「時間配分ミスで、展開に時間的な余裕がないから、予定してたように筋書きを強引に変えざるを得なかった」ワンダーランド駅で 流山の小地蔵さんの映画レビュー(感想・評価)
時間配分ミスで、展開に時間的な余裕がないから、予定してたように筋書きを強引に変えざるを得なかった
鉄道映画祭で見てきました。
スタンダートな作品でいえば、『君の名は』というラジオドラマの映画化作品が戦後ヒットしたことがありました。すれ違いドラマはいつの時代でも、恋にときめく乙女の心を捉えて離さぬものでしょう。
本作でも、会場でばったりあったご婦人は、すごくよかったと語られていました。
けれども、男性目線からクールに評価すれば、どうもあれこれ仕掛けを計らいすぎたため、あざとくて興ざめするシーンが多かったです。
出だしは、環境運動家の自己中旦那とエリンがけんか腰で離婚するシーンで、結構笑わせてくれておもしろかったのです。でも母親が勝手にエリンの恋人募集の広告を出して、律儀にエリンが応募者を首実検するところが饒舌で長すぎました。それがラストにつながればいいのですが、なくても筋に影響しないエピソードだったのです。だったらもっと後半エリンとアランが絡むところを描くべきでした。
そのためふたりにそれぞれ恋人ができる経緯も唐突すぎます。
エリンなんて、患者として診察にきていた初対面のアンドレにモーレツアタックを受けて。その日のうちにアンドレとともにブラジル行について行くことを承諾するのです。
アランだって、恋人としては避けていたジュリーに押し倒されて、突如いたしてしまうのです。それがとってつけたように稚拙に見えてしまうのは、やはり時間配分ミスで、展開に時間的な余裕がないから、予定してたように筋書きを強引に変えざるを得なかったのでしょう。
そのため肝心のワンダーランド駅でのすれ違いの部分が希薄になってしまいました。アランとは初めて出会うところで終わってしまうので、物足りなさを感じました。
ただそれも女性目線では、エリンとアランが運命の女神様に導かれるようなにワンダーランド駅で出会ってしまうことが充分なのかもしれません。そのあり得ない偶然が重なって、恋が芽生えるという展開が実にいいのでしょう。
そんなわけで、すれ違いや偶然の恋にあこがれを感じている人には、ぴったりといえます。
ボサノヴァのリズミカルな音楽もマッチしていたと思います。