すべてはコッブがビルに罪をかぶせる謀略だったことがわかる。そのことはコッブと金髪の女の会話で既に判明していたが、コッブは金髪の女すらも襲撃対象だったことが最後の最後で明らかになる展開が面白かった。「禿げ頭の男」からの指示とコッブを知る人物を消すことができ、コッブはビルが語る妄想の人物としていなくなる。コッブの完璧な作戦はビルと金髪の女が孤独でいることによって成り立っており、作品冒頭でやたら多く映る人混みと、その中を尾行するビルの異質さが対比的で、伏線のような役割をしていた。
時系列がバラバラであることが単純な仕掛けの部分だけでなく、すべてのピースがそろったときの面白さもしっかりとある。ノーラン映画特有の時間の演出は、監督一作目にして核心ここにあり、だった。
○カメラワークとか
・予算がないこともあってモノクロにしたようだけど、モノクロによって建物の様子から状況を推測しづらく、それがまた良かった。屋外なのか屋内なのか、建物は前のシーンとおなじところなのか違うのか。作品内で使われている場所が少ない分、建物からの情報(壁紙の色や新古の状況などなど)も少なくしているように感じた。特にコッブと金髪の女の関係性が初めて明るみになるカットでは、それまで何度も映されていた金髪の女の部屋と同じ場所だと気づけず、金髪の女がベッドで寝そべっている姿が映されたときはかなり衝撃的だった。家の色合いとかが分かっていたらカット頭で「あれ?ここは…」と勘づくことができたかもしれない。
○その他
・ラストシーンでコッブの存在がどんどんと証拠の無いものとなり、ビルが作り上げた妄想の人物のように存在が消えていくところは素晴らしかった。なんとなく『ユージュアルサスペクツ』を思い出すラスト。本作では自分で別の人物を作り出すのではなく、コッブがビルを語らせることで「フッと消えた」を作り出した。
・侵入した先の住民とレストランで出くわす場面では、ビルが強く焦る。コッブがなだめても聞く耳を持たなかった。金庫の前で人を殴ったことも、誰も目撃者がいないにも関わらず直ぐに警察へ駆けこんだ。ビルは人を見る趣味があるくせに人から見られることにはまったく慣れていない。逆の立場になると途端に脆くなるのは物語によくあることだけど、登場人物の行動の根っこにあると、やはり説得力がある。