クイルズのレビュー・感想・評価
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どんなお仕置きにもめげずに書きまくるエロ作家と、あれこれ手を尽くす...
どんなお仕置きにもめげずに書きまくるエロ作家と、あれこれ手を尽くすも裏をかかれて彼を止められない精神医学博士&神父のいたちごっこ。
けらけら笑いながら観た。
【毒にも薬にもなるポルノ小説、世に蔓延る】
ドギツイ内容になりがちなお話なのに、なまぐさい匂いをきれいに取り除いた映画。監督の品の良さを感じる。
凄惨な時代を舞台にしながら、現実と想像の攻防をテンポよく見せてくれる手腕は、テリー=ギリアム作品を思い起こさせる。
生々しい激痛描写を抑え、演技ですよと目くばせするようなコミカル表現も良心的。
ワザと大仰に振る舞うG.ラッシュと、いろいろ滲み出すぎな無表情を装うM.ケインの、ノリに乗った演技応酬がもうたまらない♪。
その実、見やすい劇の裏にあるテーマは深刻。
冒頭、断頭台で処刑される寸前の女性が、被虐の恐怖を快楽に転化しようとして「物語」に没入するシーンが悲しい。
逃れられない現実をことばで茶化したり、闘ったり、見下してバカにしたり、嘘ついて逃げおおせたりする登場人物たち。
彼らの台詞ひとつずつが、小さな革命の火花として随所にスパークしている。
星マイナス1は、サド侯爵の主張に疑問が残ったため。
本作の文脈上、抑制の強い社会でこそインモラルな欲求が高沸するということならば、
過度に露悪的な欲求が人間の本性か?どうも腑に落ちなかった。
あくまで、置かれた環境から相対的に生じた一面でしかないと思うので。
自由奔放な表現は悲劇を生む危険性も孕んでおり、時として書き手の大切な人でさえも傷つけかねないということをきちんと劇中で描いているところが、とてもフェアだなと思った。
サド侯爵の肉体は滅びても、作品はあんな方法で、魂はこんな方法で、それぞれ生き続け、世に蔓延る。
オチのブラックさもぎらりと光る、非情にセンスの良いw映画だった。
やっぱり馬鹿な私には難解だった
小説、文芸、エロスドラマ、宗教的、オカルト、精神病院、舞台劇の映画化・・・こういった類のものには全く興味がないバカな私ですが、とりあえずケイト・ウィンスレット、マイケル・ケインを知ってるので、この二人を中心に何とか観れるかなと思って鑑賞。
・K.ウィンスレットに対し、本を読みたければキスしないと次のページを見せないぞ! と偉そうなジジイ(苦笑)
→ナポレオンの命令で変態小説を書く癖を治すため投獄されたジェフリー・ラッシュ
・M.ケイン院長は孤児の女(アメリア・ワーナー)と結婚
→いい人役だろうなと思ったら「カゴに閉じ込めておきたい」と、こちらも変態だった
そして、わいせつ小説なのに、なぜK.ウィンスレットはハマッてしまうのか・・・。
「私は本に救われている。精神患者相手の仕事は辛い。日々疲れ果てて・・・。本の中に身を置くの。役を演じるのよ。売春婦や人殺しになって。本の中なら悪女になれるから身を滅ぼさずに済む」--- どこかで発散する術がないと務まらないということかなぁ。ホアキン神父は、文字を教えたのにそんな活用をするとは思いもしなかったけど、どこか同情する部分が印象的である。まぁメロメロってことで。
観る前から私にとっては「理解するのが難しい映画だろう」と思っていたので、こうしたわかりやすい部分は大事でした。
純心に思えた可愛いアメリア・ワーナーもM.ケインの支配欲に気付いたのか、あっという間に他の男と行為するし、とにかく皆さんが病的、本能のままに思える。憎しみが欲望に火をつける流れですかね。
そして、死ぬ直前の儀式?で十字架を飲み込んじゃうJ.ラッシュ。無念のホアキン神父が以心伝心したかのように「変質者扱い」にされちゃう展開は、私は弱者の抵抗のように思えた。J.ラッシュの意志を継ぐかのように紙とペンを手にし、権力者M.ケインの操縦を打ち破れるのか、そんなふうに見える。いや単に暴露がしたいだけかなぁ・・・。逆に、全てを支配できる人が居ないと、人間は皆「欲のまま生きる淫らな存在」として滅びることになるだろう。そんなメッセージ性も感じちゃいましたね。
衣装はもちろん、病院(屋敷)のムードは良かったので映像的な違和感はなく楽しめると思いますが、ほぼ全部と言っていいほど「中での話」なので退屈に感じる人も多いと思う。外の景色も観たかった。
まぁ二度は観ませんね(苦笑)
サド侯爵の闇
ナポレオンによって、精神病院に投獄された サド侯爵のその後の物語
侯爵は その内容とともに「悪徳の栄え」ることを、繰り返し提唱していたので 怒りを買ったのだろう
(その前は 数々の暴行事件で、収監された)
当時の病院の劣悪な環境は よく判る
サディスティックな拷問(治療)を 受けるサド侯爵(笑)
ただ、彼の物語によって欲望を暴走させる者もいる事実…
醜悪さも含めて、彼の「物語」は 我々の思想に一石を投じたことは確かだ
製作者側は「表現の自由」に触れたいのだろうし、俳優陣が 全身を晒して頑張っているが、いまいち 入り込めないのは、何故だろう
我々が計り知れない程、マルキ・ド・サドの闇が、深いからかも…
何が何でも書き続ける
羽ペンやインクを没収されても、どこに収容されても、どんな環境でも決して書くことを諦めないマルキ。
彼にとって、書くことは呼吸と同じ、つまり生きること。
止めるわけにはいかないのだ。
次は、何を使ってどこに書き、外の世界にどう発信するのか、わくわくしながら観た。
変人
実在人物、サド伯爵の壮絶人生。
とにかく生々しく、息を潜めながらでも一気に見てしまう中世史実のリアルな世界観です。サド伯爵の死の直前までの執筆に対する凄まじい執念と、対抗する妖しい魅力の神父、彼を擁護する小間使いそれぞれの心理描写が観る者を引き付けます。
サド伯爵のジェリー・ラッシュ、神父のホアキン・フェニックス、小間使い役、ケイト・ウィンスレット、更には悪徳博士、マイケル・ケインと…もうそれはそれは演技達者な実力俳優人が役を演じきっているというのでしょうか、すごい迫力!
題材が「サディズム」の語源となったサド伯爵の晩年ですから、決して万人向けではないですが、興味あれば面白く観る事が出来ると思います。濃い内容です。
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