イディオッツのレビュー・感想・評価
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良くも悪くも感情は揺さぶられた作品
「知的障害者を演じるというサークル活動とその終焉」を描く、アウトレイジも顔真っ青な「登場人物全員クズ」という珍しい映画。
題材が題材なだけに、内容は不快of不快。
その上雑なところも多く、「サークルを作った目的」「サークルの信念」「メンバー1人1人へのサークル活動を振り返るインタビューに至った経緯」など肝心っぽい部分はふわっとしてたり、描かれもしなかったり。。。
そんな中でも最大のツッコミポイントは、大義を掲げていそうな雰囲気で描かれていたサークルリーダー(サッカーのウーデゴー選手似)の「みんなでセックスしたい⭐︎」というパリピ発言以降、スピーディに繰り広げられた無修正乱交パーティ。
監督は「人を驚かせたい」「ドン引かせたい」という欲求を抱えていそうだが、それって路上でいきなりチ⚪︎コを出すストリーキングと同じ発想なのよ。
私を含め劇場にいた全員、その場で監督のチ⚪︎コを見せつけられたように思う。
まぁ誰かと一緒に観たら感想を語り合いたくなる映画ではあると思うので、そういうのを希望している方にはオススメです。
cygne
スィニュと発音するフランス語、『白鳥』である カミーユ・サン=サーンスの 「動物の謝肉祭」の 13 番目で最後から 2 番目の楽章とのwiki情報 今作では劇判とスタッフロールで流れる曲である 本来ならばチェロなのだが、テルミンでもない、なにかの楽器にて演奏されているので、一寸した違和感も持ち味なのだろう ちなみに解釈があるようで、白鳥は生涯の最後の瞬間まで沈黙し、その瞬間にすべての鳥の鳴き声の中で最も美しい歌を歌うという信念になぞらえての信念は、口のきけない人間であるというものらしい そういう意味では今作のラストに主人公の女性が実家に帰った折り、家族でケーキを食べた際、まるで身体障碍者の食べ方を模し、夫に殴られるというシーンに当てはめた曲なのかも知れないと勘ぐるのは、勝手な妄想である
色々とルールを設けて映画を撮る運動の一作であるらしい今作は、さすがラース・フォン・トリアーらしい狂気染みたストーリーテリングである まるでドキュメンタリーのようであり、またインタビュー風景も差込まれつつ、異様な集団の実験的思考による団体生活ならではの、奇妙な生活を描く内容である
それは現在では絶対に許されることではないポリコレに反するアイデアだと言っても過言ではない 身体障碍者、精神障碍者等を演じ、社会に対しての悪ふざけを敢行する奇天烈なグループに、子供を亡くしたばかりの女が、その子の葬式から逃げだし、現実逃避で彷徨った際のレストランで知り合ったところから話を展開していく
兎に角ハチャメチャで危なっかしいリーダーの男や、行動を共にする仲間達男女のえげつなさには頭がクラクラしてくる 健常者にも障碍者にも大変失礼で冒涜極まりないこの一連の行動は、一体何の目的で愚行を繰広げているのかという疑問しか湧かないが、しかし折り返し位から本質というか理由がうっすらと滲み出てくる
"イディオッツ"(愚者)を演じることで自分の中の弱さや思い上がりをリセットしたい、安定を求めたい一つのエチュードなのであろう 但ししかしやがて、その予定調和(あくまで常識的にやり過ごそうとする相手のシチュエーションや行動パターン)に飽きたグループは、本物の障碍者達、又は反社的輩との交わりを通じてどんどん心をすり減らす リーダーの誕生日に希望で乱交が行なわれる突拍子さも、さすが北欧らしい狂気を演出で、キチンと本番さえ行なわれているボカシ無しの"ヌップリ"の画作りに戦慄さえ感じ、そしてその究極は、以前居たコミュニティに於いてのその立ち振る舞いの演技ができるかに移行していく
窮屈な以前の場所から逃げてきた連中達からすれば、わざわざ戻って、自尊心を自らへし折る行為をしたいと思う者はおず、逆に父親に連れ戻される少女もいる程に疲弊してしまうのだ そんな中で一連のグループの様子をずっと窺っていた主人公が、コメント冒頭での挑戦である
人間の薄っぺらい正義感や、化けの皮を剥ぐ、又は自分自体も剥がされる、倫理観をブルドーザーで抉るようなコンセプトであったが、そのハラスメントなんてぶっ飛ばすような強烈な展開の数々に、制作陣の映画作りの半端無い個性と暴力を存分に浴びた内容であった 50年かかさずにワックスがけをした床をいとも簡単に汚す、その敬意に果敢と壊す、そのデストロイヤー振りと、精神年齢を疑うような行為、そしてそうなるざるを得ない程疲弊したそれぞれ本来のコミュニティ、そうなってしまった社会 この"イディオッツ"達の実験は、まさにアメリカのフラワーチルドレンそのものなのかもしれない
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