時の支配者のレビュー・感想・評価
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『ファンタスティック・プラネット』監督による長篇第2作。王道のど真ん中を行くSFアニメ。
ルネ・ラルー特集上映の2本目。
『ファンタスティック・プラネット』は、30年以上前にVHSで観たことがあって、今回が再見だったが、残りの2本は寡聞にして存在自体を知らなかった。
そうか、ルネ・ラルーって人生で3本、長篇アニメを残してるんだね。
で、『時の支配者』を観て痛感したのは……、
やっぱりこの人って「まっとうなSF」をちゃんと作りたかった人であって、カルトの人でもなんでもなかったんだな、ということ。
『ファンタスティック・プラネット』では、あまりにローラン・トポールの「絵」の個性とチェコスロヴァキアのスタジオの伝統的な切り絵アニメの技術が目立っていて、「それがルネ・ラルー監督の個性」だと勘違いしてしまっていたフシがある。
だが、こうして艱難辛苦のすえ出来上がった第2作を観ると、この人は別にチェコ的な「手作業感のあるアニメ」にこだわっていたわけでも、ビザールでグロテスクな造形感覚にこだわっていたわけでもなく、ひたすらに「王道のSFアニメ」がやりたい人だったのだなあ、と。
客の側からすれば、あまりうまくもないセルアニメで、貧乏くさいキャラデザのアメコミもどきみたいなのを見せられても、『ファンタスティック・プラネット』とはだいぶ毛色が違うなあ、と思わざるを得ないが、やっていることは王道のSFアニメで、出来も(絵柄やアニメーションのダサさを差っ引いて考えれば)そんなに悪くない。
設定、脚色、レイアウト、絵コンテなどにあたったバンド・デシネ界の大立者メビウス(ジャン・ジロー)は、公開当時、作画技術のばらつきに大いに不満を抱いていたものの、のちに観直して「チャーミングなフィルムではある」と表明しているそうだ。
けだし、この映画の本質を突いた感想だと思う(笑)。
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話としては、よく出来たSFだと思うし、丁寧に作ってあると思う。
「時の支配者」とか大層なタイトルがついているぶん、話の7割くらいが「何もしないで待っている子供」と「宇宙船で探しに行く大人」が延々だべりトークしているだけという、やけにちんたらした展開に「こんなんでええんかいな? 時の支配者はどうした??」という気分にはなってくるが。
ただ、こののんびりした「待っている子供に会いに行く」物語展開自体が、実はお話の大ネタと直結しているので、観終わったあと、大半の人は「ああなるほどね」と納得がいくだろうとも思う。
ただまあ、絵柄と作画がねえ……。
日本の流麗な現代アニメに目と身体の慣れている人間には、さすがにきついかなあ(笑)。
正直、技術的にあちこち、しんどいところがある。
少年ピエルの所作とかは美しく仕上がっているが、宇宙船組の作画・動画はやはりもう一押しといったところ。そもそも、省エネ作画が目立ち、あまり絵を動かせていない。
前作『ファンタスティック・プラネット』を主に金銭的な理由でチェコスロヴァキアで撮ったルネ・ラルーだが、本作もまた主に金銭的な理由で、ハンガリーのアニメスタジオに詰めて撮っている。たぶん子供向けアニメとか作ってたスタジオに、いきなりメビウスの絵柄を持ってこられても、対応・適応するのがきびしかったんだろうなあ。
実際、ルネ・ラルーは前回同様、SF慣れしていない共産圏のアニメーターたちを一から鍛えるみたいな、大変な苦労を重ねて作業を行っていたようで、そのへんの苦労はパンフレットにもいろいろ書かれている。なんていうか、そういう異国の地に飛び込んでいって、現地の労働者とともに一から作り上げているみたいなのが好きな人っているよね……。
昔、東映アニメーションのフィリピン支社が今ほどちゃんとしていなかったころ、腕っこきのアニメーターや製作が数年フィリピンに詰めて、現地のアニメーターを育てていく過程を日記か何かで読んだことがあるが、苦労するぶん、すげえ感動するみたいだしね。
でも、ルネ・ラルーって、第一作の『ファンタスティック・プラネット』(チェコスロヴァキア)でも、第二作の『時の支配者』(ハンガリー)でも、第三作の『ガンダーラ』(北朝鮮)でも、「彼は現地語を解さず、言葉の壁に苦しめられた」と書いてあって、ぜんぜん現地語を学んで臨むタイプでもないんだよね。
それなのに、なんで知らない国でアニメなんか作ろうとするのか(笑)。
それだったら、日本に来たほうが全然楽だったろうに……。
(きっと予算が全く折り合わなかったんだろうけど。)
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●冒頭のシーンがもう少しうまくできていたら、もっと観客をお話に引き込めたのになあ、とは思う。追ってくるスズメバチの姿がまだ見えない段階で、スピードを上げ過ぎたまま森に突入して、入ったとたんに大クラッシュでは、事故は「ほぼお父さんのせい」としかいえずあんまり同情できない。後半でお披露目する意図があるからか、敵のスズメバチの姿が出てこないのも緊張感を削ぐ。
あれだけしゃべれるようになっている子供が、瀕死の重傷を負った父親の様子にまるで無頓着で、言われたとおりに森に向かって、作中まるで父親を回顧する気配がないのも、なんとなく気味が悪い。無邪気といえば無邪気だけど、両親を相次いでなくしたショックを完全に「見なかったこと」のようにスルーしてるのは、どこか物語として不健全な気がする。
●ちゃんと、本作のラストに控える大ネタに関しては、初登場シーンから明快な伏線というか、ネタ振りがあるのだが、個人的には全く気付かずに観ていた。
今から某人物の発言を思い返しても、あのとき「あれが実はあれである」ということに本人が気づいてしゃべっているのか、気づかないでしゃべっているのかは、正直定かではない。しっかり見返してみると、思いがけないダブルミーニングとか仕掛けてあるのかもしれないが。
●ピエル少年が逃げ込む森は、巨大な菌糸が樹木のように立ち並ぶ外観を示し、強烈に『風の谷のナウシカ』を想起させる。
一方で、蓮の花から解放される妖精(ノーム)たちを見て、『君たちはどう生きるか』に出てくるワラワラが空中へと浮遊していくシーンを思い出さない人はいないだろう。
●やけにプールのシーンだけ流麗に動いて360度で3Dモデルみたいな見せ方してるなあと思ったら、ここはロトスコープで撮られているらしい。82年の段階ですでに実用化されてた技術なのか。
●キン肉マンに出てくるペンタゴンみたいな敵キャラたちが主張している「一体化」の思想もまた、「全体主義」の一様相に他ならないが、こういう「同じになったら敵対関係もなくなってみんな幸せ」みたいな思想をしきりに唱えてた悪役が前にもいたっけと記憶を辿ってみたら、谷口悟朗のアニメ『ガン×ソード』に出てくる「カギ爪の男」だった(笑)。
●お騒がせキャラのマトン王子は、自分本位ではあるが決して嫌いにはなれない悪役だった。まあ王子だからしょうがないよね、みたいな(笑)。一緒に乗っているベルがマトン王子の奥さんだって、観てた皆さん気づきました?? 僕はパンフを見るまで、ベルはもとから宇宙船にいた「ジャファーのほうの相棒」だとばかり思い込んでいました。一緒にプールで遊んでるし……。ああ、だから老人に「お姫様」って呼ばれてたのか!
●本作のマスコットキャラ、ウァンウァンって、「ワンワン」から来てるわけじゃないよね? 『スター・ウォーズ』だかディズニーだかでも似たようなキャラがいた気がするが、うまく思い出せない。
●本作で最も魅力的なキャラクターは、実は人間ではなくて蓮の妖精(ノーム)のジャドとユラだろう。人の心が読めて、邪悪な想念を「くさいにおい」として認識する汚れなき存在(だからこそ想像を超えた悪戯もする)。台詞を書いたのが『狼が来た、城へ逃げろ』『眠りなき狙撃者』の暗黒小説作家、ジャン=パトリック・マンシェットだときいて仰天した。アニメーションとしても、きわめて自然に動かされていて、後半はお話の良いところをほぼ全部持っていっている感じ。
サイエンスフィクション
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